飛鳥時代の瓦がいまなお屋根に!?奈良市の世界遺産・元興寺

飛鳥時代の瓦がいまなお屋根に!?奈良市の世界遺産・元興寺

更新日:2016/05/06 09:11

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
世界遺産に登録されている奈良市の観光スポットといえば、東大寺や興福寺を思い浮かべる方が多いでしょう。そんな有名寺院のすぐ近くに、もう一つ、世界遺産が存在します。「ならまち」(奈良町)の元興寺です。東大寺や興福寺よりも古い歴史を持つ元興寺では、創建当時の屋根瓦がいまなお部材として使われており、訪れるものを驚かせてくれます。今回は意外と知られていない世界遺産・元興寺の魅力をご紹介しましょう。

創建は飛鳥時代!日本最古の寺院を起源に持つ元興寺

創建は飛鳥時代!日本最古の寺院を起源に持つ元興寺

写真:乾口 達司

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奈良市の旧市街地に当たる「ならまち」(奈良町)は町屋が軒を連ねる独特の風情が好まれ、連日多くの観光客でにぎわっています。そんな「ならまち」の一角にひっそりたたずんでいるのが、今回ご紹介する元興寺(がんごうじ)です。

その創建は飛鳥時代。蘇我馬子によって建立された日本ではじめての寺院・法興寺(飛鳥寺)がその前身にあたります。平城京への遷都にともない、現在の地に移されましたが、その寺域は南北約440メートル、東西約220メートルで、興福寺や東大寺に匹敵する巨大寺院でした。

しかし、平安時代に入ると徐々に衰退。中世に入ると、天災や土一揆などの勃発によって伽藍の荒廃が決定的となり、それに代わって寺域に数多くの民家が立ち並びはじめました。それが現在の「ならまち」です。そんななか、智光法師によって感得されたいわゆる「智光曼荼羅」をまつる塔頭の極楽院が聖徳太子信仰・地蔵信仰を中心とした民間信仰のメッカとなり、やがて自立。現在、狭義の元興寺といえば、この極楽院の後裔に当たる極楽坊を指します。

写真は極楽坊の中心施設である極楽堂。現在、国宝に指定されています。「智光曼荼羅」はこちらでまつられていたため、曼荼羅堂とも呼ばれていました。

飛鳥時代の屋根瓦は必見!禅室および極楽堂の屋根

飛鳥時代の屋根瓦は必見!禅室および極楽堂の屋根

写真:乾口 達司

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左手の建物は極楽堂の西側に建つ国宝・禅室。多くの部分で手が加えられているものの、もとは僧侶の寝起きする僧房として使われていました。写真はその禅室と極楽堂の屋根をクローズアップしたものですが、どうしてわざわざ屋根などに注目したか、おわかりになりますか?

実は禅室南面と極楽堂西面の屋根には、元興寺の源流に当たる法興寺創建当初の軒平瓦がいまなお使われているのです。つまり、蘇我馬子や聖徳太子が活躍した飛鳥時代の瓦が現役で禅室や極楽堂の屋根を飾っているのです。その独特の並べ方は一般に「行基葺」(ぎょうきぶき)と呼ばれていますが、1400年前の瓦が破損もせずにいまも使われていること、驚きませんか?元興寺において、ぜひ、ご覧いただきたい箇所です。

元興寺は石造物のメッカ!圧倒的な数を誇る石塔・石仏群「浮図田」

元興寺は石造物のメッカ!圧倒的な数を誇る石塔・石仏群「浮図田」

写真:乾口 達司

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境内の南西部分では、ご覧のような数多くの石塔・石仏が所狭しと並べられています。これは「浮図田」(ふとでん)と呼ばれている区画であり、中世から近世にかけて奉納された石造物によって占められています。そう、元興寺は石造物のメッカでもあるのです。石塔や石仏に関心のある方は特に必見です。

国宝・五重小塔は必見!元興寺に伝わる貴重な文化財の宝庫「法輪館」

国宝・五重小塔は必見!元興寺に伝わる貴重な文化財の宝庫「法輪館」

写真:乾口 達司

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元興寺に伝わる貴重な文化財の多くは、境内南隅に建つ「法輪館」に収蔵・展示されています。館内には平安時代中期の作である大きな阿弥陀如来坐像(国重要文化財)や鎌倉時代の作である聖徳太子立像 (国重要文化財)を筆頭に、中世以降、庶民より奉納された木造の千体仏・小塔など、元興寺の豊かな歴史を学ぶのに役立つ貴重な文化財が数多く収蔵されています。なかでも、1階中央にそびえる奈良時代の五重小塔(国宝)は必見。ぜひ、法輪館にもお立ち寄りください。

お寺の境内に保育園!?極楽坊保育園発祥の碑

お寺の境内に保育園!?極楽坊保育園発祥の碑

写真:乾口 達司

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境内を巡っていると、「極楽坊保育園発祥之處」と刻まれた写真の石碑を目にする方もいらっしゃるでしょう。えっ?お寺に保育園!?と驚かれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

児童福祉法にもとづく保育所として、元興寺の境内に極楽院保育所が開設されたのは、昭和24年のこと。当時は、現在、奈良県指定の文化財に登録されている小子坊が保育所として使われていたのでした。極楽院保育所は、その後、「極楽坊保育園」と名をあらため、昭和35年、現在の高畑地区に移転しましたが、奈良でもっとも古い保育園の一つが、ここ、元興寺の境内にあったということ、ご存じでしたか?

おわりに

世界遺産・元興寺の過去から現在にいたる歴史とその魅力、おわかりいただけたでしょうか。飛鳥時代の屋根瓦に代表されるように、いまなお古代以来の法統を守り続けている元興寺を訪れ、その豊かな歴史と貴重な文化財の数々をご堪能下さい。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/05/02 訪問

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