平和記念公園だけじゃない!広島のシンボル「広島城」へ来てみんさい!

平和記念公園だけじゃない!広島のシンボル「広島城」へ来てみんさい!

更新日:2016/05/24 16:07

大竹 進のプロフィール写真 大竹 進 元旅行会社勤務、元旅行専門学校講師
初めて広島を訪れた人が必ず訪れる所と言えば、先ずは平和記念公園や原爆ドームかと思います。
しかし折角広島に来ても、平和記念公園だけを見て、直ぐに宮島などへ移動してしまう人が多いのではないでしょうか。
今回はそんなちょっと勿体無いことをしている方に、毛利氏に始まり浅野家12代にわたる居城として、日本百名城の一つにも数えられ、復元された櫓が魅力的な、広島のシンボルである広島城についてご紹介します。

広島城全景

広島城全景

写真:大竹 進

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広島城は「三本の矢」の逸話で有名な戦国大名毛利元就の孫に当たる毛利輝元が、太田川河口の三角州に築いた城郭です。

天正17年(1589年)に築城を始め、二代城主福島正則が外堀や外郭の整備を進め、完成させました。
完成時は内堀・中堀・外堀の三重の堀を巡らし、約1キロメートル四方の広大な城でした。

明治以降、人口増加などにより外堀などが埋め立てられ、現在は内掘とそれに囲まれた本丸と二の丸が残っています。
写真手前中央の橋で繋がっている所が二の丸、奥が本丸で、左奥に天守閣が見えます。

この広島城全景が見える場所は、広島城の南側に建つ「リーガロイヤルホテル広島」です。
このホテルに宿泊の際、北側(キャッスル サイド)の部屋に泊まると、この光景がご覧頂けます。
夜景も素敵ですから、どうぞ昼と夜の広島城をお楽しみ下さい。

広島城 御門橋と櫓

広島城 御門橋と櫓

写真:大竹 進

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広島城は天守閣を始め、多くの櫓や城門が戦前まで残っていましたが、原爆の投下により全て倒壊・焼失してしまいました。

写真にあるのは、平成になって復元されたもので、左側の橋が二の丸へ渡る御門橋(ごもんばし)、櫓は左から平櫓(ひらやぐら)、多門櫓(たもんやぐら)、太鼓櫓(たいこやぐら)です。

復元されたものとは言え、いや新しいものだからこそ、鮮やかな白と黒のコントラストが素晴らしい櫓、優美な石垣、お堀に映るそれらの姿が、何とも言えない味わいがあり、見る者に落ち着きを与えてくれます。

広島城 表御門

広島城 表御門

写真:大竹 進

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内掘の御門橋を渡った所にあるのが表御門(おもてごもん)で、広島城の正門にあたり、日本の城の一般的区分を当てはめると大手門に相当します。

城の正面が大手と言うのに対し、裏口は搦手(からめて)と言いますが、広島城の場合は裏御門という名前で本丸の東側にあります。
この裏御門も原爆の投下により焼失し、現在は土台の石垣と裏御門跡の碑を見ることができます。

御門橋の手前が三の丸だったところで、橋を渡り表御門を入ると二の丸になります。
広島城の二の丸は出撃の拠点である馬出し(うまだし)の機能を持ち、本丸の正面を守る役目を果たしていました。
二の丸は長方形の小さな島のような形で、内掘にある細い堤を渡ると、いよいよ本丸に入ります。

本丸の入口には中御門がありましたが、これも原爆により焼失しました。
表御門や中御門の石垣の一部には、原爆による火災で焼かれた赤い跡が残っていて、今もその名残を見ることができます。
広島城を訪れた際は是非忘れずに確認してみて下さい。

広島城 天守閣

広島城 天守閣

写真:大竹 進

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広島城本丸の北西、内掘に面して聳える天守閣。
初代の毛利輝元に始まり、二代目は福島正則、そして三代目に浅野長晟(あさのながあきら)が城主となってからは、明治の廃藩置県まで浅野家が12代続きました。

築城時の天守閣は明治以降も存在し、戦前は国宝にも指定されていましたが、原爆の影響により倒壊し、現在見られるのは1958年に復元されたものです。
築城時は大天守の東と南に小天守を連ねる連結式天守で、写真手前の広場に、かつて南の小天守がありました。

現在の天守閣の内部は、武家文化を中心に紹介する歴史博物館になっています。
最上階は360度眺められる展望台で、広島市街は勿論、遠く宮島まで望むことができます。

歴代の城主はこの大天守の望楼から、どの様な気持ちで城下の様子を眺めたのでしょうか?

夕日に映える広島城の櫓

夕日に映える広島城の櫓

写真:大竹 進

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かつて内堀・中堀・外堀の三重の堀を巡らした広大な広島城には88もの櫓がありましたが、明治以降になりこれらは取り壊されたり、原爆により焼失し、オリジナルの櫓は存在していません。

三重の堀も明治期に外堀が、戦後昭和30年代までに中堀が埋め立てられ、現在は内堀のみが残る形ですが、内掘の水面に影を落とす復元された二の丸の太鼓櫓・多聞櫓・平櫓の姿は、日本の城の素晴らしさを改めて感じさせてくれます。

ヨーロッパの城は水掘が少なく、また城そのものも全て石で造られているため、まるで牢獄のような寒々とした雰囲気が漂っている所が多いですが、日本の城は木造部分が多く温か味が感じられます。

鏡のような水面に映え、夕日を浴びて刻々と赤味を増して行く櫓の白壁を眺めながら、お堀を散策するのはとてもロマンチック。
内掘に面して遊歩道がありますから、のんびりお城を一回りしてみるのもいいですね。

おわりに

広島城は太田川河口の三角州に、城下町と一体化し政治経済の中心地として機能する城郭として築かれた平城なので、高い建物が少なかった戦前までは市内のどこからでも天守閣が見え、現在よりも大きな存在感があったことでしょう。

明治以降は陸軍の施設が建てられるようになり、1894年に日清戦争が勃発すると、城内に広島大本営が設置されました。
これに伴い明治天皇が広島に約7ヵ月間行幸し、帝国議会も広島で召集され、短期間ながら臨時首都として機能した歴史も持っています。
広島がかつて首都であったとは驚きですね。

広島城の別称が「鯉城(りじょう)」であるところから、プロ野球の「広島東洋カープ」(英語で鯉はCARP)のチーム名がこの鯉城に因んで名付けられたというのは、良くご存知かと思います。

築城以来、常に広島の中心に位置し、広島のシンボルとして存在し続けて来た広島城。
平和記念公園から1km足らずの所にありますから、今度広島に訪れるチャンスがあれば、是非広島城にも足を伸ばしてみては如何でしょうか?

どうぞ皆さん、広島城へ来てみんさい!

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/10/28 訪問

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