金沢だけじゃない!加賀藩前田家の遺した富山県「高岡古城公園」

金沢だけじゃない!加賀藩前田家の遺した富山県「高岡古城公園」

更新日:2016/04/30 21:23

北陸新幹線の開業以降、ぐんと身近になったと言われる北陸地方。新幹線の終点・金沢の加賀百万石の文化に注目が集まりますが、実はお隣の富山県もかつては前田家の治める領地でした。富山県第2の都市高岡市には、2代目藩主前田利長が隠居した高岡城跡が城址公園として保存されています。
兼六園の3倍の面積を有し、野趣溢れるこの「高岡古城公園」を今回は紹介したいと思います。

城址公園だけど存在しない城。一体なぜ?

城址公園だけど存在しない城。一体なぜ?
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前田家の初代藩主利家は、大河ドラマ『利家とまつ』でも有名な、傾奇者(かぶきもの)との異名を持った血気盛んな戦国大名。信長、秀吉に仕えてその功績が認められ、加賀藩の領主となりました。
利家は1599年に亡くなっており、その長男・前田利長(としなが)が関ヶ原の戦いに参戦し、122万5千石を支配する日本最大の藩・加賀藩が成立した際の2代目藩主となります。

利長には男子が生まれず、利長とは異母兄弟である利家の四男である利常(としつね)を養子とし、1605年、家督を譲り、利長は冨山に隠居します。

このときなんと利常は若干11歳です。というのも、かつて家康が加賀征伐を強行しようとした際に、なんとかそれを取りやめてもらうため、まつを人質として江戸に差し出したのと同時に、家康の内孫である珠姫との結婚も決められた利常を少しでも早く藩主にすることは、政治的に意味のあることだったと推測されます。珠姫が加賀藩に嫁いだのは3歳のときでした。

しかし、11歳の利常に何ができたというのでしょう? 実は隠居したことになっていた利長が富山に居住しながら、彼の右腕といわれていた高山右近に金沢での実際のまつりごとを執り行わせていたとも言われています。

最初は富山城に隠居していた利長ですが、火災によって焼失したために、いったんは魚津市に移りました。そして1609年、いよいよ利長は高岡城に入城します。

しかし、1614年に利長が死去し、翌年1615年に一国一城令が制定されて高岡城は廃城となってしまうのです。築城途中で廃城となってしまったゆえに、高岡古城公園には、壮麗な天守閣といったような実際の建築物は存在しないのです。

この高岡城跡が、明治に公園として指定され、市民の憩いの場として今日まで愛されてきました。

現存する苔むした石垣には古代ミステリーが?

現存する苔むした石垣には古代ミステリーが?
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さて、古城公園には城の建物はまったく残っていませんが、築城当時から残る貴重な石垣が見所。公園敷地内にある射水神社に向かう道の左手のお濠に、それが残っています。石垣のすぐそばをお濠端まで降りてゆく階段があり、これを降りると石垣の眺めを堪能できます。辺りのお濠の水面はびっしりと水生植物に覆われており、苔むした石垣の様相と相まって、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような雰囲気が漂っています。

また、石垣を説明した立て札には面白いことが書いてあります。曰く「この石垣の石には色々な文字や文様が刻印されており、キリシタンに関係しているという説もある」のだそう。江戸時代にキリシタン?とビックリしてしまいますが、高岡城に隠居した2代目藩主利長の右腕と言われていた、キリシタン大名として有名な高山右近がこの城の築城に関わっていたと言われています。

さて、右近は元々は大阪の高槻城主でした。秀吉のバテレン追放令後、苦しい立場に置かれていたのですが、前田利家が保護する形で右近を加賀藩に招いたのです。徳川家康によるキリシタン国外追放令によってマニラに追放されるまで、加賀藩で暮らし、まつりごとを手伝って生きていたと言われています。特に利長に気に入られて重用され、もともと高槻城主としても培ったノウハウを活かして活躍していたのかもしれませんね。

さて、石垣の石の中には、確かに「Φ」といったような、なにか西洋をイメージさせる文様が刻まれたものがあるという写真を、資料などで確認することができます。単に石工たちがつけた作業に必要な目印だったという説もあるのですが、もしかして、キリスト教にまつわるおまじないかなにかだったのだろうか?などと想像するのもまた一興ですね。

例えば、南イタリアのアルベロベッロのトゥルッリの屋根に描かれたシンボルマークと似ているような気もします。アルベロベッロのシンボルは中世の魔よけであったり、キリスト教に関係する言葉のアナグラムを図案化したものであると言われていますが、キリスト教徒であった右近が築城の際に、魔よけなどの願いを込めたとしても決して不思議ではない気がしてしまいます。

森林浴をしながらゆったり散歩

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さて、さきほど石垣を見るために下りた石段はそのまま、城を守るために掘られたお濠に沿った細い遊歩道に繋がっています。水際に、舗装もされていない細い道が続きます。あまり人通りもなく、聞こえるのは鳥の声と、たまにお濠の魚が跳ねる水音くらい。

ずらっと植えられているのはソメイヨシノで、春には見事な花のアーチになりますし、夏は緑陰が涼しげな小径となります。雪国冨山ですから、冬場も真っ白な樹木の連なるメルヘンチックな眺めが楽しめ、筆者のもっともおすすめする古城公園のスポットがこの静かな遊歩道です。

水際特有の清冽な空気と緑の吐き出す新鮮な空気。そして静けさと歴史の趣き。都会から観光にくる方にとって、こんな場所こそが贅沢な空間なのではないかと思います。

お濠をゆく遊覧船に乗って

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さてお濠には遊覧船、その名も「利長号」「利常号」が運行していて、小さなお子様連れを中心に人気を博しています。乗船場所など詳しいことはMEMOにある公式サイトを参考にしてください。

公園内は、手入れがまったくなされていないわけではないのですが、整然とした兼六園などと比べると、鬱蒼とした樹林がそこここに存在して、自然のありのままの雰囲気を満喫することができます。

公園内には他にも、入園無料の動物園、お子様向けの遊具の揃ったスペース、芝生の広大な広場などが点在しています。

また、「銅器の町高岡」の伝統産業である銅器製造の技術を用いた、日本の代表的な彫刻作家の作品18点が敷地内に設置してあるのでぜひこれらも鑑賞してみてください。芸術家の作品以外にも、前田利長や高山右近像も見られますよ。

散歩の休憩には地元の野菜をふんだんに使ったカフェでひとやすみ!

散歩の休憩には地元の野菜をふんだんに使ったカフェでひとやすみ!
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古城公園に来たら、散策の休憩がてらぜひ利用していただきたいのがカフェmimpi(ミンピ)です。もともと野菜作りを趣味としていた店主が、作った野菜を、野菜ソムリエの奥さんが調理して提供するというコンセプトのお店です。

全ての野菜を自分の畑からはまかなえないながらも、食材はなるべく顔の見える地元の農家などから仕入れているそうです。

米は富山県産コシヒカリを使用し、玄米よりも食べやすく白米よりも栄養価の高い「五分つき」の状態で精米しているそうです。味噌や醤油も富山県産のものを使い、ランチのお膳につくお茶は富山県小矢部産のはと麦茶。コーヒー、紅茶、ハーブティはいずれも有機JAS認定で、パスタまで有機JAS認定というこだわりようです。

お客の健康や安全を第一に考えているのがひしひしと伝わってきます。もちろん料理はどれも優しい味わいで、文句なしに美味しいです。写真は店の人気メニューの1つ、オーガニックのラベンダーティー。さわやかな香りで、長く歩いた疲れも吹き飛びます。

このカフェは、高岡駅から古城公園を結ぶ道路沿いにあります。すぐ目の前の古城公園の美しい風景が見渡せて、美味しい料理共々楽しめます。

いかがでしたか?

加賀藩前田家といえば金沢ばかりがクローズアップされますが、実は前田家にちなむ隠れた名所が富山県にもいくつも存在します。利長が高岡城に入城し高岡を開町した際に、町の発展のために職人を呼び寄せたことから発展してきた高岡の銅器製造、その技術を活かした高岡大仏などもぜひ併せて見学してみてくださいね。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/04/29 訪問

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