森に還った町はまるで古代文明の探検!愛媛「別子銅山」

森に還った町はまるで古代文明の探検!愛媛「別子銅山」

更新日:2016/06/01 09:55

日本三大銅山のひとつ、愛媛県新居浜市の「別子銅山」。江戸時代より開発が進められ昭和48年まで住友によって経営された鉱山は、山の中にありながら人口1万人を超える四国を代表する町でした。今は森に還った山の中、かつての町の遺跡が静かに眠ります。ハイキングコースが整備されており、気軽に産業遺産を探索できる興味深い場所です。森に飲み込まれた町は神秘的な雰囲気で、古代文明を思わせるミステリースポットなのです。

ここに町があった?森の中に眠る小足谷集落跡

ここに町があった?森の中に眠る小足谷集落跡
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散策をおすすめしたいのは、別子銅山の中でも比較的気軽に森の中の産業遺産を楽しめる「旧別子エリア」。江戸時代に別子銅山の中心だった鉱山街です。松山自動車道新居浜インターより県道47号線で山を越え、別子ダムを通過してすぐに「日浦」という登山口があります。水洗トイレがあるだけの簡易な駐車場です。飲み物はインター付近のコンビニや途中の道の駅マイントピア別子で用意しましょう。登山口からは山道を歩きます。山道とはいえ、かつては多くの人が行き交い、生活していた道。危険箇所も少なく、比較的歩きやすい道です。簡単なハイキングの服装で、スニーカーくらいの靴なら散策は可能です。

登山口から約15分で小足谷集落跡に到着します。ここには森の中にいくつもの石垣やレンガ壁が立ち並んでおり、まるで古代文明遺跡のようです。かつては味噌や酒を作った醸造所跡の巨大な煙突も残っています。経済界の要人を招いた日本庭園つきの接待館まであったというのですから驚きです。

深い山の中に残る小学校と巨大演劇場跡

深い山の中に残る小学校と巨大演劇場跡
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小足谷集落跡からもう少し奥には、小学校跡と劇場跡があります。小学校跡は石垣の上に広い平坦地が残るだけですが、最盛期の明治32年には、生徒298名、職員7名を擁していました。学校あたりの児童数は現在の全国平均とほぼ同じ。こんな山奥に多くの子供が学んでいたとは今ではとても思えません。

小学校跡の横にはまるで城壁を思わせる石垣があり、その上には1000人も収容できる巨大な劇場が建てられていました。京都から有名役者を招いて歌舞伎が演じられるなど、当時の賑わいは相当なものでした。明治時代に巨大な町だった場所が、今は深い山の中の森になっているのです。その場に立つと人間の文化の儚さや偉大さを感じずにはいられない場所です。

地下深くから湧き出す奇跡の水「ダイヤモンド水」

地下深くから湧き出す奇跡の水「ダイヤモンド水」
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劇場跡からはなだらかな登りです。今は完全な山道ですが、石垣がしっかり組まれた平坦地があったり、沢が石で護岸されていたりと、かつての生活の跡が伺えます。特に川岸にはかつての工場跡や病院跡があり、川がレンガ造りのトンネルをくぐっていたり、岩肌に鉄骨が埋め込まれていたりと、鉱山開発の跡がうかがえます。

劇場跡から約15分で「ダイヤモンド水」が湧く広場に到着します。ダイヤモンド水は昭和26年、鉱脈の調査のための掘削中に水脈にあたり、地中から湧き出した水です。先端の工業用ダイヤモンドをちりばめたドリルが回収不可能になり地中に残された事からこの名がつきました。地中深くから涌き出す水はとても冷たくて美味しく、一口飲めば、登山で火照った体が冷やされ、癒されること間違いなしです。

明治中期につくられた山の上の長大なトンネル!

明治中期につくられた山の上の長大なトンネル!
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ダイヤモンド水からは登山の色合いが濃くなりますが、しっかりした靴を履いているならもう少しだけ先に進みましょう。先に進むとやがて道が分岐します。ここは橋で川を渡るルートへ。橋を渡り、坂を登りきると水が流れる溝が森の奥に続いています。この溝沿いの道を進むと「第一通洞」に到着します。途中、森の中に崩壊したレンガの建造物があるのですが、金庫室だったというのでよく探してみてください。驚きです。

第一通洞は明治19年に完成した全長1,021mのトンネルで、山の向こうまで貫通しています。「東延(とうえん)」というすぐ近くにある明治時代の坑道から運び出した鉱石をこのトンネルの中をトロッコで運んでいました。さらに山向こうの通洞出口には駅があり、山岳鉄道で港のある新居浜まで鉱石を運んでいました。平地にも鉄道が十分に敷かれていなかった明治の世に、標高1000mを超える山中にこんなインフラがあったとはとても驚きです。現在はしっかりと閉塞され中には入れませんが、100年以上も前に完成した長いトンネルには驚くばかりです。

旧別子エリア最大の産業遺産!明治時代の城壁工場「東延」

旧別子エリア最大の産業遺産!明治時代の城壁工場「東延」
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第一通洞から少しだけ登った場所から谷間に立派な石垣が組まれているのが見えます。その中をレンガ造りのトンネルが穿たれて川の水が流れています。まる古い鉄道トンネルのように見えますが、実は明治時代に造られた谷の埋立て地です。埋立て地の上には「東延斜坑」という大規模な坑道が掘られ、明治時代にありながら蒸気機関の巻き上げ機で鉱石を運び出す最新鋭の設備でした。現在も東延には機械を設置していたレンガ造りの建物が残り、地中深く潜る斜坑の入口がぽっかりと地面に空いています。かつては人工的に造られた土地の上に立ち並んでいた最新鋭の施設。今は深い森に飲み込まれ廃墟となっています。それはただならぬ雰囲気で、一夜にして滅亡した謎の文明のようにも思えます。

東延付近は足場が悪かったり地面に穴が開いている場所もあります。気を付けて散策してください。

まだまだ楽しめる「別子銅山」の登山と遺跡探索

劇場跡までは歩きやすい靴があれば散策は可能です。その先第一通洞まではハイキングの装備が望ましいです。東延に入るなら、登山経験のある方の同伴が望ましく思われます。見学時間を除いて登山口から小足谷集落までおおよそ15分、ダイヤモンド水までは50分、第一通洞までは1時間です。

第一通洞から上部は登山装備が必要です。とはいえかつての工場地帯は歩きやすく、危険箇所もかなり少ないので、登山の初心者にもお手頃のコースです。別子銅山最初の坑道「歓喜坑」や巨大商店まであった大規模な鉱山町跡「目出度町(めったまち)」など、見所がいっぱい。別子銅山最高所、標高約1300メートルの銅山峰からは、四国の山々と瀬戸内海を一望できます。5月20日頃には銅山峰付近は高山植物の「ツガザクラ」が満開になり、登山者の目を楽しませてくれます。銅山峰から海側に山を下ると、「東洋のマチュピチュ」として人気の東平にたどり着くことができます。健脚な登山者なら、別子銅山の主要コースを往復してみるのもいかがでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/06/13 訪問

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