東京都文京区立「森鴎外記念館」文豪・森鴎外の旧居跡地に立つ!

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東京都文京区立「森鴎外記念館」文豪・森鴎外の旧居跡地に立つ!

東京都文京区立「森鴎外記念館」文豪・森鴎外の旧居跡地に立つ!

更新日:2017/11/27 18:11

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

小説「舞姫」や歴史小説「高瀬舟」といった代表作を著した森鴎外、本名・森林太郎は陸軍の軍医としても活躍しました。作家と軍医の二つの道を歩み、その後半生を過ごした場所が東京都文京区にあります。

多くの文人たちも訪れた森鴎外の旧居「観潮楼」の跡地、現在では文京区立「森鴎外記念館」が建つ場所。千代田線“千駄木駅”から徒歩5分、建築的評価も高く文学紀行にピッタリの文京区立「森鴎外記念館」を御紹介致します。

旧居「観潮楼」跡地・文京区立「森鴎外記念館」

旧居「観潮楼」跡地・文京区立「森鴎外記念館」

写真:KISHI Satoru

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東京都文京区には文豪・森鴎外(1862年〜1922年)にゆかりのある場所が多く存在します。生まれ育った島根県から上京して、最初にドイツ語を学んだ本郷の進文学社、医学を収めた東京大学医学部、後に夏目漱石も住んだ向丘(むこうがおか)の家。

そして、文京区千駄木のこちらが、1892年(明治25年)〜1922年(大正11年)の間、60歳で亡くなるまで家族と共に過ごした住居「観潮楼(かんちょうろう)」の跡地です。

団子坂の上にあり、二階からは東京湾を望めたとされたことから「観潮楼」と名付けられました。また永井荷風、芥川龍之介、石川啄木など多くの文人たちが訪れており、文学好きの方には堪らない場所です。

生誕100年の1962年(昭和37年)に記念室を併設した「鴎外記念本郷図書館」が建設。生誕150年の2012年(平成24年)には収蔵資料を引き継ぎ、建物を改めて開館したのが現在の「森鴎外記念館」です。

建造物として高い評価も得ている「森鴎外記念館」

建造物として高い評価も得ている「森鴎外記念館」

写真:KISHI Satoru

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森鴎外は1862年(文久2年)、現在の島根県津和野町に代々医者である家系に生まれます。東京大学医学部卒業後に陸軍軍医副となり、衛生学研究と調査のためにドイツへ留学。

1888年(明治21年)、日本に帰国してからは軍医、並びに翻訳や執筆と文学者としても活躍していきます。1892年(明治25年)、30歳の時に文京区千駄木の団子坂の上に家を構え、両親、妻、子供たちと暮らしたのです。

建築家・陶器二三雄(とうき ふみお、1947年〜 )が設計した建物は、2014年に第55回BCS(Building Contractors Society)賞・全国建築業協会賞を、2015年には日本芸術院賞、日本建築学会作品選奨を受賞し、高い評価を得ている点も注目のポイントです。

こちらから中庭に向って進み、右手側に非常に大きな自動ドアが設置されていますので、早速「森鴎外記念館」の中に入ってみましょう。

三層構造の「森鴎外記念館」ではボランティアによるガイドも

三層構造の「森鴎外記念館」ではボランティアによるガイドも

写真:KISHI Satoru

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「森鴎外記念館」は三層構造になっており、1階が“受付”とオリジナルグッズなどを始め、関連書籍を販売する“ショップ”、加えて庭園を望める“カフェ”も併設されています。2階は、鴎外の著作や研究資料の閲覧が出来る“図書室”、展覧会の関連講座などが開かれる“講座室”。

地下1階は、年2回の特別展や年3〜4回のコレクション展が行われる二つの“展示室”、またコンピューター・グラフィックスを用いて当時の「観潮楼」の様子を観賞できる“映像コーナー”となっています。

天井の高い広々としたエントランスには森鴎外のレリーフ像が飾られ、来訪者を迎えてくれます。その右手側には“受付”と“ショップ”になっています。土日祝日には解説ボランティアによる館内案内もあるので、こちらでチェックしてみて下さい。

大画面の“映像コーナー”と大銀杏を下から望む“休憩室”

大画面の“映像コーナー”と大銀杏を下から望む“休憩室”

提供元:文京区立森鴎外記念館

http://moriogai-kinenkan.jp/地図を見る

エントランスのある1階から、ゆったりとした長い階段を降りていくと地下1階の一つ目の展示室。廊下を抜けていくと二つ目の展示室となっています。特別展やコレクション展により、年間を通じて多彩な展示が楽しめます。

その隣には、大画面の“映像コーナー”。こちらで視聴できる映像は「森鴎外記念館」が制作したもので、森鴎外や当時の「観潮楼」の内部がコンピューター・グラフィックスなどで分かりやすく紹介されています。

また芥川賞作家・平野啓一郎(ひらの けいいちろう、1975年〜 )を始めとする作家の方々のインタビューも収録されているのも見所です。特別展などの詳しい情報は下部の関連MEMOにあります、公式サイトへのリンクより御確認下さい。

外から想像するよりも非常に広い空間を活かした館内で、存分に展示された品々を堪能してみて下さい。観覧後の心地良い疲れを癒やすソファの置かれた“休憩室”もオススメです。地下1階から中庭の大銀杏を、下から望めるという素敵な情景も楽しめますよ。

“薮下通り”入口の敷石と中庭の「三人冗語の石」

“薮下通り”入口の敷石と中庭の「三人冗語の石」

提供元:文京区立森鴎外記念館

http://moriogai-kinenkan.jp/地図を見る

一枚目、二枚目の「森鴎外記念館」の外観の写真は広い通りの“大観音通り”側からのもの。上記の写真は、森鴎外や夏目漱石にもゆかりのある「根津神社」へと続く“薮下通り”側からの外観となります。

実は、こちらの雄壮な大銀杏のある“薮下通り”側にある入口が、森鴎外の旧居「観潮楼」の正門の場所です。門柱の礎石と敷石が残っているのが見て取れます。塀には「観潮楼址」と歌人・佐佐木信綱(ささき のぶつな、1872年〜1963年)の文字が刻まれた碑が設置されています。

大銀杏のある中庭には森鴎外が、幸田露伴(こうだ ろはん、1867年〜1947年)、斎藤緑雨(さいとう りょくう、1867年〜1904年)と共に創刊した雑誌『めさまし草(ぐさ)』の文芸批評欄から名付けられた「三人冗語(じょうご)の石」もあります。森鴎外が左の大石に座り、中央に幸田露伴、右に斎藤緑雨が立っている写真も残っています。また“映像コーナー”でも確認出来るのでお見逃しなく。

東京都文京区千駄木「森鴎外記念館」のまとめ

福岡県小倉への赴任時代、日清戦争、日露戦争への出征期間を除いて、森鴎外が30歳から60歳で亡くなるまで過ごした「観潮楼」の跡地に建てられた「森鴎外記念館」。

第二次世界大戦を潜り抜けて現在も残る大銀杏や草花の植えられた庭園も歴史と安らぎを感じます。庭園の回廊には、永井荷風(ながい かふう、1879年〜1959年)の筆による森鴎外の詩碑「沙羅の木」も掲げられています。

下部関連MEMOには、第十二師団軍医部長として赴いた任地・福岡県北九州市小倉にある「森鴎外旧居」や「鴎外橋」・「森鴎外文学碑」の紹介記事へのリンクもありますので、宜しければそちらも御確認下さい。

以上、東京都文京区千駄木にある文豪・森鴎外の旧居「観潮楼」の跡地、文京区立「森鴎外記念館」の御紹介でした。

※「森鷗外」の正確な表記は、中央のカモメの字が<「區」+「鳥」>となりますが閲覧性保持のため新字体「鴎」を利用した「森鴎外」としています。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/27 訪問

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