震災を縁に建てられた「ドナルド・キーン・センター柏崎」日本文化・文学への篤い思いが伝わってくる!

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震災を縁に建てられた「ドナルド・キーン・センター柏崎」日本文化・文学への篤い思いが伝わってくる!

震災を縁に建てられた「ドナルド・キーン・センター柏崎」日本文化・文学への篤い思いが伝わってくる!

更新日:2016/05/01 17:10

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー

日本文学・文化を世界に向けて発信続けてきたドナルド・キーン氏。文化勲章も受賞された著名人ですが、東日本大震災を契機に日本に帰化されました。新潟県柏崎市には氏を記念して建てられた施設「ドナルド・キーン・センター柏崎」があります。この施設が建てられたのは震災が縁です。復興の1モデルとしてもここは貴重な施設。日本文化・文学に対する氏の篤い思いが伝わってきます。

日本文化・文学の伝道師〜ドナルド・キーン氏

日本文化・文学の伝道師〜ドナルド・キーン氏

写真:松縄 正彦

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ドナルド・キーンさんをご存じでしょうか?1922年生まれで米国コロンビア大学で56年間も日本文化を教えられ、東日本大震災後、2011年に日本に帰化された方です(現在は東京北区の名誉区民)。キーンさんと日本の出会いは18歳の時で、行きつけの本屋で「源氏物語」の訳本に出会ったのがきっかけです(これがなんと49セントだったとか)。

第二次世界大戦では米軍の通訳などとして来日。大学に戻った後、日本文化や文学を研究し、以後長くニューヨークから世界に向けて日本文化について発信してこられました。日本人にとって非常にありがたい方ですが、日本語という外国人にとって高い障壁を乗り越え、日本文化・文学を世界に伝えてこられた事には敬服せざるをえません。
キーンさんは、終戦直後には”金唐納”という名を名刺に使っておられましたが、現在の日本名は”鬼怒鳴門”(キーン・ドナルド)です。最初の名前は少し中国っぽい感じですが、名前の変化も日本との関係の深化や思いの変化なのかもしれません。

このキーンさんの「人」、「業績」、「日本への思い」また「今」を伝える施設「ドナルド・キーン・センター柏崎」(写真)が東京から離れた新潟県にあります。

ドナルド・キーン・センター柏崎

ドナルド・キーン・センター柏崎

写真:松縄 正彦

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この施設は1階にロビーやホールがあり、展示室は2階にあります。施設に入られたら、ロビーの情報検索コーナーにある大型スクリーン(写真)にまず注目してください。ここで、まずキーンさんの「人」を知る事ができます。

このタイプの紹介は一般的にあまり面白くないのが常ですが、このスクリーンでの紹介は非常にうまく構成されています。キーンさんの人柄が分かり、2階の展示を見てゆくとき大変参考になります。またスクリーンの反対側には図書閲覧コーナーがあり、キーンさんの著作を閲覧する事が可能です。

多彩な人的ネットワーク〜今も続く人との関係〜

多彩な人的ネットワーク〜今も続く人との関係〜

写真:松縄 正彦

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2階には、キーンさんの業績を系統樹として整理したパネルがあり、活動の全体像を知る事ができます。また、圧巻なのは、日本の作家達との交流が分かるメイン展示です。

元文部大臣の永井道夫氏とは日本留学時代に同じ下宿で出会い、三島由紀夫氏とは歌舞伎座で出会います。また60才の時に朝日新聞の客員編集委員になりましたが、その切っ掛けは司馬遼太郎氏の酒席での話がきっかけであったとか・・。また安倍公房氏も盟友でしたが、最初にコロンビア大学で出会った時の通訳がオノ・ヨーコ氏であった等々、人的ネットワークの幅広さには驚かされます。

展示室には、三島由紀夫氏からの最後の書簡、谷崎潤一郎・松子夫人の毛筆の署名入り寄せ書き帖、また川端康成氏からの書簡(これらはいずれもレプリカです)が展示されており、この著名な方々の筆跡から作家の個性などをも伺い知る事ができます。
また忘れてならないのは、このような著名人と人的ネットワークを構築できた人柄でしょう。さらに会うべき人を常にキーンさんに教えていた中央公論社社長の嶋中鵬二氏の存在です。人と人の関係を如何に大事にしていたかが良く分かります。

なお1階ロビーには山本寛斎さんの色紙とともに、福島県浪江町の方から送られた花が飾ってあります(写真)。直接ではなくとも、様々な人との交流が今も続いているのです。

ニューヨークの書斎〜「私は日本文学のすばらしさを伝えたい」〜

ニューヨークの書斎〜「私は日本文学のすばらしさを伝えたい」〜

写真:松縄 正彦

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2階には、日本文化を世界に向けて発信する基地であったニューヨークの書斎が復元されています。ここはキーンさんが日本に帰化する際、書斎を柏崎の地にそっくり復元したものなのです。

写真のように、机の正面には大きな本棚に本がびっしりと並べられています。机の後ろにはソファーが備えられており、訪ねて来た学生達とここでも交流できるようになっています。また書斎から見えるハドソン川の眺めも再現され(写真左手の窓)、非常に落ち着く書斎である事が分かります。またドビュッシーの『ピアノ前奏曲2(ヒースの荒野)』が書斎内に流され、ゆったりとリラックスできる書斎です。ここは仕事場(作業場)ではなく着想する場なのかもしれません。

「日本人の美意識」、「百代の過客」などの著作もここから生まれたのでしょうか。いろいろな楽しい空想が自然に湧きおこる場所です。ぜひソファーに座って見てください。少し高尚な気分になって来るはずです。

何故、柏崎に?〜震災がもたらす縁〜

ところで、なぜ新潟県の柏崎市にこのセンターがあるのか不思議に思いませんか?実は、2007年に起きた“中越地震”がそのきっかけ。震災からの復興の活動の1つが、キーンさんから提案があった古浄瑠璃「越後柏崎 弘知法印御伝記」の復活上演だったのです。これは元禄時代に海外に持ち出され、大英博物館で再発見された、日本には現存していない”古浄瑠璃”です。

これが300年ぶりに復活上演できた事で縁ができたのです。また実はこのセンター、運営母体はお菓子で知られる(株)ブルボンです。地元柏崎の有力企業なのですが、この(株)ブルボンも“関東大震災”を契機に菓子事業を起こされました。東日本大震災を契機に日本に帰化されたキーンさんと相まって、震災がもたらす縁でできたのがこのセンターという事になります。

地震大国の日本、これに負けずに復活する、というシンボルとしての役目もこのセンターにあるように思われます。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/04/16 訪問

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