北海道の、というより日本全国に知られた稜堡式城郭の傑作「函館五稜郭」。1866年に約10万両(現在の価値で約100億円)を掛けて完成し、榎本武揚率いる旧幕府軍と新政府軍の間に起った「函館戦争」の舞台となった城でした。函館五稜郭タワーから見下ろすその星形の城は、徳川幕府の、そして武士の時代の終焉を飾るに相応しい、華奢で脆くもある城でした。
観光に来られた方は、まず五稜郭タワーへ登り、馬出し形式の半月堡(はんげつほ)から入城して、奉行所と周りの遺構を見て帰られる方が多いと思いますが、それだけでは勿体無い。まずは土塁の上を歩いて一周してみましょう(時々工事中の時もあるので、注意が必要です)。上から見下ろす堀と土塁と石垣や建物群の跡など、違った五稜郭の姿が見えてきます。
その後で下に降りて、函館奉行所や実際の遺構をそばで見学しましょう。今ある奉行所は1/3の大きさで復元されており、全体を底上げして当時の奉行所の上に立っています。屋根には太鼓櫓があり、これは新政府軍が砲撃を加える目標になってしまいました。近くにある兵糧庫は、唯一の現存建造物です。
また、管理事務所の近くにある土饅頭の下には、土方歳三が埋葬されているという伝説もありますが、真偽の程は不明です。
四稜郭は、女性の間では人気の高い城郭跡です。それは函館出身のロックグループ「GLAY」のメンバーが、幼い頃この四稜郭で遊んでいたと伝わったことに影響されています。
短いスロープが付いた砲座があり、5.4m×3mの土塁と、2.7m×1m弱のか細い空堀が城郭内を取り囲んでいます。建物や井戸跡はなく、木々に囲まれたその空間は、何かを守るためというより、あの五稜郭が落城するのを、ほんの数時間だけ遅くするだけの役割しかありませんでした。
普段は空いていて人影を見ることは少なくいので、土塁の上に座り目を閉じて、少し涼し気に吹く風に身を任せていると、不安げに周りを見張っていた旧幕府軍の兵士の姿が思い浮かぶようです。
でも一つだけご注意を!誰もいない時には、スマートフォンや携帯ラジオからボリュームを少し大きめにして、音楽などを聞いていましょう。音がしていれば大丈夫ですが、横を見たらクマさんが座っていた、なんてことが起きないとも限らない、少し人里離れた場所にあります。
三稜郭ってどんな形?という疑問の声が聞こえてきそうです。というより、三稜郭って聞いたこともない、本当にあるの?という方が殆どだと思います。知られていなかった理由は、三稜郭を記録したものが少ないこと。函館戦争で果たした役割も殆どなく、ましてや城とは言えない建物だった三稜郭。勝った新政府軍が取るに足らないと判断して、記録を残さなかったとしても仕方ありません。歴史とは、勝者が都合のいいように残した記録だという人がいます。あながち違うとは言い切れないかもしれません。
写真の場所は、五稜郭から北東方向に向かって5kmほどの国道沿いにある比遅里神社です。国道より少し高く崖のようになった敷地が、三角形になっています。
ただ、誰でも知っている場所ではないので、マニアックな方だけにお勧めの場所かもしれません。
五、四、三とご紹介しましたが、実は七稜郭が函館北斗駅の近くにあります。ヒグマの出ることもある場所なので、訪問の際はご注意を!
稜郭形式のお城群からそれほど遠くない処に、陣屋と呼ばれる砦に近い形式の城郭が幾つかあります。築城された時期は、松前藩が出来て、榎本武揚率いる旧幕府軍との戦が始まる前までです。
その中でもこの戸切地陣屋跡は遺構も良く残り、規模感と併せて観ると、是非行ってみたいお城です。夏秋冬は、なぜこんな田舎にあるのに駐車場が広いんだろうと感じますが、桜の時期は大変な混雑で、なるほどと実感できる桜の名所です。
でもお城好きなら春は外して、その他の空いている季節に訪れて、じっくりと空堀や土塁や虎口を見て回ることをお勧めします。きっと小振りながらも良くできた、いい陣屋跡だと感じてもらえます。
函館へ来たなら取り敢えず五稜郭へ、それから函館山の夜景と朝早い時間帯に八幡坂へ行ってみようとお考えの、歴史好きな方へ。
函館には時代に埋もれてしまった、知られていない歴史的建造物がたくさんあります。稜堡式城郭・陣屋跡や函館空港のすぐ近くにある、志苔館に代表される館跡などなど。
函館にお出かけの節は、是非「お城巡り」ツアーを楽しんで下さい。
それとついでに小ネタを一つ、五四三に引っ掛けてお城好きなら覚えておいて損のないことがあります。
それは現存12天守の覚え方です。(五は国宝・四は四国に・三は難しく、桜と古さと壊れそうな石垣)と覚えて下さい。
現存12天守が少しの時間で覚えられます。
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