写真:乾口 達司
地図を見る与太郎様が鎮座するのは、児島湖を眼前にのぞむ岡山県玉野市の八浜地区。市街地から遠く離れた地区のはずれに位置しているにもかかわらず、その霊験にあやかろうと、多くの方が日々参拝されており、お線香が絶えることはありません。
しかし、なぜ、与太郎様は足腰に霊験あらたかなのでしょうか。そのヒントは「与太郎様」という社名にあります。与太郎様の正式な社名は「宇喜多與太郎神社」。戦国時代に詳しい方なら、「宇喜多」と聞いて、ピンと来るのではないでしょうか。そう、与太郎様こと宇喜多與太郎基家は、戦国時代末期、備前国を中心にして播磨・美作・備中にまで勢力をのばした戦国の梟雄・宇喜多直家の甥に当たるとされる人物なのです。
与太郎様は宇喜多基家という歴史上の人物をまつった神社であったわけです。
写真:乾口 達司
地図を見る与太郎様の由緒来歴は、境内の一角にある石碑にも紹介されています。
1581年(天正9)、宇喜多直家が他界。翌年、直家の死に乗じて、安芸国の毛利氏が備前国に侵攻してきます。宇喜多家は春家(一説には忠家)・基家親子を大将として派遣。両軍は、ここ、八浜の地で激突しました。八浜合戦です。合戦のさなか、足に傷を負った基家は竹藪のなかに身をひそめていましたが、村人がその存在を毛利勢に教えたため、討ち取られたといわれています。
つまり、与太郎様はもともと悲運の最期を遂げた基家を供養するために建立された社なのです。与太郎様が足腰になぜ御利益があるか、このエピソードからもうかがえますね。
写真:乾口 達司
地図を見るしたがって、社前に置かれた線香台に、宇喜多家の家紋である「剣片喰」が刻まれているのもうなずけます。
写真:乾口 達司
地図を見る社殿の中央には、ご覧のような石の祠が安置されています。その内部に安置されている小さな石造りのご神体が与太郎様であると見なせます。
写真:乾口 達司
地図を見るしかし、注目したいのは、祠の脇に大きな石造の五輪塔が据えられていること。もしかすると、これこそが基家の本来の墓所であったのかも知れません。
そのように考えると、与太郎様は基家の墓所から発展し、石の祠の方が新たな与太郎様となって、崇敬の対象になったとも考えられるのではないでしょうか。
写真:乾口 達司
地図を見る社殿に隣接してあるこちらの建物は、地元の方が経営する売店。売店が開いていたら、旅の記念に「与太郎様」オリジナルの「与太郎せんべい」を求めてみてはいかがでしょうか。
写真:乾口 達司
地図を見るもちろん、線香やろうそくをいただくこともできます。こちらで線香やろうそくをいただき、与太郎様にお供えしましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る与太郎様の北方には、東上して来る毛利勢を迎撃するため、宇喜多勢が拠点とした八浜城の遺構も残されています。当時の建物は存在していませんが、いまでも空掘などの遺構を数か所で確認することができるため、戦国好き、お城好きの方は与太郎様とセットで訪れることをお勧めします。
与太郎様の悲劇的な由緒来歴をご理解いただけたでしょうか。足腰に霊験あらたかな神様であるため、足腰に持病をお持ちの方に参拝していただきたいのはもちろん、戦国好きの方にも訪れていただきたいスポット。与太郎様にお参りしながら、八浜合戦の悲劇に思いを馳せてみて下さい。
住所:岡山県玉野市八浜町大崎
アクセス:JR八浜駅より徒歩約30分
2024年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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