かつての城下町を感じて巡る「兵庫県尼崎市」のおすすめスポット

かつての城下町を感じて巡る「兵庫県尼崎市」のおすすめスポット

更新日:2016/04/28 10:26

尼崎といえば町工場とギャンブルの町。しかし、この町は江戸時代を通して尼崎城を中心として発展してきた城下町。地元民の生活感あふれる都心となった阪神尼崎駅周辺には、意外や意外、かっての城下町の痕跡やレトロモダンな近代歴史的建造物などに加えて知られざるお宝スポットが点在します。

怨霊信仰の副産物の天満宮とは次元を異にする学問の神様・櫻井神社

怨霊信仰の副産物の天満宮とは次元を異にする学問の神様・櫻井神社
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明治15年に尼崎城内に建立された当社は、櫻井家の祖・信定公から16代忠興公までの歴代城主を祭神としています。

尼崎最後の城主・忠興公(櫻井松平)は、西南戦争(1877)において敵味方の区別なく戦傷者を看護し、博愛の精神を発揮したことで、国際赤十字社に認められ、明治20年日本赤十字社の生みの親となった人物です。桜井家代々の城主は、文学、芸能にすぐれ、学問の向上にも尽くされ、明治6年尼崎初の学校(元開明小学校)を建立しました。

以来、人の弱みに付け込む怨霊信仰でよみがえった菅原道真の天満宮とは異なり、近代啓蒙思想に起源をもつ近代的な学問の神様として、多くの受験生が訪れるかくれたパワースポットとなっています。

尼崎初の博愛幼稚園も明治23年に神社境内に建てられ、それを記念して建てられた博愛地蔵は、今も境内隅に現存し、子供たちの無事成長を祈願する人たちの手を合わせる姿が絶えません。

明治初期創業の「琴城ヒノデ阿免本舗」の水あめ

明治初期創業の「琴城ヒノデ阿免本舗」の水あめ
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最高級のもち米だけを用い、日本古来の製法で作られる水あめは、もち米の自然の甘さを引き出すため、発酵や火加減などを調整し、丁寧に作り上げられています。砂糖を使わない黄金色のあめはまさに絶品。
全国でも指折り数えるほどしか残っていない、知る人ぞしる昔ながらの飴屋さんには、身体にやさしいおやつとして、あるいは和食料亭の料理の下味づくりにと、取り寄せ依頼がつきないそうです。
かっての尼崎城下町の風情にぴったりの飴屋さん。散策の折りにはぜひ訪ねて疲れをいやしましょう。

庶民の夢の形「世界の貯金箱博物館」はすごいぞ

庶民の夢の形「世界の貯金箱博物館」はすごいぞ
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阪神尼崎駅南西すぐの寺町を抜けたところには貯金箱と暮らしをテーマにした尼崎信用金庫の私設「世界の貯金箱博物館」があります。ここには、我が国の縄文末から現代までのありとあらゆる貯金箱はいうまでもなく、ヨーロッパ、南北アメリカ、アジア、中東など世界62ケ国の古今の貯金箱約13000点が企画展、常設展の形で処せましと展示されています。

楽しい仕掛けのある貯金箱、それぞれの国のお金にまつわる文化的背景から生まれてきた珍しい貯金箱など本当に多種多彩。
映画「スターウォーズ」のキャラクターを模した初代作品から現代までのすべての貯金箱や鉄道ファン垂涎の的のJRの新車両制作の際のモデル貯金箱、新幹線開通記念のプレミアムもの。そしてうれしいことには触って楽しめるからくり貯金箱も随所においてあります。また、物資が極度に不足した戦時中の紙製の貯金箱には泣かされます。
ほほえましくも楽しい展示は、係員の巧みな解説でさらに抱腹絶倒、愉快なことこの上ありません。

隣には同じく尼崎信用金庫の創業80周年を記念して建てられた尼信会館があり、尼崎市指定文化財と世界のコインミュージアムを常設。
また阪神間在住のアーティストのさまざまな個展も開かれており、時間があればのぞかなければ絶対損をする企画が目白押しです。

文明開化のエキゾティズムのシンボル・煉瓦づくりの建物群

文明開化のエキゾティズムのシンボル・煉瓦づくりの建物群
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尼崎駅南には、尼崎信用金庫の創業時の本店建物(写真)からユニチカ記念館、そして阪神電鉄旧尼崎発電所の赤レンガの建物群が点在し、尼崎城址公園には石垣の城壁が整備され、尼崎城再建プランも着々と進められています。旧尼崎警察署には実際に使用された留置所が保存されており、ドラマのロケ地として撮影が行われたり音楽イベントなどで公開。

また、室戸台風復興事業一環として建てられた小学校を増改築し現在の形になった市役所の開明庁舎と村野藤吉さんの設計した眺める方向によって外観が異なる建物の旧大庄村役場(現公民館)は、それぞれ国の登録有形文化財に指定されています。

駅界隈を小一時間歩くだけでもレトロモダン建築のミニアルバムができるほどの集中ぶり。
とってつけたような観光地とは一味もふた味も違うさりげない表情の中にきらりと輝くものを湛えた尼崎は、建築ファンならずともたまらない魅力を以って迫ってきます。

おわりに

一説に「海が幸」が語源とされる尼崎は古代より海運の拠点として栄えた町。尼崎城はそうした地政学的な意味あいからも重要で、元和13(1617)年大津から譜代大名にして城作りの名手の誉れ高い戸田氏鉄が入部、築城しました。
工場の町尼崎の都心にもかかわらず、そんな城下町の面影は随所に残され、明治以降も海運にまつわる商社がひしめいたこともあってレトロモダンな歴史的建造物も数多く残されています。地元の人もあまり知らないお宝スポットはまだまだありますので、追々ご紹介したいと思います。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/24 訪問

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