明治40年に、有栖川宮威仁(たけひと)親王殿下が東北地方ご旅行中、立ち寄られた猪苗代湖畔の美しさに魅せられ、建設を決定し、翌年の明治41年に竣工されました。同年9月に当時の皇太子嘉仁(よしひと)親王殿下(大正天皇)が5日間滞在され、「天鏡閣」と命名されました。名のいわれは、李白の句「明湖落天鏡」に由来します。
本館は二階建て天然スレート葺きで、建築面積492平米、延べ床面積927平米で、一階は主に食堂や客間など接客用に、二階は寝室や居間、書斎(御座所)などプライベート用に配置されています。
館内では、明治時代のドレスの試着しての記念撮影や見学が可能です。
有栖川宮家は、江戸時代初期に後陽成天皇の第七皇子の初代好仁(よしひと)親王が高松宮を創始し、四代の正仁(ただひと)親王が京都の代々墓所付近を流れる川の名にちなみ有栖川宮と改称した名門の宮家です。十代の威仁親王の異母兄は、九代熾仁(たるひと)親王で戊辰戦争や西南戦争で活躍しました。東京広尾の有栖川宮記念公園にある馬に乗った銅像の方です。
威仁親王のご子息 栽仁(たねひと)親王が明治41年22歳で亡くなって、威仁親王が有栖川宮家最後となり、大正2年に51歳で亡くなられ廃絶しましたが、孫の喜久子妃が嫁いだ高松宮宣仁(のぶひと)親王が祭祀を継承しました。
また、天鏡閣から約300mの場所には、「旧高松宮翁島別邸」も現存します。高松宮宣仁親王殿下が喜久子妃殿下の祖母、有栖川宮威仁親王妃慰子殿下のご静養の場として大正11年に建築された純日本風の建物です。現在は下賜され福島県迎賓館となっており、期間限定で一般公開されています。
現在の入口は、元の調理所を改装した場所です。受付と売店になっており、こちらで靴を脱いで館内に上がります。
当時の玄関を入ってすぐの場所にある食堂は、10人掛けの大きなテーブルがあり、広々としています。現在は樹木が茂り見えませんが、当時は眼下に猪苗代湖が見渡せた大きな窓には豪華なカーテン。じゅうたんもフワフワです。
天井からは一段と豪華なシャンデリアが吊るされ、暖炉とその上の大きな飾り付きの鏡が印象的です。
一階の奥には、撞球室(ビリヤード球戯室)あり、明治時代の洋館ならではです。
また、廊下には殿下ご愛用のゴルフセットも置かれ、皇室ならではの高貴なご趣味ぶりも伺えます。
園内の売店では、当時はまだ珍しかった牛肉を使用した、名物の天鏡閣ケレーライス(カレーライス)やコロッケレー(カレーコロッケ)、ケレーパン(カレーパン)などが販売され、屋外の庭園で食事ができます。また、天鏡閣の入口で申込むと、限定のケーキと紅茶のセットを館内の食堂でいただけます。当時の豪華な雰囲気でティータイムを過ごしてみませんか?
大正13年8月に、東宮(昭和天皇)が妃殿下と、ご成婚後初の旅行でひと夏滞在されました。
その当時ご利用され、その後も皇室関係の方がたびたび利用された、旧国鉄翁島駅の駅舎(貴賓室)が猪苗代町内の緑の村で移築保存されています。
現在は、「駅舎亭」という食事処として、お蕎麦などをいただけます。
天鏡閣からは、車で約20分です。いなわしろカワセミ水族館や釣り堀などもあるので、足をのばしてはいかがですか?
また、国道から天鏡閣への分岐点の猪苗代湖の長浜は、遊覧船「はくちょう丸」と「かめ丸」の発着点で湖上遊覧が楽しめます。冬期には白鳥の飛来地としても知られています。
猪苗代湖と磐梯山の自然に囲まれた猪苗代町で、明治時代の洋館別邸のロイヤル気分を体感してみませんか?
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