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写真:池口 英司
地図を見る明延という地名を聞いて、すぐにその場所を思い浮かべることができる人は少ないかもしれません。町があるのは兵庫県の内陸部。古く平安時代初期には鉱山が発見され、銅、亜鉛、スズなどを産出。町は賑わいました。
明延から山を一つ越えた先の御子畑(みこばた)に選鉱所が建てられたことから、大正初期には明延と御子畑を結ぶ「明神電車」が開通。この鉄道は鉱石の運搬を目的として建設されましたが、鉱山で働く人とその家族は、料金1円で利用でき、そのことから「一円電車」の愛称もつきます。
「明神電車」は鉱山の閉山に伴い、1987年に廃止となりますが、町の有志によって2010年に保存運転を開始。懐かしい鉱山電車の姿が甦ったのです。
写真:池口 英司
地図を見る保存運転は町の中心部にある土地を利用して、70メートルほどの線路を敷き、バッテリー機関車が客車を引いて往復するスタイルで開始されました。写真は客車の内部。「明神電車」が健在だった時代にも使用された正真正銘の本物です。
「明神電車」は全線のほとんどがトンネルで、車両は小さく作られ、大人は体をかがめなければ、車両に乗ることができませんが、かつてはこの客車が、明延に住む人の通勤、通学に使用されたのです。
今、保存運転は春から夏にかけて月に1回のペースで実施され、秋には祭りも行われています。運転日には線路の脇でライブ演奏が行われるなど、「一円電車」の復活運転は、すっかり町の名物となりました。乗車料金は無料ですが、1円の寄付が必要です。
写真:池口 英司
地図を見る写真は「あかがね号」。これは、町内に保存されている小型の電車です。現役時代には職員の移動に使用されました。屋根上にはちょこんとパンタグラフを載せた姿は、メルヘンの世界に登場するようなコミカルなスタイル。なんだか、「自家用電車」と呼びたくなってしまいます。
写真:池口 英司
地図を見る明延で保存されているのは鉄道だけではありません。かつて鉱山の従業員が住んだ「社宅」も昔のスタイルで保存され、当時の暮らしぶりを知ることができます。写真の標準的な「社宅」は、6畳、4畳半、3畳という間取りで、これで一家4人が住まうのが標準的な生活とされました。パソコンや家電品が溢れる現代の住宅とは異なる、つつましい暮らしがそこにありました。
写真:池口 英司
地図を見る明延に繁栄をもたらした鉱山の内部を見学することも可能です。坑道の一部が整備され、予約をすれば誰もが安全に見学をすることができます。鉱山の全盛期には、ヤマの中を縦横無尽に、このような坑道が張り巡らされ、鉱石が産出されていたのです。
鉱山が閉山となってからは、明延の町はゴーストタウンという言葉を思い出させるひっそりとした雰囲気となっていました。しかし「一円電車」が復活してからは、これを中心としてさまざまな活動が行われるようになり、坑道の見学者も回を追うごとに参加者が増えているといいます。今、明延の人たちが目指しているものは、「明延の明延らしい姿を残し、未来に伝えること」なのだとか。かつての鉱山の町、明延を訪ね、「ヤマ」に生きた人々の暮らし、昭和時代の地方都市の活気ある姿を探ってみてはいかがでしょう?
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