福井・敦賀「氣比神宮」“三大松原”と“三大鳥居”の伝説

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福井・敦賀「氣比神宮」“三大松原”と“三大鳥居”の伝説

福井・敦賀「氣比神宮」“三大松原”と“三大鳥居”の伝説

更新日:2017/11/30 11:15

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

北陸本線の敦賀駅からバスで約5分とアクセス楽々な立地にある「氣比神宮(気比神宮)」。三大松原の一つ“気比の松原”と神の使い・白鷺との伝説、伝教大師・最澄や弘法大師・空海との縁もある場所です。
さらには戦火の中、唯一残った三大木造鳥居の一つ“大鳥居”や敦賀の地名の由来にもなった「角鹿神社」を有しています。“北陸道総鎮守”とも称され、数々の逸話や伝説が残る福井県敦賀市「氣比神宮」を御紹介致します。

「氣比神宮」内で唯一、戦災を免れた「大鳥居」

「氣比神宮」内で唯一、戦災を免れた「大鳥居」

写真:KISHI Satoru

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表参道口にある高さ10.9メートルの「大鳥居」。寛永年間(1624年〜1645年)に、神社が管轄、経営していた旧神領地の佐渡国鳥居ヶ原から伐採・奉納した榁樹(むろのき)によって、1645年(正保2年)に建立されたものです。

1901年(明治34年)に国宝に指定され、現在は国の重要文化財となっています。1945年(昭和20年)の敦賀(つるが)空襲では、境内にある本堂を始め多くの建造物が焼失する中、唯一その戦火を免れたエピソードも驚きです。

奈良・春日大社の鳥居、広島・厳島神社の鳥居と並び、“日本三大木造鳥居”の一つとしても挙げられている荘厳な鳥居です。

「氣比神宮」と“気比の松原”の伝説

「氣比神宮」と“気比の松原”の伝説

写真:KISHI Satoru

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「氣比神宮」の本殿の前には、内拝殿、外拝殿といった構造。外拝殿の左右には控所と儀式殿が配されています。主祭神・伊奢沙別命(いざわけのみこと)は御食津大神(みけつおおかみ)とも称されます。また笥飯大神(けひのおおかみ)、同じ読みの別表記では、氣比大神とも呼ばれ、2000年以上も前に、境内の聖地に降臨したと伝わります。

神様にはそれぞれ縁のある使者、神使(しんし)が存在し氣比大神では、白鷺(しらさぎ)です。748年(天平20年)、異国船襲来の情報が伝わり、敦賀にも賊船の姿が。その折、敦賀の天地が大きな響きを鳴らせながら動き、浜辺に数千本の松原が出現、その梢には白鷺が群れ集います。賊船は大軍の軍旗と見誤り退散したと言われています。

その松原は“気比の松原”で、古くから「氣比神宮」の領地でした。静岡・三保の松原、佐賀・虹の松原と並ぶ三大松原の一つとしても有名です。

「九社之宮」には弘法大師・空海と伝教大師・最澄との縁も

「九社之宮」には弘法大師・空海と伝教大師・最澄との縁も

写真:KISHI Satoru

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境内の西側に位置して、「氣比神宮」の本殿を向って九社の神社があります。古来より氣比大神の御子神(みこがみ)などの関係の神々が祀られ、その数から「九社之宮(くしゃのみや)」との総称で呼ばれています。

・天利劔神社(あめのとつるぎじんじゃ)
・天伊弉奈彦神社(あめのいざなひこじんじゃ)
・天伊弉奈姫神社(あめのいざなひめじんじゃ)
・伊佐々別神社(いささわけじんじゃ)
・擬領神社(おおみやつこじんじゃ)
・鏡神社(かがみのじんじゃ)
・金神社(かねのじんじゃ)
・林神社(はやしのじんじゃ)
・劍神社(つるぎじんじゃ)

上記の九つの中で、今回は二つに絞って御紹介。
家内安全の神・素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀る“金神社”には、弘法大師・空海の伝説が残っています。804年(延暦23年)、空海(くうかい、774年〜835年)が「氣比神宮」にて渡唐を祈り、811年(弘仁2年)に再び訪れ“金神社”の霊鏡を高野山に移し、鎮守の杜としました。つまり、高野山の気比明神です。

福徳円満の大神・林山姫神(はやまひめのかみ)を祀る“林神社”には、伝教大師・最澄(さいちょう、767年〜822年)との縁があり、こちらも比叡山の氣比明神の本社となっています。

敦賀の地名の由来「角鹿神社」

敦賀の地名の由来「角鹿神社」

写真:KISHI Satoru

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境内の東側に位置し、御祭神・都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)が祀られているのが「角鹿神社(つぬがじんじゃ)」です。第10代天皇・崇神天皇の時代に朝鮮半島の南にあった任那(にんな)の国から海を渡って氣比の浦に現れたとされています。

古くは現在とは異なり、西側ではなく東側が表参道であったので「氣比神宮」の門神でした。そして、この「角鹿神社」の「角鹿」の読み、“つぬが”は時の流れと共に、“つるが”、「敦賀」へと変化したと伝わっています。

つまり、福井県敦賀市の地名の由来が「氣比神宮」にあるのです。敦賀市に立ち寄った際には、必訪の場所として激しく推しますので、是非とも足を運んでみて下さい。

氣比大神の降臨の聖地・神籬磐境の形態を残す「土公」

氣比大神の降臨の聖地・神籬磐境の形態を残す「土公」

写真:KISHI Satoru

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「氣比神宮」の北東、天筒山(てづつやま)の方角には、氣比大神が降臨したとされる聖地が残っています。陰陽道の土を司る神様、土公神(どこうじん、どくじん)の異称「土公(どこう)」と名の付いた場所。古い時代の祭祀(さいし)の多くは神籬磐境(ひもろぎいわさか)と呼ばれる、大きな岩、巨木を中心とした森など自然に寄り添い営まれました。

その形態を留める「土公」は、先述の伝教大師・最澄や弘法大師・空海が祭壇を設けて七日七夜の大業を修めた場所としても伝えられています。「土公」は学校用地となっていますので、「氣比神宮」の東駐車場の脇には離れた場所から拝めるようにと鳥居が建立されています。

福井県敦賀市「氣比神宮」“三大松原”と “三大鳥居”の伝説のまとめ

創祀2000年以上の壮大な歴史を持つ「氣比神宮」。境内には『おくのほそ道』の旅において、「氣比神宮」を訪れた松尾芭蕉の像、鬱蒼と生い茂る“氣比の杜”、天然記念物“ユーカリ”など見所満載です。

その他に“長命水”や“縁結びの桜”などパワースポットも多くあるので、それぞれじっくりとお参りをしてみて下さい。

以上、数々の伝説が語り継がれる福井県敦賀市にある「氣比神宮」の御紹介でした。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/04/09 訪問

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