福井県敦賀市「氣比神宮」は松尾芭蕉が求めた“名月の地”

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福井県敦賀市「氣比神宮」は松尾芭蕉が求めた“名月の地”

福井県敦賀市「氣比神宮」は松尾芭蕉が求めた“名月の地”

更新日:2017/11/30 11:21

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

福井県敦賀市にある“北陸道総鎮守”とも称される「氣比神宮(気比神宮)」。古くは神代まで遡る長い歴史を持つ北陸でも代表的な観光名所です。時宗の二代目・遊行上人である他阿、紀行文『おくのほそ道』を著した俳人・松尾芭蕉などとも深い関係があります。
また“旗掛松”や“亀の池”といった緑や自然の豊かな境内には様々な由緒も。今回は松尾芭蕉の月見の俳句にも触れながら、福井県敦賀市「氣比神宮」を御紹介致します。

遊行上人と「氣比神宮」の参道

遊行上人と「氣比神宮」の参道

写真:KISHI Satoru

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時宗の二代目・遊行上人(ゆぎょうしょうにん)である他阿(たあ、1237年〜1319年)が1301年(正安3年)に「氣比神宮」を訪れた時の事。現在の表参道、“大鳥居”のある境内の西側が当時は沼地であったため、参拝者が行き交うのに苦労していました。

そこで、遊行上人は自ら海岸から砂を運び、水の溜まった場所を埋め立てて、参道を整備したのです。現在でも神奈川・藤沢にある時宗の本山・清浄光寺(しょうじょうこうじ)の法主の交代の折には、「氣比神宮」にて“お砂持ち”の儀式が執り行われています。

実は、この遊行上人の素晴らしい行動に感銘を受け、俳句に詠んだのが江戸時代前期の俳人、『おくのほそ道』等の紀行文を残した松尾芭蕉(まつお ばしょう、1644年〜1694年)です。

俳人・松尾芭蕉と「氣比神宮」で望む“中秋の名月”

俳人・松尾芭蕉と「氣比神宮」で望む“中秋の名月”

写真:KISHI Satoru

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『おくのほそ道』の道中で、松尾芭蕉は現在の福井県敦賀市を訪れます。その理由は旅の目的の一つである美しい月の姿を句に詠むため。敦賀では特に、“中秋の名月”を心待ちにしていました。

1689年(元禄2年)旧暦の8月14日の夕方、快晴の敦賀に入り、宿の旅籠出雲屋の主人に、明日も晴れるかどうかを問います。出雲屋の主人は、北陸の天気は変わりやすく明日は晴れるか分からないので、月見なら今晩の内にと伝えます。

松尾芭蕉はその夜に「氣比神宮」に参拝し、月明かりに照らされた神前の白砂とその由来に感動し、次のように詠みました。

「月清し遊行のもてる砂の上」

「氣比神宮」の境内には、松尾芭蕉の像が建立され、その台座には上記の句が刻まれています。特に旅好きな方は、旅の大先輩でもあるので御挨拶をお忘れ無く。

その重量・約30トン!日本では珍しい自然石の松尾芭蕉・句碑

その重量・約30トン!日本では珍しい自然石の松尾芭蕉・句碑

写真:KISHI Satoru

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松尾芭蕉は正保元年、現在の三重県伊賀市に生まれました。若くして藤堂家に仕え、特に蝉吟(せんぎん)の俳号を持つ藤堂良忠(とうどう よしただ、1642年〜1666年)と共に俳句に親しむことに。

後に松尾芭蕉は門弟を持ち、俳句を専門的な職とする俳諧師として全国各地を巡ります。その旅の中で詠んだ俳句や、その行程を著したものが『野ざらし紀行』、『更科紀行』、『おくのほそ道』等の作品です。

「國々の八景更に氣比の月」
「月清し遊行のもてる砂の上」
「ふるき名の角鹿や恋し秋の月」
「月いつこ鐘八沈る海の底」
「名月や北國日和定なき」

樹齢700年と言われるタモの木の前には、高さ2.6m、横4.4m、奥行き1.3m、重量が約30tの巨大な句碑。しかも日本では数少ない自然石を使用したもので、上記の敦賀の地を詠んだ“芭蕉翁月五句”が刻まれています。

松尾芭蕉の「露塚・句碑」と氣比氏治の「旗掛松」

松尾芭蕉の「露塚・句碑」と氣比氏治の「旗掛松」

写真:KISHI Satoru

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先述の五句の他にも敦賀で松尾芭蕉は次のように月を詠んでいます。

「中山や越路も月ハまた命」
「月のみか雨に相撲もなかりけり」
「衣着て小貝拾ハんいろの月」

さらに“芭蕉翁月五句”の記された句碑の右後方には、下記の句が詠まれた露塚・句碑もあるのでお見逃し無く。

「なみだしくや遊行のもてる砂の露」

松尾芭蕉の像と句碑の正面には中鳥居があり、奥には外拝殿が見えます。その中鳥居の右手前に位置するのが「旗掛松」。

1336年(延元元年)に「氣比神宮」の宮司・氣比氏治(けひ うじはる、生年未詳〜1337年)が南朝の後醍醐天皇(ごだいごてんのう、1288年〜1339年)を迎え、氣比大名神の神旗を掲げた松です。現在でも古い根が残り、二代目が雄壮に育っています。

1300年以上の歴史を持つ名水の地・「亀の池」と「神水苑」

1300年以上の歴史を持つ名水の地・「亀の池」と「神水苑」

写真:KISHI Satoru

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敦賀は名水湧出の地として有名です。その名水は702年(大宝2年)、「氣比神宮」の修営中に湧き出た1300年以上の歴史を持ちます。特に境内は水脈の中心に位置し、こちらの「亀の池」は名池でもありました。

1909年(明治42年)には東宮殿下(大正天皇)の御参拝のお茶の水にも用いられました。昭和の大造営で「亀の池」を改修し、滝のある「神水苑」を整備。“お水取り”に訪れる人々で賑わう場所となっています。

また参道を挟んで社務所の向かい側には“長命水”の名称で親しまれるパワースポットもあり、名所の一つとなっています。

福井県敦賀市「氣比神宮」のまとめ

「氣比神宮」では、表参道にある国指定重要文化財の立派な“大鳥居”が訪れた人が出迎えてくれます。また「氣比神宮」とも深い関係を持つ、“気比の松原”へも自動車やバスを利用すれば、約5分とアクセスも簡単なので、合わせて巡ってみてはいかがでしょうか。

以上、松尾芭蕉が求めた“名月の地”であり、二代目・遊行上人に由来する“お砂持ち”が現在も執り行われる福井県敦賀市「氣比神宮」の御紹介でした。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/04/09 訪問

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