石川県「金沢ふるさと偉人館」子供と一緒に大人も楽しめる!

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石川県「金沢ふるさと偉人館」子供と一緒に大人も楽しめる!

石川県「金沢ふるさと偉人館」子供と一緒に大人も楽しめる!

更新日:2017/11/30 11:05

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

金沢城公園や兼六園、犀川や浅野川といった四季折々の美しい景観が大きな魅力の石川県金沢市。実は、科学者、哲学者、文学者、建築家、芸術家、事業家と広範囲の分野で素晴らしい人材を輩出してきた土地柄でもある事を御存知でしょうか?

世界的に有名な偉人、並びに文化勲章受章者が大勢いるのです。そのような数多くの金沢ゆかりの偉人たちの歴史や業績を辿る事が出来る石川県「金沢ふるさと偉人館」を御紹介致します。

「金沢ふるさと偉人館」の概要とアクセス

「金沢ふるさと偉人館」の概要とアクセス

写真:KISHI Satoru

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アドレナリンの精製に世界で初めて成功した科学者・高峰譲吉(たかみね じょうきち、1854年〜1922年)、Z項を発見した天文学者・木村栄(きむら ひさし、1870年〜1943年)、欧米に禅仏教を広め、世界の思想家に影響を与えた禅仏教学者・鈴木大拙(すずき だいせつ、1870年〜1966年)などなど。

金沢では様々な分野で国際的国家的な業績を上げた人々が多く輩出されています。先述の他にも、多くの金沢ゆかりの“近代日本を支えた偉人たち”を広く紹介するのが「金沢ふるさと偉人館」です。

アクセス方法は金沢駅兼六園口(旧東口)から「城下まち金沢周遊バス」に乗車し約20分、“本多町”のバス停で下車後、徒歩約2分です。バスには右回りと左回りのルートがありますが所要時間がほぼ同じですので、予定や計画に合わせて御利用下さい。

Z項の発見!第一回文化勲章を受章した天文学者・木村栄

Z項の発見!第一回文化勲章を受章した天文学者・木村栄

写真:KISHI Satoru

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多くの偉人の各年表が一つにまとめられた“偉人年表”が飾られた階段を登っていくと、始めに登場するのが天文学者・木村栄。
石川県金沢市生まれの木村栄は東京大学で天文学を学び、29歳の時岩手県水沢(現在の奥州市)の緯度観測所の初代所長となります。緯度の変化を調べるため、毎日、星の観測を実施。そこで、計測に関する公式にZ項を加える発見をしたのです。

当時、星の観測の結果をX項とY項を用いた公式で計算していましたが、栄の発見したZ項をを加える事によって、従来以上に正確に計測が可能となったのです。
緯度を計測するための望遠鏡、天頂儀(てんちょうぎ)の模型や書(複製)なども展示されています。中央の三文字で太く力強い筆の書は何歳頃のものだと思われるでしょうか?

中央「景雲飛」は数え年4歳、その左の「松声無古今」は数え年8歳の時の書との事です。幼少時にこのような書を残しているのは驚きです。

“加賀の三たろう”と「金沢ふるさと偉人館」のポイント

“加賀の三たろう”と「金沢ふるさと偉人館」のポイント

写真:KISHI Satoru

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日本を代表する世界的哲学者・西田幾多郎(にしだ きたろう、1870年〜1945年)、国文学者・藤岡作太郎(ふじおか さくたろう、1870年〜1910年)、禅仏教学者・鈴木大拙、本名・貞太郎(ていたろう)は共に、1970年生まれで第四高等中学校(後の旧制四高)では同級生でした。そのため、“加賀の三たろう”とも呼ばれています。

展示コーナーでは、大拙が海外旅行時に使用していた大きなトランクや、作太郎の学生時代のノート、幾多郎の書いた手紙や書などが紹介されています。ここで一つポイントなのですが、「金沢ふるさと偉人館」では、映像や音声などを使用していません。

それは観覧者の方々が展示品を見ながら、会話を楽しめるように配慮したため。特に御家族の方は、お子様の質問に答えたり、一緒に考えたりといった教育や学びの一環としても利用可能なように考えられているのです。

日米の親善に尽力した高峰譲吉ゆかりの桜

日米の親善に尽力した高峰譲吉ゆかりの桜

写真:KISHI Satoru

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「金沢ふるさと偉人館」の西側には、前述の木村栄の胸像と並んで、高峰譲吉の胸像が建てられています。

高峰譲吉は1854年(嘉永7年)、母親の郷里である現在の富山県高岡市に生まれます。翌年に転居、金沢城下で育った後、長崎、京都、大阪、東京で勉学に励みます。36歳の時にアメリカに渡り、消化薬・タカジアスターゼを発明、止血作用のある薬・アドレナリンの精製に世界で初めて成功。また日本とアメリカの外交を陰から支え、日米親善大使とも呼ばれた人物です。

二人の胸像を過ぎて、さらにそのまま奥に進んでいくと一本の小さな桜の木があります。1912年(大正元年)、高峰譲吉らの尽力によってアメリカ合衆国ワシントンのポトマック河畔に桜が贈られました。こちらの桜はその子孫で2004年(平成16年)に里帰りしたものです。歴史を感じながら眺めると、その美しさは格別なものになりますね。

台湾の台地を潤した男・八田與一の胸像

台湾の台地を潤した男・八田與一の胸像

写真:KISHI Satoru

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高峰譲吉ゆかりの桜が植えられている庭に、金沢生まれの偉人の胸像が立っています。八田與一(はった よいち、1886年〜1942年)です。

1886年(明治19年)に生まれた八田與一は、第四高等学校を経て、東京帝国大学で土木を学びます。卒業後に台湾総督府に勤務し、33歳の時に台湾の南部にある嘉南(かなん)平原でダムと用水を造る工事を担当。

当時、東洋一の規模であった堰堤長(せきていちょう)つまり、幅が1273メートルの“烏山頭(うさんとう)ダム”と、総延長16000キロメートルに及ぶ給排水路を完成させます。洪水や日照りに影響されず、米作りが出来る土地となり、住民たちに喜ばれます。

“烏山頭ダム”を望む丘には八田與一の銅像が建てられ、現在でも多くの台湾人に親しまれています。そのような経緯もあり、こちら「金沢ふるさと偉人館」でも海外からの訪問者は、台湾の方々が多いとの事。金沢の偉人の功績が現在においても輝いています。

石川県「金沢ふるさと偉人館」のまとめ

上記の他にも、日本遺伝学の祖と呼ばれる研究者・藤井健次郎(ふじい けんじろう、1866年〜1952年)、哲学者であり歴史家・三宅雪嶺(みやけ せつれい、1860年〜1945年)。

中尊寺金色堂の修復など文化財保存にも尽力した、漆聖と称される漆工芸作家・松田権六(まつだ ごんろく、1896年〜1986年)、東宮御所、東京国立博物館東洋館等を手掛けた近代建築の巨匠・谷口吉郎(たにぐち よしろう、1904年〜1979年)などなど数多くの金沢ゆかりの偉人たちが紹介されています。

因みに今名前を挙げた四人は全員、文化勲章受章者でもある点も驚きます。また館内には金沢市内の小学生からのリクエストにより追加された偉人たちも。

小学生の視点も反映された「金沢ふるさと偉人館」に御家族で訪れてみてはいかがでしょうか。以上、金沢ゆかりの“近代日本を支えた偉人たち”が紹介される石川県「金沢ふるさと偉人館」の御紹介でした。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/04/06−2016/04/07 訪問

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