長良川に守られ、平野のなかに切り立つようそびえ立つ金華山(旧・稲葉山)頂上にある岐阜城。現在築城されている城郭のうちでは有数の高さ(標高329m)にあります。
山の麓には岐阜公園があり、また長良川のこのあたりは5月から10月まで鵜飼を観光できます。周辺には川原町の古い街並みが残り、岐阜市の観光スポットとなっています。
写真は川を挟んだところにある岐阜都ホテルの部屋からの景色です。
ちょうどよく距離があり、岐阜城の全景を楽しめる場所に位置していてオススメです。最上階にあるバーから夜にはライトアップした城が楽しめます。
麓から岐阜城のある山頂まではハイキングコースがいくつかあり、周辺は国有林で自然が多く残り、山歩きが楽しめる場所です。
ただ他にも、ロープウェイで頂上近くまで上がれるルートもあります。それでも駅から先は、急な石造りの階段もあるので短い距離とはいえ安全な靴で向かった方が良いでしょう。
頂上までの道のり途中、気分は戦国武将。
これほど険しい道のりを鎧を着て登っていたなんて..などと想像しつつロープウェーを降りたら5〜10分ほどで頂上です。
山頂からの眺めは、山が切り立っているため足元まで俯瞰でき、また広い美濃平野がひろがっているためずっと先まで見通すことができます。この壮大なスケール感はぜひとも実際に目の当たりにしてほしいところです。
戦国時代、敵の進軍はまるわかりだったのではないでしょうか。信長以前からも難攻不落の砦として誰もが欲しがる重要な軍事拠点だったことが実感できます。
ちょうど写真で長良川が流れる方向に京都がありますが、さえぎるものは何もないように感じられる絶景です。(注:川は途中から南方に曲がり、伊勢湾に流れ込みます)
信長は岐阜城に入ってから「天下布武」の印を使い始めます。『美濃を制すものは天下を制す』と言われるこの地勢をおさえ、京に上ると勢いを得たのでしょうか。
そんな気分にさせる景色です。
頂上付近には、岐阜城を攻め落とす際、裏手から侵入した豊臣秀吉がひょうたんを振って味方に合図を送った場所(これが秀吉の馬印の千成ひょうたんの始まりと言われています)、他にもろう城中使用する井戸跡などがあります。
山の麓では信長公居館が発掘中です。
岐阜公園内で公居館跡の通路や土塁は公開されていますが、発掘中の現場は立ち入り禁止のため見ることができません。真上を通るロープウェーからは全貌がわかるので、片道はロープウェーに乗ってご覧になってみるのも興味深いと思います。
観光地としてはそれほど派手さのない岐阜県ですが、戦国時代ファンとしては岐阜城付近だけでお腹いっぱいになるほど見応えがありました。
「バビロンの賑わいのようであった」と宣教師フロイスに言われていた信長治世時の楽市楽座の城下町を想像してみたり・・、現地に赴いて自分で歩いてみるとわかることや感じられることがたくさんあります。
金華山は風水でいう「龍脈(地中を流れる気の通り道)」の開始の山にあたり、大地のエネルギーが最も強く集まる場所と言われています。風水ではそのパワーを得ることにより繁栄できると考えられています。
その金華山の頂上に岐阜城はあります。実は城を建てる位置がやや良くなかったようで、それさえ間違わなければここが都になっていたと言われるほど。
風水上の意味は脇に置いたとしても、岐阜城からの壮大な眺めや、そこで感じられる清々しさは今も昔も変わらないでしょう。
岐阜城を獲ったからこそ織田信長は天下統一できたと言われることもあります。こういう場所だからこそ、第六感や直感が磨かれ天才的な戦略を考えつくことができたのかもしれません。
霊感の無い私にもそんな風に思える素晴らしい史跡でした。
岐阜は名古屋からも程近く、電車移動で便利な範囲にたくさんの重要史跡があり旅行先としてはとても魅力的な場所です。
例えば国宝の犬山城や、信長絡みでは清須城や小牧山城などです。その一部、岐阜城についてここにまとめましたが、ぜひ実際に行かれてみることをおすすめします。
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