写真:渡部 洋一
地図を見る「最後の将軍」として日本史にその名を刻む、徳川慶喜公。その実父である徳川斉昭公(水戸藩第9代藩主)によって、「偕楽園」は造営されました。
1833年、藩内を巡った徳川斉昭公が、この地に庭園を設ける構想を持ったのが、その歴史の始まりとされます。1841年に建設に着手し、翌1842年に開園しました。
明治以降は金沢の「兼六園」、岡山の「後楽園」と並び日本三名園の一つに数えられ、現在では茨城県を代表する観光名所に。2015年には「日本遺産」にも認定されより一層注目を集める、水戸随一の歴史スポットです。
「偕楽園」の名は、中国古典『孟子』の「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節が由来。園内に置かれる「偕楽園記碑」にもそのことが記されています。
そんな偕楽園内には、歴史的価値の高い見どころが目白押し。
写真は偕楽園の正門に相当する「好文亭表門(こうぶんていおもてもん)」。松材を多用し、松煙色(黒色)であることから「黒門」とも呼ばれています。戦災を逃れ、建設当初の姿を今に伝える貴重な建造物です。
写真:渡部 洋一
地図を見る偕楽園内に点在する見どころの中でもその代表格と言えるのが、徳川斉昭公の別邸として建てられた「好文亭」。斉昭公自らが設計した名建築です。「好文亭」の名前は、梅の別名「好文木」が由来とされます。
現在の建物は昭和33年(1958年)に復元されたもの。内部の見学も可能(有料)で、徳川斉昭公自らが知恵を絞ったとされる創意工夫の数々を堪能できます。
また、好文亭の最上階(三階)は「楽寿楼」と呼ばれ、そこからの眺めはまさに絶景。偕楽園内の風光明媚な景観はもちろん、園外の千波湖や、晴れた日には遠く筑波山までも一望にすることができます。
偕楽園を訪れたのなら、「好文亭」は絶対に抑えておきたい必見ポイントです。
写真:渡部 洋一
地図を見る偕楽園内西部の崖下に設けられる「吐玉泉(とぎょくせん)」。地形の高低差を利用した湧水施設です。
白い泉石は、常陸太田市の真弓山から運ばれてきた大理石。江戸時代末期には、この水を好文亭内の茶室でも使ったと言われています。
写真:渡部 洋一
地図を見る好文亭表門のすぐ近く、偕楽園内北西部に広がる「孟宗竹林」。数千本の孟宗竹(モウソウチク)が立ち並ぶ景観は圧巻です。
弓の材料に適した孟宗竹を、京都の男山八幡宮(現在の岩清水八幡宮)から移植したのがその始まり。
青々とした竹林は涼しげで、夏にもおすすめのスポットです。
写真:渡部 洋一
地図を見る水戸の偕楽園を楽しみ尽くすなら、グルメも外せません。偕楽園東門正面にある「水戸黄門茶屋」では、名物「梅ソフトクリーム」が人気です。
水戸黄門様の名を冠したお茶屋でいただく、偕楽園の象徴でもある「梅」味のソフトクリームはまさに格別。カリカリ食感の梅肉入りで、梅好きにはたまらない一品です。
日本三名園の一つに数えられ、日本遺産にも認定された茨城県屈指の観光名所「偕楽園」の歴史と見どころをご紹介しました。
偕楽園には今回ご紹介した他にも、「偕楽園記碑」「太郎杉」「大日本史完成之地」等、見どころが目白押し。「水戸の梅まつり」の期間以外も、一年中楽しむことができます。
水戸を訪れる機会があるのなら、偕楽園に足を運んでみませんか?「偕楽園」の名に込められた、「民と偕(とも)に楽しむ場にしたい」という徳川斉昭公の願いは、平成の今もこの地にしっかりと息づいています。
水戸偕楽園の入園料は、無料(「好文亭」は有料)です。アクセス、営業時間等の情報は、記事下部にある「MEMO」よりご覧いただけます。
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この記事を書いたナビゲーター
渡部 洋一
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