写真:井伊 たびを
地図を見るJR成田線「安食駅(あじきえき)」より、徒歩10分。この大鳥居をくぐり進みゆけば、まっすぐ真上に登るのか?と感じるほどの急勾配の石階段が出現。そこに設けられた手すりを、しっかりと握りしめていないと、身体が後方へ持って行かれ、階段下まで真っ逆さまに落ちて行きそうだ。
だが、心配ご無用!この階段は「男坂」と称し、この右手に緩やかな「女坂」が設けられている。少々足腰に自信のない方は、「女坂」で登られることをお勧めする。
登りつめたその境内一帯を「大鷲神社」と称し、本殿、幣殿、拝殿とは別に、その敷地内には「御嶽神社」、「麗峰神社」、「鷲の杜稲荷」、「聖徳太子堂」、「魂生神社(魂生大明神)」などがある。
写真:井伊 たびを
地図を見る本殿凝宝珠金具の刻銘から判断して、「大鷲神社」の本殿建立は、天保2年(1831年)と考えられている。本屋、向拝の軸部、縁廻り、柱間などの壁板には装飾的で、素晴らしい彫刻が施されている。さらに、こちらの本殿は近隣では珍しい貴重な入母屋造だ。
その本殿の壁面に彫り込まれている「琴を奏でる彫刻」には、不思議なパワーがあるとの評判。こちらの境内で、毎年12月に行われる「酉の市」の特設舞台で唄った、当時はまだ無名歌手が、翌年の「NHK紅白歌合戦」に出場を果たすという不思議が続いたそうだ。
「それは、音楽を習う姿のこの彫刻の発する神秘なエネルギーなのだろうか?また、張り出した縁回りの彫刻には、筆を持って採点をしているような神様の姿が見える」との、本殿傍らにある案内板の説明で、されなるロマンをかきたてられる。
ちなみに、近年この「酉の市特設舞台」で唄った歌手は、瀬川瑛子をはじめ三笠優子、松原のぶえ、鳥羽一郎、冠二郎で、いづれも今では日本を代表する歌手として活躍しておられる。
密かにあの「NHK紅白歌合戦」への出場を目指している方は、ぜひ訪れてみるべき神社だろう!
写真:井伊 たびを
地図を見る神代のむかし、伊邪那岐(いざなぎ)の神と、伊邪那美(いざなみ)の神が、足らざるところと余りあるところを重ね合わせて、八百万(やおよろず)の神々を産みたもうたとする神話がある。
そのお姿をこの椎の木になぞらえて、「御縁むすびの椎」と呼ばれている。「合体椎の木」より「御縁むすびの椎」とは、実に詩情あふれる命名であり、霊験あらたかなる心境をも呼び起こす。
写真:井伊 たびを
地図を見る正面にある「魂生大明神」が鎮座されてから徐々に出現した自然の「神霊の御陰(おほと)」。「魂生大明神」とともに、「子授け」や「安産」などを祈願する参拝者が後を絶たない。それは、「子授けの大樹」であるとか、自然の「神霊の御陰」という、なかなか上品なる命名に、起因しているのではないだろうか。
写真:井伊 たびを
地図を見る日本一の男性シンボルは、「魂生大明神」と崇められている。「魂生大明神」は、「五穀豊穣」「縁結び」「子授け」「安産」「夫婦和合」の神様で、その高さは、2.5m、周囲が2.3mもある石造りだ。
このような「男根崇拝」は、我が国では古来から、庶民の素朴な信仰形態の一種。なにもここだけが飛び抜けて「異質」で、「異様」な信仰であったわけでない。1000年もの昔から、庶民に素朴な性信仰がおこり、男根神、女陰神に心をこめて崇拝されて来た。
「産む」は「生む」に通じることから、農家では豊作を祈願し、商家では繁栄を祈願したのだと聞く。また子宝に恵まれない男女は、その霊験あらたかな評判を聞きつけ、多数の参拝者が全国から訪れている。
境内には、「日本武尊(やまとたける)お手植えの松」がある。日本武尊が東征の折、当地を御仮所とし松の木をお手植えされた。そして、東平定を祈願され、この松に戦勝を願って熊手をたてかけられた。
その日が、たまたま「酉の日」であったことから、「大鷲神社」の例大祭日になり、今日にいたる「酉の市」として福を願う人々で賑わいを見せているのである。
その「酉の市」には、木製のご神体「魂生様」が町内を練り歩く。また、御神体にちなんで男根の形をした飴は、一風変わった土産物として有名である。
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この記事を書いたナビゲーター
井伊 たびを
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