東京・千代田「日比谷公園」日本初の近代的洋風公園の歴史

東京・千代田「日比谷公園」日本初の近代的洋風公園の歴史

更新日:2017/11/30 12:42

中央官庁のビルが建ち並ぶ霞ヶ関、また有楽町や新橋といったオフィス街からも程近い「日比谷公園」。“都心のオアシス”として有名な公園ですが、その歴史や由来については御存知でしょうか?
「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」第4版(2015年)にも掲載されている日本初の近代的洋風公園。二転三転した設計案のエピソード等も含めて、100年以上の歴史を誇る東京都千代田区「日比谷公園」を御紹介致します。

「日比谷公園」の概要とアクセス

「日比谷公園」の概要とアクセス
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東京都千代田区、皇居の南東にある「日比谷公園」。二つの洋風花壇(写真は“第一花壇”)には四季の花々が咲き誇り、緑豊かな樹木が溢れる日本の代表的な都市公園です。

開園面積は約16万平方メートル、高木・約3100本、低木・約1万平方メートル。園内には、二つの池、大噴水、草地広場、日比谷野外大音楽堂、小音楽堂、日比谷公会堂など様々な施設があります。年間を通じて、イベントも多数開催され、大きな賑わいを見せる憩いの場です。

都心に立地していることもあり、地下鉄・三田線、千代田線、日比谷線の“日比谷駅”の出口から直ぐの場所。また「日比谷公園」の真下を通る地下鉄・丸ノ内線の“霞ヶ関駅”からも地上に出ると目の前といったように各種の路線からもアクセスが簡単です。

二転三転したデザイン案「日比谷公園」誕生の秘話

二転三転したデザイン案「日比谷公園」誕生の秘話

提供元:東京都公園協会

https://www.tokyo-park.or.jp/profile/地図を見る

1894年の田中芳男案、小平義親案、1898年の長岡安平案、1899年の辰野金吾案、1900年の東京市(現在の東京都23区にあたる行政区分地域)職員5名による案を経て、最終的に1901年に林学博士・本多静六(ほんだ せいろく、1866年〜1952年)案に決定。

1903年(明治36年)、ドイツの公園を基本として、一部に日本庭園の手法も加えられた日本初の近代的洋風公園「日比谷公園」が完成します。その過程で本多静六は軍医・石黒忠悳(いしぐろ ただのり、1845年〜1941年)、宮内省の園芸技師・福羽逸人(ふくば はやと、1856年〜1921年)などの協力を得て、開園に至ったのです。

先に上げた写真が“第一花壇”、こちらは“第二花壇”です。都心にありながら開放的な空間を楽しめるスポットです。

林学博士・本多静六と“首賭けイチョウ”

林学博士・本多静六と“首賭けイチョウ”

提供元:東京都公園協会

https://www.tokyo-park.or.jp/profile/地図を見る

埼玉出身の本多静六は苦学の後にドイツ留学。森林や林業に関する技術と経済政策を学び、日本初の林学博士となります。帰国後に東京帝国大学に勤務し、「日比谷公園」や「明治神宮」を始めとする各地の公園や庭園の設計を行いました。

福島出身の石黒忠悳は、幕府医学所に入学し西洋医学を修めます。軍医に就くと研修のためアメリカに渡り、後にはヨーロッパにも派遣されました。「日比谷公園」の設計には、公衆衛生や伝染病対策等の健康面の観点から参画。因みに小説家で軍医でもあった森鴎外(もり おうがい、1862年〜1922年)の直属の上司としても有名です。

島根出身の福羽逸人は、学農社農学校に学び、フランス、ドイツに留学後、農商務省等に勤務。“福羽イチゴ”の創出やブドウなどの温室栽培を行い、日本の近代園芸の基礎を築いた人物です。「日比谷公園」の設計にも大きな役割を果たしています。

こちらの大きなイチョウは、現在の日比谷交差点にあったもの。道路拡張のため伐採されることを知った本多静六が「首に賭けても移植させる」と決意表明し、見事実現させました。そのような経緯から、“首賭けイチョウ”と呼ばれています。

日本風の“心字池”とドイツ風の“雲形池”

日本風の“心字池”とドイツ風の“雲形池”
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「日比谷公園」には、園内の北東の“心字池”と西側霞門に位置する“雲形池”の二つの池があります。

“心字池”の場所には江戸城・外郭城門の一つ、日比谷御門の石垣の一部が残っています。当時、石垣の西側は濠(ほり)となっていましたが、現在は“心字池”として公園造成時の面影を偲んでいます。

周囲の木々と共に白鷺(しらさぎ)や鴨などの野鳥の生息場所でもあり、6月頃にはアカンサスの花が咲き、冬には松の雪吊りなど季節の景観を望めます。池の中央には小さな「カメの噴水」もあるので、見落とさないようにしましょう。

“心字池”と共に開園当初からの情景を残すのが、こちらのドイツ風の池“雲形池”。池内には「鶴の噴水」が設置され、静かに水飛沫を上げています。寒さが厳しくなる時期には広げた翼に氷柱が下がり、その姿は冬の風物詩となっています。

“かもめの広場”の“カモメの噴水”

“かもめの広場”の“カモメの噴水”
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「日比谷公園」の南西、地下鉄千代田線・霞ヶ関駅方面には“かもめの広場”。その直ぐ近くには、様々な有名アーティストたちがライブを行い伝説の残る場所、通称“野音”とも呼ばれる“日比谷野外大音楽堂”。また正三角形の建築が特徴的な“日比谷図書文化館”もあります。

その他、47都道府県に加えて、10都市から寄贈された木々からなる“郷土の森”と見所満載です。出身地や気になる県や市の木を探しながら散策してみるのも面白いですよ。

先述の“カメの噴水”、“鶴の噴水”に続いて、広場の中央には花々が彩りを添える“カモメの噴水”。休憩に立ち寄った会社員の方やカメラを片手に訪れた海外の方など、多くの人々の姿が見受けられ、“都心のオアシス”と呼ばれる所以が実感できます。

東京都千代田区「日比谷公園」のまとめ

1912年(明治45年)当時、尾崎行雄・東京市長がアメリカに桜の苗木を贈りました。その返礼として、1915年(大正4年)にアメリカより贈られたのがハナミズキ。当時のものは現存していませんが、「日比谷公園」の“第二花壇”の西側や“旧日比谷公園事務所”(現在のフェリーチェガーデン)の前に植えられ、春に花咲き、秋には紅葉して、行き交う人の目を楽しませています。

「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」に掲載されている他に、“日本の都市公園100選”、“日本の歴史公園100選”にも選ばれている「日比谷公園」。花の色香、木々の葉擦れ、吹き抜ける風、煌めく水面など、五感で味わってみて下さい。

以上、東京都千代田区「日比谷公園」について、その歴史や由来に焦点を絞った御紹介でした。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/28 訪問

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