“日本百景”や“日本の白砂青松100選”にも名を連ねる静岡県沼津市にある「千本松原」。古くから風光明媚な景勝地として広く知られ、歌人・若山牧水(わかやま ぼくすい、1885年〜1928年)、明石海人(あかし かいじん、1901年〜1939年)、作家・井上靖(いのうえ やすし、1907年〜1991年)が愛した土地としても知られています。
戦国時代には荒廃してしまいますが、増誉上人(ぞうよしょうにん)の尽力により「千本松原」は再生し現在に至ります。駿河湾に面した“千本浜海岸”からは大瀬崎、三保松原を遠望するといった絶景を思う存分、堪能してみて下さい。
作家・井上靖は北海道・旭川で生まれた後、幼少期を静岡・伊豆湯ケ島で過ごします。浜松中学校から沼津中学校へと転校し、石川・金沢の第四高等学校、京都帝国大学を卒業。芥川賞を始めとする数々の賞に輝く代表作を残し、文化勲章も受賞した偉大な作家です。
「私が小説を書くようになったのは、沼津の町のお陰であり、その頃一緒に遊び惚けていた何人かの友人のお陰である」と井上文学の原点が沼津中学校時代にあったと述懐しています。文学碑は1963年(昭和38年)に建てられたもの。後方の御影石には下記の井上靖の詩「千本浜」が刻まれています。
千個の海のかけらが
千本の松の間に挟まっていた
少年の日 私は毎日それを
ひとつずつ食べて育った
井上靖
歌人・若山牧水、本名・若山繁(しげる)は1885年(明治18年)に宮崎県東臼杵郡(ひがしうすきぐん)東郷町、現在の日向市に生まれます。延岡中学校を卒業後、早稲田大学に入学し、在学中から活躍。旅と酒を愛して全国各地で歌を詠みました。
1920年(大正9年)、沼津の風土、特に「千本松原」の景観に魅せられて、家族と共に移住。詩歌の総合雑誌『詩歌時代』の創刊、「千本松原」伐採の反対運動の先頭に立つなど沼津の地に寄り添いながら後半生を過ごしたのです。
幾山河
越えさりゆかば
寂しさのはてなむ國ぞ
けふも旅ゆく
1929年(昭和4年)には全国で初めて若山牧水の歌碑が建立。それがこちらの「千本松原」の中にある歌碑です。寂しさの尽き果てる理想郷を求めて旅を続ける若山牧水の代表的な短歌が刻まれています。旅好きな方には特にオススメのスポットです。
歌人・明石海人、本名・野田勝太郎(のだ かつたろう)は、1901年(明治34年)に沼津に生まれ、幼少の頃から「千本松原」のあるこの地に親しんでいました。沼津商業学校、静岡師範学校を卒業後、小学校の教員として勤務。しかし、1926年(大正15年)にハンセン病と診断され、苦難の道を歩むことに。
病が進行する中、作歌、俳句を始め、徐々に注目を集めます。1939年(昭和14年)2月に歌集『白猫』が出版され、後に25万部にも及ぶベストセラーとなりますが、その年の6月、37歳の若さで逝去。
こちらの明石海人・歌碑は、逆境を克服した歌人を畏敬すると共に病気に根差す偏見差別を是正するため、明石海人生誕100年を記念して建立されたもの。『白猫』の序文や略歴なども記されているので、じっくり読んでみて下さい。
「千本松原」からは沼津で一番高い山・標高1188メートルの愛鷹山(あしたかやま)が望めます。環境庁選定の特定植物群落であるブナ林や地図作成のための位置基準・一等三角点もあり、魅力の溢れる山です。
その後方には、残雪の映える標高3376メートルの世界遺産“富士山”が聳え、松原の常緑と愛鷹山の稜線が織り成す景観をより一層、引き立てています。
古くから歌人や作家を始め多くの人々を魅了してきた理由を体感出来ます。また井上靖、若山牧水、明石海人の作品をさらに深く味わえる事でしょう。
その他、「千本松原」には昭憲皇太后・歌碑、池谷観海・文学碑、角田竹冷・句碑もあるので、そちらもお見逃し無いように。
その他に「千本松原」では、松原の再生に尽力した増誉上人像もあります。千本浜海岸からは駿河湾を茜色に染める雄大な夕焼けも望めるので日没時間をチェックしておく事をオススメします。
沼津駅前には母子像がデザインされた井上靖・文学碑もあり、見所が豊富です。移動手段にはバスや無料レンタサイクルなど整っていますので、詳しくは下部関連MEMOにあります公式サイトへのリンクより御確認下さい。
以上、素晴らしい景観を望める「千本松原」文学碑巡りの御紹介でした。
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(2023/12/5更新)
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