写真:やまざき にんふぇあ
地図を見るバス停「吉備路もてなしの館」から田んぼの間をぬって少し進んだところに、小さな森があります。実はこれ、こうもり塚古墳と呼ばれる古墳なのです。
森の中に入るとすぐ、岩を積んで造られた石室が目に飛びこんできます。車道から離れたところにあるため辺りは静かで少し怖いですが、入ってみましょう。中に入って数メートル進むと銀色の柵があり、その奥に石棺が安置されています。
この古墳は6世紀後半に自然の丘を利用して造られた、全長100メートルもある前方後円墳です。中には青銅製で金箔張りの太刀などの副葬品が残されており、複数の人物が埋葬されていたと考えられています。
ちなみにこの古墳、別名を黒媛塚と言います。黒媛は、仁徳天皇の寵愛を受けたものの皇后にうとまれ追放されたとされる伝説上の美女です。黒媛はここの出身であり、こうもり塚古墳は彼女の墓であるとも言われています。ただし、仁徳天皇が即位していたのは4世紀の時代であり整合性が取れないので、単なる伝説と考えるのが自然です。
結局この古墳で眠っていたのが何者かは分かりませんが、これだけの古墳を造らせることのできる支配者層であることは間違いありません。
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見るバス停「千足」から15分ほど歩いたところに造山古墳があります。前方後円墳で、全長350メートル、円の部分の直径200メートル、高さ24メートルを誇ります。全国でも4位、自由に立ち入りできる古墳としては何と日本一の規模です。
中からは盾や家などを象った埴輪が出土しています。埋葬施設などの詳細は未調査のため不明ですが、吉備全域を統括していた強大な権力の持ち主と考えられます。こうもり塚古墳のように内部には入れませんが、上に登ることができます。
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見るさっそく造山古墳に登ってみましょう。登った先はところどころ木が生えた原っぱになっていて、荒神社という神社が建っています。江戸時代に創建された古墳とは何の関係もない神社ですが、古墳の上に建っている神社とは何とも珍しいですね。
古墳の上を散策したあとは、古墳からの眺めを楽しみましょう。はるか向こうまで続く田んぼと山々を眺めながら、吉備津彦命や温羅、謎に包まれた古墳の埋葬者など、かつて確かにここで生きていた方々に思いをはせてみましょう。
写真:やまざき にんふぇあ
地図を見る吉備津彦命伝説ゆかりのスポットや、今回紹介する古墳をめぐるには自転車がお勧めです。備前一宮駅の前にあるレンタサイクル屋で自転車を借りて、総社駅のレンタサイクル屋で返すことにより、半日ほどで古墳や吉備津彦命関連のスポットを回りつくすことができます(逆のルートでももちろん構いません)。
田んぼの中に寺社や古墳が点在する古代の町を自転車で駆けめぐるなんて、考えただけでわくわくしてきませんか?
いかがでしたでしょうか。
吉備津彦命の伝説で有名な吉備路ですが、ここに生きていた証を残しているのは彼1人ではありません。あなたも吉備津で、古代に生きた様々な人物の痕跡をたどる旅に出てみませんか?
この記事の関連MEMO
この記事を書いたナビゲーター
やまざき にんふぇあ
東京に生まれて東京の大学に進学し、そのまま東京で電機機器メーカーに就職するという無味乾燥な人生をおくってきました。その反動か自分の知らない世界への好奇心は人一倍で、休日は大抵読書か旅行をしています。「…
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
旅行ガイドを検索!
(2025/1/22更新)
- 広告 -