女人禁制だった北海道・神威岬は、歴史と自然味わえる絶景岬!

女人禁制だった北海道・神威岬は、歴史と自然味わえる絶景岬!

更新日:2016/04/18 10:35

神威(カムイ)岬は札幌市より70km程の西、日本海側に大きく突き出た積丹半島の先端にある岬です。岬の灯台に向かう遊歩道は、起伏ある断崖絶壁にへばりつくようにしてのび、そこから見える荒波の日本海や岩礁の雄大な風景と相まって、大変インパクトのある光景となっています。

小樽や札幌といった、都市部からのアプローチもしやすい積丹地区。北海道の岬の中でも唯一無二といえるほどの絶景を、あなたもいかがですか。

ソーラン節と奇岩を味わう、半島西側ルート

ソーラン節と奇岩を味わう、半島西側ルート
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神威岬(北海道積丹町大字神岬町)へのアプローチは、積丹半島の東側を北上するルートと西側を北上するルートがありますが、小樽や札幌観光とともに立ち寄る場合は、東側ルートを利用することになります。また交通機関ご利用の場合も、バスが小樽もしくは札幌からの出発となりますので、このルートになります。

でもここでは敢えて、積丹半島の西側の海岸線を北へ向かって岬を目指すルートを、オススメルートとさせていただきます。この西側ルートは、海に迫る原野や巨岩、断崖絶壁、そして浸食されて造り上げられた奇岩「窓岩」「西の河原」など、北海道の荒々しい自然を存分に味わえるルートなのです。今回ご紹介する神威岬や神威岩も、そういった中の一つといえるでしょう。自然が生み出した芸術作品の数々、ぜひ味わってみてください。

また、積丹は「ソーラン節のふるさと」と呼ばれているように、鰊(にしん)漁とともに歴史を作り、ソーラン節とともに歩み続けてきた所です。大量に押し寄せる鰊、その鰊ではち切れそうになった網を引き上げる時に、一攫千金を求めて集まってきた‘やん衆’と呼ばれる海の男たちに唄われていたのがソーラン節。全国のソーラン節はここから広がっていったそうです。

そして、その鰊漁が全盛だった頃の繁栄ぶりを伝えてくれるのが、積丹半島の西側付け根あたり、泊村にある「鰊御殿とまり」。ここでは移築・復元された「旧川村屋番屋」「旧武井低客殿」が貴重な資料とともに一般公開されています。鰊で巨大な富を築き、その贅を極めた造りの鰊御殿は、北海道の歴史を知る上でも欠くことのできない栄華の時代の象徴でもあります。こうした地域の歴史にふれてみるのも、旅の味わいの一つです。

時には波しぶきが車のウインドを濡らすこともあるほどの、海のすぐ近くを走る西側ルート、こういった歴史や自然を満喫しながら岬を訪ねてみるのもなかなかいいですよ。

神威岬と神威岩

神威岬と神威岩
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そして、その西側の海岸線からは神威岬と神威岩がこのように見えます。切り立った岩壁と、少し離れてポツンと天に突き出す岩、本当に何か不思議な感じがしますね。

そしてここには悲しい伝説が残されています。奥州から逃れ、日高に身を寄せた源義経を慕うようになった首長の娘チャレンカ。義経は追手から逃れるため北へ向かい、チャレンカもその後を追い神威岬まで辿り着きます。しかし時既に遅く義経は既に出航してしまっており、チャレンカの必死の叫びも、強風にかき消され届くことはありませんでした。

悲観したチャレンカは「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐれすなわち覆沈せん」という恨みの言葉とともに身を投げてしまいます。その姿が岩となったのが神威岩で、それからというもの、女性を乗せた船が岬の沖を通ると、船は必ず転覆したといいます。

神威岬は海から70mの高さの断崖。そして神威岩は、その岬から約40mの沖に位置し、高さが40m、胴回りは最大の所で50mもあるそうです。それはなんと14階建てのマンションに匹敵する高さ!写真では小さく見えますが、実際はとても大きな岩なんですね。

近くで見て実際に歩く神威岬とはまた違って、こうして全貌が見える神威岬も必見です。この西側からの海岸線ルート、やはりおもしろいですよ!

女人禁制の門

女人禁制の門
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神威岬は西蝦夷三険岬と呼ばれるほど、海路の難所として恐れられていました。遭難も多発し、そのことがチャレンカの悲劇の伝承の印象を、より強くしていったのでしょう。そのため長きに渡って、岬一帯への女性の立ち入りが禁止されており、今も岬へと向かう道には女人禁制の門があります。でも、その女人禁制が解かれたのは1855年(安政2年)のこと。もうだいぶ前のことですね。今では男女関係なく自由に入ることができますので、ご安心ください。

ただ周辺は大変厳しい自然環境の中ですので、冬場の降雪時期は門は閉鎖となります。例年だと女人禁制の門のゲート開放は、4月下旬〜10月末・11月初めくらいまでとなっています。また解放期間中は、朝の8時開門、夕方5時閉門となっていますが、これも天候などによって閉門が早められたりします。また、日の長くなる夏場は閉門の時刻が延長されていますので、訪問の際には事前に確認されることをおススメします。

なお駐車場までは冬場も行くことができ、景観を楽しむことができますが、遊歩道は除雪がされておらず入ることはできません。また、駐車場にあります店舗なども冬場は営業されていませんので、あわせてご注意ください。

岬への遊歩道

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神威岬は無料駐車場から遊歩道がつけられており、岬の先端まで行くことができます。その距離は800mほどですので、ゆっくりと景色を見ながら進んでも30分程で岬の先端まで行くことができるでしょう。写真をご覧ください。なんだか万里の長城を思わせるような景観です。北海道に岬の景勝地は数多くありますが、このような景観を見せてくれる所はなかなかありません。心に残る風景になること間違い無し!ですよ。

写真でもわかりますが、遊歩道はアップダウンが多くなっています。階段や手すりなどで整備されているので安全に行けるのですが、一部急な登り降りの所もありますので、できるだけ動きやすい服装で、滑りにくく歩きやすい靴等で行かれることをおススメします。荷物などで、両手が塞がってしまうのも避けましょう。また道幅は狭いので、お互いに譲り合う気持ちをお忘れないようにしてくださいね。

なお途中には、トイレや手洗いなどの施設はありません。往復で1時間ほどかかりますので、ご注意ください。

絶景と「念仏トンネル」

絶景と「念仏トンネル」
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この遊歩道からの風景は、まさに絶景。左右とも神威岬ならではの雄大な景色が広がっており、自然の豪快さを思い切り堪能することができます。360度の大パノラマということばがピッタリの風景です。

この遊歩道からは、奇岩「タコ岩」や「念仏トンネル」などを見ることができます。
「念仏トンネル」というのは、この神威岬灯台で働いていた方のご家族が余市への買い出しの途中に、荒波に足をさらわれ海に転落して亡くなられたという痛ましい出来ごとを機に掘られたトンネルです。その頃は今のような遊歩道はなく、荒波の打ち寄せる海岸線を、大きな岩を飛び跳ねるようにして渡って灯台まで辿り着いたといいます。

そのトンネル工事ですが、両側から掘り始めたものの中央でうまく合わず、頓挫しかけてしまいます。しかしその時、村の人たちが犠牲者の供養も含め両側から念仏を唱え鐘を打ち鳴らしたところ、その音で掘り進める方向がわかり工事再開ができたのです。大正7年に完成した全長60mの「念仏トンネル」は、高さも低く真っ暗闇のため、念仏を唱えながら歩くと安全だと言われていました。写真左上の断崖の海岸線あたりに小さな穴がおわかりになるでしょうか。それが「念仏トンネル」です。

今は無人となっている神威岬灯台ですが、その歴史は古く、初点灯は明治21年。無人化されたのが昭和35年ですので、70年以上にも渡って、灯台職員とその家族の人たちの生活がそこにあり、命がけで灯台の灯が守られていたわけです。隔絶された岬での生活、その困難で危険な状況は、想像を絶するものだったことでしょう。

おわりに

神威岬、いかがでしたでしょうか。
道央旅行の際にはぜひ訪れていただきたい、文句無しの絶景スポットです。そして、そこの歴史を少しだけのぞいてみると、景観の美しさだけではなく、また違った北海道の風景も見えてくるような気がします。ぜひその絶景とあわせて、歴史も味わってみてください。

なお交通機関利用の場合は、北海道中央バス「高速しゃこたん号・神威岬行」が期間運行で運行されています。詳細は、北海道中央バス株式会社のサイトにてご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/09/21 訪問

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