キリシタン大名大友宗麟が開き稲葉氏が拡大した 大分「臼杵城下町」

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キリシタン大名大友宗麟が開き稲葉氏が拡大した 大分「臼杵城下町」

キリシタン大名大友宗麟が開き稲葉氏が拡大した 大分「臼杵城下町」

更新日:2016/05/30 14:22

肥後 球磨門のプロフィール写真 肥後 球磨門

豊後(今の大分県)を治めていたキリシタン大名「大友宗麟」は、1562年(永禄5年)四方を海に囲まれ天然の要塞であった丹生島に、のちの「臼杵城」となる「丹生島城」を築きます。そこから「城下町臼杵」の歴史が始まりました。関が原の戦い以降270年余りにわたり稲葉氏に統治され、商家を取り囲むように武家屋敷や寺院が整えられていった臼杵城下町を紹介します。

キリシタン王国を夢見た大友宗麟の拠点「臼杵城」

キリシタン王国を夢見た大友宗麟の拠点「臼杵城」

写真:肥後 球磨門

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大分県臼杵市にある「臼杵城祉」はJR臼杵駅から徒歩およそ10分の場所にあります。周囲4kmの切り立った崖に囲まれた城址を見ると、当時ここが「丹生島(にうじま)」という海に囲まれた島であったことが分かります。現在は周囲が埋め立てられていて陸続きになっていますが、二の丸跡に畳櫓、本丸跡に卯寅口門脇櫓(うとのくちもんわきやぐら)が現存し、往時の臼杵城の姿をうかがうことができます。

築城したのはキリシタン大名として有名な大友宗麟で、この城を拠点にキリシタン王国を創ることを夢見ていました。宗麟が城主であった時代には城内に礼拝所があったと伝えられています。また、二の丸跡には、ポルトガルから送られ国内の実戦で最初に使用された大砲「国崩(くにくずし)」の複製や、最盛期であった大友宗麟の姿を刻んだレリーフがあり当時の栄華を偲ぶことができます。

格式ある稲葉家下屋敷で日本庭園を愛でる

格式ある稲葉家下屋敷で日本庭園を愛でる

写真:肥後 球磨門

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関が原の戦い後、臼杵を治めるようになったのが稲葉貞通(いなば さだみち)で、明治維新まで稲葉家が臼杵の町を統治していました。臼杵城址から徒歩3分のところに稲葉家下屋敷があります。この下屋敷は廃藩置県のため東京に住居を移した稲葉家が別荘として明治35年に建築したもので、平成20年に国の有形文化財に登録されました。

およそ1000坪の敷地に建つ屋敷内部はヒノキなど上質の素材が使用され、書院造りの奥座敷や謁見の間として使われた表座敷など格式ある座敷が造られています。座敷から眺める日本庭園も当時のままで、一年を通して四季を感じるとても魅力的な場所です。 

屋敷沿いの小さな水路にはコイが泳ぎ、屋敷内には、お姫様が乗った豪華な駕籠や、武具など稲葉家に由来する品々が展示されています。また古い蔵を利用したカフェ「茶房下屋敷」では、希望すれば屋敷内でお茶を飲む事ができるので、お茶と供に庭園を眺め優雅なひと時を過ごしてみてはいかがでしょうか。

造り酒屋の酒蔵「久家の大蔵」

造り酒屋の酒蔵「久家の大蔵」

写真:肥後 球磨門

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稲葉家下屋敷から徒歩3分ほどのエリアには、100年以上の歴史を持つ造り酒屋の町並みが残っています。写真は1868年(慶応4年)に棟上げされた「久家(くげ)の大蔵」と呼ばれる酒蔵で、現在はギャラリーとして開放されています。

「久家の大蔵」には、アズレージョと呼ばれる装飾タイルが外壁と内壁に施されていて、これは平成12年(2000年)に臼杵市がポルトガルの作家ロジェリオ・リペイロ氏へ依頼し作製したものです。天使や聖職者などが描かれたタイルの中には大友宗麟が描かれたものもあり、往時のキリシタン文化を彷佛とさせるデザインとなっていて必見です。

「久家の大蔵」の向かいにある小手川酒造は、作家「野上弥生子」の生家です。建物の一部を改修して「野上弥生子文学記念館」を開設しているので、久家の大蔵と合わせて見学してみてはいかがでしょうか。

江戸時代の名残を残す「二王座歴史の道」

江戸時代の名残を残す「二王座歴史の道」

写真:肥後 球磨門

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ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの記録によると、臼杵城下には沢山のキリスト教関連施設が存在していたとされています。しかし今はその面影はありません。その代わりに「二王座歴史の道」の沿道には多くの歴史ある寺院や武家屋敷跡が立ち並んでいます。石畳と石垣、そして漆喰の壁が調和した歴史ある町並みは、静かな時間が流れ往時の名残を偲ぶことができます。

1716年に浄土宗本願寺派の支院として開基され、今は廃寺となっている旧真光寺がお休み処として無料開放されています。二階からは「切り通し」と呼ばれる 臼杵の街並みの中で最も風情のある景観が広がっているので、江戸時代の空気を感じたあとに立ち寄ることをおススメします。

最後に

いかがでしたか、キリシタン大名『大友宗麟』によって始まった「臼杵城下町」。
270年に渡って稲葉氏により統治された城下町には、残念ながら宗麟時代のキリシタン文化繁栄の名残はありませんが、臼杵市周辺にはキリシタン墓地や磨崖クルスなどキリシタンゆかりの史跡が残っています。

町中心部にある交流館「サーラ・デ・うすき」では、ポルトガルとの関係を示す資料などが展示され、臼杵の観光情報も入手できるので立ち寄ることをおススメします。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/09/05 訪問

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