沼津駅と千本松原の間に位置する千本山「乗運寺」は自然の緑や寺院の建築、そして周辺の町並みが調和した場所。1994年(平成6年)には、“乗運寺とその周辺”として静岡県都市景観賞の優秀賞を受賞し、山門の手前には記念の石碑が設置されています。
浄土宗・京都知恩院の末寺。徳川家康の四男・松平忠吉の後見役で三枚橋城の城主・松平康親(まつだいら やすちか、1521年〜1583年)、第9代将軍・徳川家重、第10代将軍・徳川家治の老中を務めた沼津藩初代藩主・水野忠友(みずの ただとも、1731年〜1802年)の菩提所でもあります。
※水野忠友の墓所は現在、東京都文京区小石川にある傳通院の元塔中寺院・真珠院。
大小様々な草木が生い茂り清涼な「乗運寺」には、沼津の“千本松原”を愛した歌人・若山牧水(わかやま ぼくすい、1885年〜1928年)の墓があり、また寺内で漢文の講座「斯道会」を開いていた池谷観海(いけたに かんかい、1863年〜1940年)の碑も。その碑には交流のあった記者・評論家である徳富蘇峰の筆によって“観海先生留魂碑”と刻まれている点も注目です。
また戦乱のために荒廃してしまった“千本松原”を再生させ、同時に「乗運寺」を開創した増誉上人の像が建てられています。約500年もの歴史を持つ寺院をゆっくりお参りしてみましょう。
比叡山・延暦寺の阿闍梨(あじゃり)乗運の弟である増誉上人は知恩院で学んだ後に修行のため諸国を巡っていました。その折、沼津の地を訪れ、以前までは鬱蒼と生い茂っていた“千本松原”が戦乱により伐り倒され、地元の住民が潮風の被害を苦しんでいるのを知ります。
荒い石が多く砂地が少ない土壌に加えて海からの強風。“千本松原”の再生は困難を極めましたが、お経を唱えながら一本ずつ松苗を植え続けること数年、千本の松を根付かせたのです。人々は増誉上人に感謝し、庵を建立。1537年(天文6年)、千本山「乗運寺」の開創となります。境内には松苗を植える増誉上人の像が建立され、その徳行を称えています。
宮崎県生まれの歌人・若山牧水は沼津の風土に魅せられ家族と共に移住。特に“千本松原”を愛し、伐採計画が明らかになった際には反対運動の先頭に立ち保護を訴えました。
“千本松原”から程近い「乗運寺」には、若山牧水、妻・喜志子、長男・旅人の墓があります。墓前には、石柱が建てられ、左手に牧水、右手に妻・喜志子の作の短歌が詠まれています。
聞きゐつつたのしくもあるか松風の今は夢ともうつつともきこゆ
牧水
古里の赤石山のましろ雪わがゐる春のうみべより見ゆ
喜志子
「乗運寺」は1945年(昭和20年)の戦災により焼失しましたが1965年(昭和40年)に客式本堂、1973年(昭和48年)に集会堂(しゅえどう)・庫裏(くり)が完成し、現在に至ります。
緑の豊かな境内には小石を用いた庭園・枯山水も整っています。本堂への階段を上がって、本堂正面付近から振り返ると、その全景を眺めやすくなります。
周りを草木に覆われた境内の心地良い静寂と見事な広さを持つ枯山水。様々な歴史を感じ感じながら、心清められる雰囲気を存分に味わってみて下さい。
緑豊かな境内に、枯山水もある静謐さが漂う浄土宗の寺院「乗運寺」。沼津駅からは歩いて約15分と、散歩にもオススメです。
「乗運寺」から西に向って直ぐの“千本松原”には、増誉上人の立像を始め、全国で最初に建てられた若山牧水・歌碑などもあります。また南に向かえば“沼津市若山牧水記念館”がありますので、そちらも併せて足を運んでみてはいかがでしょうか。
以上、“千本松原”の再生に尽力した増誉上人を開山とする千本山「乗運寺」の御紹介でした。
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