俳句、詩、小説、随筆と多くの作品を生み出した文豪・室生犀星(むろお さいせい、1889年〜1962年)、本名・室生照道(てるみち)は石川県金沢市の出身。学校を出てからは金沢地方裁判所で働き、職場で盛んであった俳句と出会います。文学に傾倒し、詩人として身を立てるために上京。東京と金沢を行き来する生活が続きますが、後に東京・田端の町を愛し居を構えます。
1923年(大正12年)関東大震災のため、一時的に金沢に戻って来た際に故郷の山河や風物の美しさを再認識したのです。後に故郷の山河は「何度書いても飽きることのない鮮度を持ってゐる」とも記しています。
犀川(さいがわ)には“犀川大橋”、“桜橋”、“下菊橋”など金沢の景観を望める橋が多くあります。春には桜並木が川沿いを彩り、冬には雪化粧を施すといった四季折々の表情を堪能してみて下さい。
改めて故郷の山河に魅せられた室生犀星は本格的な庭造りを始めます。金沢、東京、夏に過ごす軽井沢と、各地で庭造りに情熱を注ぎ、1927年(昭和2年)には見事な作庭論を展開した『庭を造る人』を著したのです。
犀川の南東の方角には、白山連峰と医王山(いおうぜん)の山波が緩やかに伸びています。石川と富山の境にある標高939メートルの医王山。719年(養老3年)に白山開山の祖である泰澄大師(たいちょうだいし、682年〜767年)が開いたと伝わる修行・信仰の山です。
室生犀星が医王山に登ったのは、地方裁判所勤務時代の一回だけでしたが、折に触れて、筆を執っています。多くの名山が俗地俗山になってしまったが、医王山を未開の深山の趣き漂う山として好むといった主旨を書き残しています。
室生犀星が生涯その美しさを忘れずに愛惜したと言われる犀川の畔には、詩碑があります。設計は慶應義塾幼稚舎、後に帝国劇場も手掛けた金沢出身の建築家・谷口吉郎(たにぐち よしろう、1904年〜1979年)によるものです。
あんずよ
花着け
地ぞ早やに輝け
あんずよ花着け
あんずよ燃えよ
上述の「小景異情 その六」の詩が、室生犀星の直筆原稿から文字を写して刻まれています。右手には犀川の流れも見渡せる詩情の溢れる場所に石碑が建立されています。
筆名の「犀星」は、金沢出身の詩人・国府犀東(こくぶ さいとう、1873年〜1950年)に端を発します。自身が犀川の西側に住んでいた事から、「犀西」という名前を思い付き、“西”を“星”に変えて「犀星」としたが始まりです。
室生犀星は1889年(明治22年)、石川県金沢市に生まれます。父親は小畠弥左衛門吉種(こばたけ やざえもん よしたね)、母親は小畠家の女中。生後間も無く雨宝院の住職・室生真乗(むろお しんじょう)に預けられる事に。
1898年(明治31年)、8歳の時に実父・吉種が死去。その後に実母が行方不明となります。以上のような生い立ちと金沢の美しい山河が室生犀星の文学的出発と考えられています。
雨宝院は1595年(文禄4年)に創建された真言宗の寺院。室生犀星が幼少期を過ごした場所です。現在では、犀星の位牌を始め、自筆原稿や手紙などゆかりの品が展示されています。また山門の右手前には、自伝的小説『性に目覚める頃』の小説碑が建てられているので、是非チェックしてみて下さい。
雨宝院から歩いて約180メートルの場所には、入口には“室生犀星誕生地跡”と刻まれた石碑も立つ「室生犀星記念館」があります。室生犀星が生涯を通じて、愛して止まなかった庭造りへのオマージュとして、現代的にアレンジした二つの庭が配されています。
1階の天井まで飾られた全著作・初版本の表紙パネルは圧巻です。2階フロアでは室生犀星の肉声を聴いたり、犀星の詩・俳句と好きな写真を組み合わせたオリジナルポストカードの作成が出来たりと注目のポイントが沢山あります。
ミュージアムショップでは「室生犀星文学碑ガイドブック」(税込100円)も販売されています。こちらの小冊子をポケットに、室生犀星ゆかりの地を巡ってみてはいかがでしょうか。
直筆原稿や愛用の品々など展示された「室生犀星記念館」については、下部関連MEMOに詳しい紹介記事へのリンクがありますので、宜しければ、そちらも御確認下さい。
室生犀星は、同じく金沢出身の徳田秋聲(とくだ しゅうせい、1871年〜1943年)、泉鏡花(いずみ きょうか、1873年〜1939年)と共に“金沢三文豪”と呼ばれています。
金沢城公園の東側“白鳥路(はくちょうろ)”には、「碑はあるが像がない」といった市民からの声に応えて設置された、金沢三文豪の等身大の銅像が並んでいます。
室生犀星を始め、徳田秋聲、泉鏡花といった文豪たちに対して、地元の人々の親しみが感じられるエピソードの一つです。犀川や白山連峰、医王山などの景観を楽しみながら、豊穣な文化的風土も味わってみて下さい。
以上、石川県金沢市「室生犀星ゆかりの地」巡りの御紹介でした。
※「室生」の読みは一般に「むろう」も使用されていますが、室生犀星記念館では現在、室生家の御遺族が通常使用されている表記「むろお」に統一しています。当記事も室生犀星記念館に倣い「むろお」と表記しています。
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(2024/9/17更新)
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