真田昌幸も攻めた!荒川に臨む断崖絶壁の巨大要塞 埼玉「鉢形城」絶景の玉淀河原も必見

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真田昌幸も攻めた!荒川に臨む断崖絶壁の巨大要塞 埼玉「鉢形城」絶景の玉淀河原も必見

真田昌幸も攻めた!荒川に臨む断崖絶壁の巨大要塞 埼玉「鉢形城」絶景の玉淀河原も必見

更新日:2016/05/06 10:06

埼玉県北西部、大里郡寄居町にある鉢形城跡は日本100名城にも選ばれ、関東でも有数の規模を誇ります。戦国時代、秀吉の小田原攻めの際は、真田昌幸も攻城軍に加わった重要な城でした。豊かな自然をバックにした広大な敷地は鉢形城公園として整備されており、歴史を感じながらのハイキングも良いでしょう。

戦国の空気を感じる復元土塁

戦国の空気を感じる復元土塁
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鉢形城は、文明8年(1476年)、長尾景春が築いた平山城です。後に戦国時代に関東を掌中に治めた後北条氏の四代・氏政の弟である北条氏邦が整備拡張し、現在の規模になりました。平成9年から13年にかけて町による発掘調査が行われ、現在、土塁や門が綺麗に復元されています。
歩いて回ると、その規模に圧倒されます。自然に囲まれた静けさと復元された遺構により、どこか戦国らしい緊張感のある空気を感じることができます。

上杉景勝や真田昌幸らによる激しい攻城戦

上杉景勝や真田昌幸らによる激しい攻城戦
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天正18年(1590年)、秀吉による天下統一の総仕上げである小田原攻めの際は、北方の重要な支城として、前田利家や上杉景勝、真田昌幸らの連合軍に包囲され、攻防戦が繰り広げられました。攻城軍の昌幸ら諸将も、秀吉への忠誠心を示す証として必死の戦いでした。一か月の籠城の末、北条氏邦は城兵の助命を条件に開城し、自らは出家し加賀の前田氏に預けられました。

断崖絶壁に築かれた「天然の要害」

断崖絶壁に築かれた「天然の要害」
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鉢形城が位置するのは荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上であり、まさに「天然の要害」です。特に本丸址の碑が建つ本曲輪からは、高所から荒川を真下に見下ろすことができ、おすすめのビューポイントです。川を挟んで敵と対峙した籠城戦の気分を想像してみて下さい。

県指定名勝・玉淀河原

県指定名勝・玉淀河原
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城の目の前に流れる荒川の河原は、県指定の名勝にも指定されています。玉淀というのは、「玉のように美しい水の淀み」という意味で名付けられました。長瀞の下流にあたり、荒川が作り出した特徴的な地形があり、文豪・田山花袋も、「東京付近でこれほど雄大な眺めの渓谷は他にない」と絶賛した景色です。本曲輪には、田山花袋の碑もあります。

歴史館でもっと北条氏邦を知ろう

歴史館でもっと北条氏邦を知ろう
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さて、北条氏邦とはどんな人物だったのでしょうか?兄・氏政が一部ではあまり良い評価をされていないのに対し、弟である氏邦のほうが武勇の誉れ高く、将器であったとも言われています。氏邦の定めた軍法により厳しく統制された鉢形城の家臣団は、装備と装飾を黒で統一していたことから、「黒備えの軍団」として恐れられました。

外曲輪の一角にある鉢形城歴史館では、その北条氏邦の業績について、ジオラマや映像で分かりやすく展示しています。

おわりに

公園内にはほかにも、春には見事に咲き誇るエドヒガンザクラ、「春の妖精」とも言われる可愛いカタクリの群生地など、自然の見どころもたくさんあります。
また、毎年5月には合戦を再現した「北条まつり」も開催しております。

アクセスは、関越道花園ICからすぐ、または寄居駅から徒歩25分です。東京から2時間ほどですが、自然と歴史の織りなす景色に、ロマンを感じに行きましょう!

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/27 訪問

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