東京都台東区立「朝倉彫塑館」ミシュランが認めた美術館!

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東京都台東区立「朝倉彫塑館」ミシュランが認めた美術館!

東京都台東区立「朝倉彫塑館」ミシュランが認めた美術館!

更新日:2017/11/19 20:57

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

下町情緒が漂う台東区谷中に、彫刻家・朝倉文夫のアトリエ兼住宅であった建物を公開する美術館があります。
国の名勝に指定された敷地内に、有形文化財に登録された建物を有し、「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」第4版(2015年)に掲載されている見所満載の美術館「朝倉彫塑館」です。

アトリエ、中庭、朝陽の間、屋上庭園など、朝倉文夫の芸術観が細部にまで反映された「朝倉彫塑館」を御紹介致します。

「朝倉彫塑館」へのアクセスと“彫塑(ちょうそ)”の意味

「朝倉彫塑館」へのアクセスと“彫塑(ちょうそ)”の意味

写真:KISHI Satoru

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山手線・日暮里駅の西口から谷中霊園の石垣を左手に、御殿坂(ごてんざか)の緩やかな勾配を登り、谷中銀座方面へと向かいます。右手には本行寺、経王寺と続き、石材店のある十字路を左折して、歩みを進めるとあらわれるのが「朝倉彫塑館」。

彫刻家・朝倉文夫(あさくら ふみお、1883年〜1964年)のアトリエ兼住宅を公開している美術館です。館名にも使用されている“彫塑”という言葉はあまり聞き慣れないのではないでしょうか?

“彫塑”とは、石や木などの素材を彫り刻む技法「彫刻」と、粘土などの素材を付け加えて形を造る「塑造(そぞう)」の二つの意味を合わせた言葉です。現在では一般的に「塑造」の意味も含んだ広い意味で「彫刻」が使われています。

それでは早速「朝倉彫塑館」の中に入ってみましょう。

彫刻家・朝倉文夫と「朝倉彫塑館」の歴史

彫刻家・朝倉文夫と「朝倉彫塑館」の歴史

提供元:朝倉彫塑館

http://www.taitocity.net/zaidan/asakura/地図を見る

1883年(明治16年)に大分県大野郡池田村(現在の豊後大野市)に生まれた朝倉文夫は、実兄であり彫刻家として活動していた渡辺長男(わたなべ おさお、1874年〜1952年)を頼って上京し、彫刻と出会います。

1903年(明治36年)に東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学し、在学中に海軍の銅像制作で一等を獲得、頭角を表していきます。その他、動物の石膏原型を卒業までに1200体以上も生み出していったのです。

1907年(明治40年)には同校を首席で卒業、谷中の地に自ら設計したアトリエ兼住宅を構えます。それが現在の「朝倉彫塑館」へと繋がっていきます。翌年には第二回・文部省美術展覧会に「闇」を出品して二等を受賞。その後も官展での受賞を重ねて、彫刻家としての地盤を固めていったのです。

アトリエに入って、振り仰ぐ事になる巨大な「小村寿太郎像」は、気圧されるほどの大迫力。その他、「大隈重信像」や「墓守」などの作品も展示されています。天井高8.5メートルのアトリエの床には、大作を制作する際に使用された電動で上下する昇降台も設置されているので、作品はもちろんの事、アトリエ自体もじっくり鑑賞してみて下さい。

建物は“国登録有形文化財”、敷地全体は“国指定名勝”

建物は“国登録有形文化財”、敷地全体は“国指定名勝”

提供元:朝倉彫塑館

http://www.taitocity.net/zaidan/asakura/地図を見る

建物は増改築を繰り返し、細部にまで工夫を凝らして、1935年(昭和10年)に完成したものが現在の「朝倉彫塑館」の原型となります。

1964年(昭和39年)に朝倉文夫が亡くなった後、その遺志を受けた御家族が自宅を「朝倉彫塑館」として公開。1986年(昭和61年)には東京都台東区に移管され、台東区立「朝倉彫塑館」となりました。

2001年(平成13年)に建物が国の有形文化財に登録、2008年(平成20年)には敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されます。
2009年(平成21年)から2013年(平成25年)にかけて保存修復・耐震補強工事を行い、さらに文化財的価値も高まりました。

作庭の常識を破る最大水深2メートル以上の池、そして、巨石と樹木。保存修復工事の際には1000枚以上を超えるデジタルデータを記録、復元時には樹木の枝振りまでも再現しています。一時的な移植先でも方位や太陽光を計算したというエピソードには驚嘆します。

「屋上庭園」オリーブの木とスカイツリー

「屋上庭園」オリーブの木とスカイツリー

写真:KISHI Satoru

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コンクリート造りのアトリエ棟には、天井近くまで届く作り付けの書棚が三面に設置された書斎もあります。その中に収められた洋書のほとんどは東京美術学校時代の恩師で、西洋美術史家の岩村透の旧蔵書。恩師が亡くなった後、その蔵書が古書店へ出回った際に朝倉文夫が買い戻したものです。

美術や書道関連の書籍、吉川英治の『宮本武蔵』などなど、様々な分野の書物が並んでいるので、タイトルを確認してみるのも面白いですよ。

次にアトリエ棟から、木造の住居棟へと入っていきましょう。中庭を左手に「応接室」から趣向を凝らした朝倉家の本来の玄関「天王寺玄関」を経て「ピアノの間」までが1階部分。

2階には黒壁に白の障子が美しいコントラストを織り成す「素心の間」、階段を上がるとバルコニーだった「北テラス」、さらに3階には砕いた瑪瑙(めのう)が施された壁、東側の窓から朝日が降り注ぐ大広間「朝陽の間」と続きます。

3階部分を抜けて、屋外に取り付けられた階段を上がると大きなオリーブの木が出迎えてくれる「屋上庭園」です。遠くに目を転じれば、墨田区押上にある東京スカイツリーも望める素晴らしい眺めです。

専門学校「朝倉彫塑塾」と“園芸”

専門学校「朝倉彫塑塾」と“園芸”

写真:KISHI Satoru

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専門学校「朝倉彫塑塾」を開校していた朝倉文夫は後進の指導の場として屋上を利用していました。塾生たちの必修科目のひとつ“園芸”の実習は、「屋上庭園」で行われたのです。
こちらでは実際に、大根や蕪(かぶ)、トマトなどを栽培。触覚を始めとする感覚や勘を養うために、自然や植物に親しむ事を指導していたのでした。

朝倉文夫は「墓守」の制作から主観ではなく、客観に重きを置いて作品に向かうようになります。別の言い方をすると、物事をありのままに表現する写実主義です。
このような経緯や芸術は自然を対象にしたものでなければならない、という考えから、後進の育成・指導に、“園芸”を取り入れていたのです。

「ウォーナー博士像」や門から「朝倉彫塑館」を見上げた際にも目に映る「砲丸」といった作品を間近で鑑賞できます。また谷中の町並みも堪能できて、とても開放感に溢れたスポットです。

東京都台東区谷中「朝倉彫塑館」のまとめ

雨天等によっては、「屋上庭園」が閉鎖となる場合もありますが、その際には晴天時には観ることが出来ない、雨水や雫が織り成す情緒溢れる「中庭」を楽しめます。

蘭栽培の温室だった「蘭の間」には、朝倉文夫の愛した動物、猫の作品が多く展示されています。猫が好きな方には特にオススメの空間です。

「朝倉彫塑館」は元々、個人の住宅であったため、館内は段差が多く畳敷きの廊下、和室もあるので、【靴下着用】のみにて鑑賞が可能です。スリッパやルームシューズは安全の確保と建物の保全という観点から使用できませんので御注意下さい。

「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」も認める“名勝”の美術館「朝倉彫塑館」。「中庭」や「屋上庭園」だけでなく、彫刻作品や建物など見所満載です。
以上、東京・谷中にある台東区立「朝倉彫塑館」の御紹介でした。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/26 訪問

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