イスラムの宮廷文化が花開いた街〜ジャワ島の古都ソロで二つの王宮巡り

イスラムの宮廷文化が花開いた街〜ジャワ島の古都ソロで二つの王宮巡り

更新日:2016/06/03 13:30

万葉 りえのプロフィール写真 万葉 りえ レトロ建築探訪家、地域の魅力伝え人
ジャワ島の中央部に位置し、「スラカルタ」という正式名称より、今も昔の名で呼ばれる古都「ソロ」。ジャワ原人の化石発掘でも有名な町なので、立派な博物館を観光のコースに加える方もあるでしょう。
その古都ソロに今も残る二つの王宮。それはイスラムの王宮文化にオランダの植民地支配も絡んで1700年代に建てられたもの。どちらの王宮もジャワの様式で日本にはない開放感にあふれているのに、趣は異なっているのです。

中部ジャワの王宮形式、カスナナン王宮

中部ジャワの王宮形式、カスナナン王宮

写真:万葉 りえ

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広場を持ち、コロニアル様式を取り入れながらも中部ジャワの王宮様式で建てられているカスナナン王宮。ここは、地元の人々にスラカルタ王宮とも呼ばれています。そのわけは、カルストロにあった都をパクブウォノ2世が1745年遷都し、その際に地名もソロからスラカルタへと変更してこの王宮を建てたからでした。

ここには王宮専属で日本語のできるガイドさんがいるので、王宮に入ると説明付きで見て回ることができるようになっています。

謁見に使っていた建物は開放感にあふれ、細部の飾りが見事です。この公の謁見の広場では、たとえ家族といえども王に近づくためには膝をつきながら寄ることが決まりでした。それだけ王の権威を表す場所だったのです。

言い伝えが残る、「世界の塔」

言い伝えが残る、「世界の塔」

写真:万葉 りえ

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謁見で使われた広場のそばに建っているのが八角形の塔です。白い壁を持つこの塔の名称は「世界の塔」(パグン・ソンゴブウォノ)となっています。

この塔に残された言い伝えによると、最上階の部屋で、一年に一度王が女神ラトゥ・キドゥルに会っていたとか。
本当に女神に会っていたのかどうかはわかりませんが、オランダの支配などがあった時代です。世界の動きを見て、重大な決断をしていたのかもしれませんね。また、見学はできませんが塔の裏側には大理石で作られた壮麗な即位の広間も残っています。

展示されている中には、かつてこの王宮の建物が配置されていた様子を表すミニチュアもあります。それを見ていただくと、王が治めていた時代にはいかに広い敷地にたくさんの建物があったのかをわかっていただけるでしょう。

王族の愛した影絵芝居

王族の愛した影絵芝居

写真:万葉 りえ

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展示室の入り口には歴代の王の肖像写真が並べられ、その奥に王室で使われていた様々な物が展示されています。

当時の王族の様子も展示されていますが、身に着けていた衣装はジャワの伝統様式のままです。しかし、プレゼントされたビロード張りの椅子や式典に使った馬車などヨーロッパ仕様の物がいくつも残っています。高温多湿のジャワの気候に合わせた衣装に身を包みながらも、海外の文化も受け入れていたことがしのばれます。

だからといって海外文化を優先していたわけではなく、この国がもともと持っていた文化も大切にしていました。伝統音楽であるガムランの楽器も残されていますが、特に力を入れて展示されていたのが「ワヤン クリッ」という影絵芝居の様子です。たくさんの影絵を操る様子が写真のように当時のままに再現されているので、王族が楽しんでいた様子を想像してみてください。

今も王族が暮らすマンクヌガラン王宮

今も王族が暮らすマンクヌガラン王宮

写真:万葉 りえ

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カスナナン王宮から1キロほど離れた場所にあるのがマンクヌガラン王宮です。

ジャワを支配していたのは、ソロの西にあるカルストロを王都としたマタラム王朝でした。その王朝が王位継承による内紛から二つに割れて、ジョグジャカルタとソロに分かれます。日本に例えるなら二つの天皇の流れがあった「南北朝時代」のようなものでしょうか。

日本の場合は時代が下って一つになりましたが、こちらではソロの王朝がさらに分裂することになります。1757年にマンクヌゴロ王がオランダの植民地政府の力を借りて建設したのがマンクヌガラン王宮です。
建物の中心はプンドポと呼ばれる大広間で、豪華な大理石の床や壮麗なガムラン楽器は見ておく価値大です。こちらも日本語ができるガイドさんがいて、見学も安心。

米の女神を祭る儀式の間には、膨大なコレクション

米の女神を祭る儀式の間には、膨大なコレクション

写真:万葉 りえ

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この広間の奥にある建物がジャワの女神を祭る儀式のための主室です。
主室の中にはベッドが置いてありますが、これは人間のためではなくジャワのお米の女神のためのもの。その右が王と王子の瞑想用の小部屋、左が后と娘の瞑想用の小部屋となっています。

こちらの室内は撮影禁止になっていますが、入り口には王族の大きな油絵が掲げられ、室内には宮廷舞踏の仮面や貴金属類などたくさんのコレクションが展示されています。展示の中で変わったところでは、黄金の貞操帯なども残っています。

この王宮には今でも王族の子孫が住んでます。儀式の部屋から出ると写真のように大きなソファー。また、キャビネットの上には家族写真などが飾られており、王族の暮らしの一端を感じることができるようになっています。

おわりに

列強による植民地支配という歴史の渦の中で、自分たちの伝統や文化を守りながら地位を守ろうとしていた二つの王宮。どちらもジャワの文化を大事にしているのに、趣は異なっています。その王宮だけでなく、近くにはジャワらしい町並みも残っているのでそんな道を歩くのもおすすめ。

ジャワらしさを大事にしてきた古都ソロ。染織工芸の町としても有名です。素敵なものを見つけに、ゆったりこの街を巡ってみませんか。

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