古代ロマン薫る!奈良・大神神社から石上神宮への「山辺の道」

古代ロマン薫る!奈良・大神神社から石上神宮への「山辺の道」

更新日:2016/05/23 10:10

和山 光一のプロフィール写真 和山 光一 ブロガー
『古事記』や『日本書記』にもその名が記され、南は桜井から北は奈良まで大和の青垣と呼ばれる奈良盆地の東端を山裾を縫うようにして走る日本最古の道「山辺の道」。三輪山から春日山までの全長約35Kmですが、中でも古代の面影をよく残し、万葉びとの息づかいを伝えるのが桜井市金屋から天理市の石上神宮までの約16Kmです。古社寺、古墳、万葉歌碑など多彩な伝承の舞台が展開し、神話や古代ロマンの世界へ誘ってくれます。

仏教伝来の故地は古代の繁華街「海柘榴市(つばいち)」

仏教伝来の故地は古代の繁華街「海柘榴市(つばいち)」

写真:和山 光一

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スタート地点は近鉄桜井駅から1.6Km、桜井市金屋。三輪山の南麓を流れる初瀬川岸あたりは、大陸からの船が難波津から初瀬川をさかのぼって到着する船着場があった場所で、外国から多くの遣いや物資が上陸したと伝えられています。

この辺りは日本最古の市ともいわれる「海柘榴市」が置かれていたところで古代、東西南北の陸路や浪速への水路が集まる重要な市でした。万葉集をはじめ日本書紀、枕草子にも登場し、日本書記で皇太子だった武烈天皇と平群臣鮪が海柘榴市の歌垣で影姫を奪い合う悲愛の伝説や、春と秋には若い男女が出逢い、即興の歌を交わして互いの気持ちを確かめ合う「歌垣」が行われた舞台として知られ山の辺の道の南の起点でした。

この辺りは欽明天皇の宮殿、磯城嶋金刺宮があった場所とされ、欽明天皇13年(552)、百済の聖明王からの使節もこの地に上陸し、釈迦仏の金剛像一体と経論若干巻等を献上し、日本に仏教を最初に伝えたといわれており、「仏教伝来之地碑」が堤防の上に建てられています。

神が宿るとされる三輪山を御神体山として仰ぐ「大神神社」

神が宿るとされる三輪山を御神体山として仰ぐ「大神神社」

写真:和山 光一

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歩くこと約1.2Km(25分)で大和「一の宮」で日本最古の神社の一つといわれる「大神神社」に到着します。ご神体は背後の三輪山そのもので、本殿はなく、寛文4年(1664)徳川家綱再建の豪華な拝殿から、三ツ鳥居を通して山に向かって拝む古代の信仰形態を現在に伝えています。

三輪山は国を開いた大国主神(大国様)が自らの御魂を大物主大神の名で三輪山に留めたということが記紀神話に記されている霊山。48峰といわれる峰々から成り、笠を伏せたような山容が美しく「パワースポット」と称されるよりはるか昔から「神の宿る山」として崇められてきた聖地です。

二の鳥居を抜けて祓戸神社の先、参道の左手にあるのが「夫婦岩」。二つの岩が仲良く寄り添っている姿から夫婦岩と呼ばれ、良縁や夫婦和合を願う人々から信仰を集めています。寄り添う石には大物主大神と美しき人間の女性・活玉依毘売の恋物語があり、「赤い糸をたどると、三輪の社まで続いていた」というロマンチックな伝説が残っているのです。

三輪山から湧き出る水はくすり水「狭井神社」

三輪山から湧き出る水はくすり水「狭井神社」

写真:和山 光一

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大神神社の境内のわきを通って続く薬の神様「狭井神社」への参道は、くすり道ともいわれ、薬業関係者が奉納した多くの薬用植物が育っています。また、歩くこと200Mで到着する狭井神社は、大神荒魂神を祭神とする大神神社の摂社で、三輪山の麓に檜皮葺きの美しい拝殿が立っています。

三輪山を水源とする湧き水の「薬井戸」がある社寺として有名で、この水は古くから「くすり水」として信仰され、万病に効く神水といわれているため、全国から健康祈願の参拝者が多く訪れています。社名の「狭井」とは、神聖な井戸・泉・水源の意味。備え付けの殺菌済みのコップ(無料)で喉を潤してみてください。冷たく少し甘い水は歩き疲れた体を一気に癒してくれます。ここから三輪山へ登ることができますよ。

三つの鳥居が連結した独特の形の三ッ鳥居は必見「檜原神社」

三つの鳥居が連結した独特の形の三ッ鳥居は必見「檜原神社」

写真:和山 光一

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1Kmほど歩くと平安時代の初期、桓武天皇と嵯峨天皇の厚い信任を得ながら三輪山の麓に隠棲した玄賓僧都の庵である「玄賓庵」にぶつかります。玄賓がここで三輪明神の化身である女性と知り合い、三輪の故事神徳を聞かされるという筋書きの、世阿弥の作と伝わる謡曲「三輪」の舞台なのです。

さらに300m程うす暗い山裾の道を進み、ゆるやかな坂道を登ると目の前から光が差し、眺望が開けます。大和国中を一望する絶景の檜原台地に「檜原神社」があります。大神神社の摂社のひとつで、祭神は天照大御神。伊勢神宮に遷される前に一時鎮座した地として元伊勢とも称されます。大神神社と同じく三ッ鳥居があるだけで社殿はありません。

その理由は三輪山の中にある磐座を御神体としているためで、自然崇拝の原始信仰の雰囲気を色濃く残しています。神社の境内はキリッとした空気が流れ、自然と背筋が伸びるのを感じる程、他の神社よりも別格の神々しさを感じる空間です。鳥居越しに西を見れば、正面に二上山を望むことができ、そこに日が沈む夕景は素晴らしいです。

※この先「崇神天皇陵」「長岳寺」までで、桜井駅から8.5Km(140分)約半分の距離になります。

万葉集にも歌われた大和王権の武器庫「石上神宮」

万葉集にも歌われた大和王権の武器庫「石上神宮」

写真:和山 光一

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長岳寺から先、東海自然歩道を歩くこと5.5Km(110分)で、最終目的地「石上神宮」に着きます。『古事記』や『日本書紀』にも記される、勇壮な神話に彩られた大和でも屈指の古社である「石上神宮」は、武門の棟梁であった古代豪族物部氏の総氏神で、大和朝廷の武器庫だったといわれています。ちなみに武士を「もののふ」と読むのは物部氏からきています。

杉の古木に覆われ、神さびた雰囲気が漂う境内を奥へ進むと左手に大きな楼門が見えてきますが、棟木から文保2年(1318)に建立されたことが判明しており、国の重要文化財に指定されています。楼門をくぐると目の前に現れるのが、永保元年(1081)白河天皇によって寄進された宮中の神嘉殿であった国宝の拝殿で、仏堂風のしなやかな鎌倉建築です。

祭神は、神武天皇が東征の折に力を発揮したという神剣「韴霊」の霊威・布都御魂大神を主神とし、天から降ろされ、抗う邪神を平らげたといわれる神剣です。三祭神の内二祭神がご神剣で、もう一つは、須佐之男命が、ヤマタノオロチを退治したと伝わる霊剣、天十握剣です。また4世紀に百済王より倭王に贈られたとされる独特な形をした名高き宝剣「七支刀」も伝世のご神宝です。

最後に残り天理駅までは2Kmの距離です。

歌碑が点在する古道は万葉人の恋の路

山辺の道は、木立の中の山道だったり、畑の中の一本道だったり、時には舗装された車道だったりしますが、総じていかにも古道の中の古道らしい鄙びた風情があります。山裾の田舎道なので、それほどのアップダウンはなく、ハイキングに出かける感じで、歩きやすい服装や靴を準備しておけば大丈夫ですが、道沿いには途中で食事のとれる店が少なく、昼食にはお弁当を持参しておいたほうがいいでしょう。

健脚で時間に余裕のある方は、一日歩き続けて天理を目指していただけますが、長岳寺で一旦終え、柳本駅からJRで天理へ出て石上神宮に行く後半省略コースもおすすめです。

古代の官道として悠久の歴史を刻んできた山辺の道は、一方で「万葉の路」「恋の路」の貌を併せ持ちます。恋人を求めて涙にくれながら走った影媛、近江へと向かう額田王が三輪山に語りかけ、心を残したのもこの道です。古典を引用した歌碑がそこかしこに散見されますが、その多くは万葉の恋の歌です。歌碑を辿りながら山辺の道を歩くと万葉人が胸躍らせた想いが甦ります。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/09/28−2014/11/30 訪問

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