写真:Lady Masala
地図を見るケルト語で川を表すという「エイボン」。街の中心を流れるその川は、太古の時代からストラトフォード・アポン・エイボンに住む人々の暮らしを支えてきました。
そのエイボン川に架けられるのは、15世紀に建てられたという「クロプトン・ブリッジ」。中世の橋としては最も美しいともいわれているこの橋のたもとには、緑豊かな「バンクロフト・ガーデン」が広がります。広々とした緑の空間では、ジョギングで汗を流す人、ピクニックを楽しむ家族連れなどが、思い思いの時間を過ごします。
写真:Lady Masala
地図を見るその北側にある「The Gower Memorial(ガワー・メモリアル)」の中央にそびるのは、シェイクスピアが創作した「フォールスタッフ」、「ハル」、「ハムレット」、「マクベス夫人」に囲まれた彼自身の銅像。彼らはそれぞれに、喜劇、哲学、歴史、悲劇を象徴しているのだとか。
背景に見える近代的な建物は、本場のシェイクスピア劇を鑑賞できる「ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー&シアターズ」。エイボン川にはナローボートも浮かび、とても絵になる風景。
写真:Lady Masala
地図を見る悩めるハムレットを慰めるように、または、フォールスタッフのぽっこりとせり出したお腹に手を触れながら、ハイポーズ。ラッキーシンボルというわけではありませんが、お調子者で、布袋様のようにも見えるフォールスタッフの横に立つだけで、幸せにな気分になれそうです。
写真:Lady Masala
地図を見るエイボン川から見渡せる「ホーリー・トリニティー教会」にほど近い閑静な住宅地にあるのは、「Hall’s Croft(ホールズ・クロフト)」。シェイクスピアの娘スザンナと最初の夫であった地元の医師ジョン・ホールとが住んでいました。診療所も兼ねていたという住宅内部には、17世紀の中産階級の住居と暮らしの様子が再現されています。
写真:Lady Masala
地図を見る室内の随所に置かれている重厚な家具は、この家にもとからあった物ではありませんが、当時の雰囲気を伝えられるようにと、ヨーロッパ中から集められたといいます。どれも美しい彫刻が施されており、アンティーク好きなら垂涎の逸品ばかり。センスよくディスプレーされた部屋のインテリアにはうっとりとさせられます。
写真:Lady Masala
地図を見る色とりどりの花瓶が心地よいアクセントとなっているホール氏の診察室は必見。調合された薬の入ったボトルが整然と並べられている光景が目に浮かんでくるようです。
当時の医学では、血液が体内を循環するということがまだ発見されておらず、病気の治療方法も現在とは随分異なっていたといいます。ホール氏は、地元では名医として知られており、食事改善やハーブを使った治療を得意としていたのだとか。庭に植えられている香り高いハーブからも、診療の様子を偲ぶことができます。
写真:Lady Masala
地図を見るクロプトン・ブリッジから川向こうに見える鋭い尖塔は、シェイクスピアが眠る「Holy Trinity Church(ホーリー・トリニティー教会)」。苔むした墓標に囲まれるこの教会の敷地内には、静謐で厳かな雰囲気が漂います。
写真:Lady Masala
地図を見る現在でも日曜毎に地元の信徒が礼拝に訪れるというこの教会には、見どころがたくさん。まずは、入り口にある「サンクチュアリー・ノッカー」に注目してください。
かつては、このノッカーで教会の扉を叩けば、罪人たりとも37日間の保護を受けることができたといいます。13世紀に作られたというこのノッカー。シェイクスピアも同じ物を見ていたに違いありません。
写真:Lady Masala
地図を見るエイボン川に架けられるクロプトン・ブリッジは、ロンドンで市長を務めたこともあるという地元の有力者、ヒュー・クロプトンによって建てられました。
教会内にある彼の一族が眠る「クロプトン・チャペル」は、この時代の墓標のなかでも最も美しい物のひとつに数えられるのだとか。ヒューが亡くなったのは1592年、シェイクスピアは1616年。同じ時代を生きていた彼らは、もしかしたらこの教会内で言葉を交わしていたのかもしれません。
写真:Lady Masala
地図を見るホーリー・トリニティー教会で最も注目すべき場所は、言うまでもなく、内陣にあるシェイクスピアの墓。
彼ほどの有名人ならば、ロンドンにあるウェストミンスター寺院、または、セント・ポール大聖堂に埋葬されても不思議ではありませんが、洗礼を受け、幼い頃から通い続けた教会で永遠の眠りにつきたいとの彼自身の強い希望によって、彼と家族の墓標がここにあります。
写真:Lady Masala
地図を見るシェイクスピアの墓標近くには、彼が洗礼を受けたという洗礼盤と、登録簿のコピーが展示されています。手書きで記入された登録簿には、確かに彼の名前が残されていますが、後に有名になったからといって、特別扱いはされていません。
熱心なキリスト教徒であったシェイクスピアは、この教会で地元の信徒たちとともに、日々の礼拝を欠かさなかったといいます。
写真:Lady Masala
地図を見る自身の墓を見下ろすように掲げられるのは、シェイクスピアの胸像。妻の存命中に友人によって作られたというこの胸像は、実際のシェイクスピアの姿に最も近いといわれています。
この地を愛してやまなかったシェイクスピアは、永遠に、ここストラトフォード・アポン・エイボンを見守り続けることでしょう。
ロンドンで成功を収めたシェイクスピアが終の棲家として選んだのは、生れ故郷である「ストラトフォード・アポン・エイボン」でした。
「ハムレット」や「マクベス」など、多くの戯曲を残したシェイクスピアですが、その作品にインスピレーションを与えたのは、故郷での経験やその豊かな自然であったといいます。
白鳥が遊ぶ豊かなエイボン川沿いに点在するシェイクスピアゆかりの地を訪れながら、彼が眺めていたであろう風景を、この目で見ることのできる感動に酔いしれてみたいものです。
※関連MEMOには、「ストラトフォード・アポン・エイボン」で訪れることのできる施設を紹介した記事を掲載しています。よろしければ、そちらもご覧ください。
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(2023/11/29更新)
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