写真:乾口 達司
地図を見る奈良時代の金銅仏である金銅薬師如来倚像(毎年春と秋に特別公開)を本尊とする正暦寺(しょうりゃくじ)は、正暦3年(992)、藤原兼家の子息・兼俊僧正によって創建されました。最盛期には86の堂塔が建ち並んでいたとのこと。しかし、治承4年(1180)の平氏による南都焼き討ちによって荒廃。その後も復興と荒廃を繰り返し、現在は本堂や鐘楼、塔頭の福寿院がわずかに残るばかりです。
写真は、国の重要文化財に指定されている福寿院からの眺め。菩提仙川を挟んだ対岸の山々が新緑に彩られており、見るものを落ち着いた気持ちにさせてくれます。まさしく深山幽谷といった雰囲気ですが、それだけにかつて周辺に86もの堂塔がひしめいていたとは想像出来ません。それほどあたりはひっそり静まり返っています。静かにお寺の雰囲気にひたりたい方は、ぜひ、福寿院の縁側に腰をおろしてくつろぎましょう。
写真:乾口 達司
地図を見るもちろん、新緑は福寿院からのみ眺められるわけではありません。参道からもたくさんの新緑を堪能出来ます。特に福寿院から本堂までのあいだは新緑一色で静寂そのもの。菩提仙川のせせらぎとセットで新緑を満喫して下さい。
写真:乾口 達司
地図を見る本堂下の石段の脇には、ご覧のような石塔群を見ることが出来ます。境内各地にちらばっていたものを集めて並べたのでしょうか。上部には3基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)がそびえ、下段左右には十三重の石造層塔が2基安置されています。そして、そのあいだには、宝篋印塔などを刻んだたくさんの板碑が階段状に並べられています。新緑とのコントラストが印象的ですよ。
写真:乾口 達司
地図を見る上で紹介したように、正暦寺は石造物の宝庫でもあります。写真は参道沿いの南大門跡にたたずむ「泣き笑い地蔵」。右手が泣き地蔵で、室町時代から安土桃山時代の作と考えられています。左側が笑い地蔵。光背に「享禄四年」(1531年)の銘が刻まれています。
写真:乾口 達司
地図を見る福寿院を訪れたら、ご覧のように、日本酒がずらりと並べられていることにお気づきになるはず。お寺でお酒!?と思われる方も多いでしょう。実はこの正暦寺、日本の清酒発祥の地なのです。
中世になると、神仏に捧げることを目的として、各地の寺院でお酒(僧坊酒)作りがはじまります。正暦寺では現代の酒造技術の原形となる製法がいち早く確立されていたといわれており、近年は毎年1月に酒母の仕込みをおこない、奈良県各地の蔵元がその酒母を持ち帰ってお酒造りをおこなっています。
写真は正暦寺の酒母で作られたお酒の数々。もちろん、その場で買い求めることも出来るため、日本酒好きの方は記念にお土産としてお買い求めになってはいかがでしょうか。
正暦寺の魅力、おわかりいただけたでしょうか。新緑一色の世界の魅力はもちろん、街中の喧騒からも逃れることが出来るため、名の知れた有名寺院の観光に飽きた方には、特にお勧め。深山幽谷の雰囲気を残す正暦寺を訪れ、新緑と静寂とをご堪能下さい。
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この記事を書いたナビゲーター
乾口 達司
これまでは日本文学や歴史学の世界で培った見識にもとづいて数多くの評論や書評を執筆してまいりました。奈良生まれ、奈良育ちの生粋の奈良っ子。奈良といえば日本を代表する観光地の一つですが、地元民の立場からい…
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(2025/2/11更新)
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