戦艦大和ゆかりの古社!奈良県天理市の大和神社は歴史の宝庫

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戦艦大和ゆかりの古社!奈良県天理市の大和神社は歴史の宝庫

戦艦大和ゆかりの古社!奈良県天理市の大和神社は歴史の宝庫

更新日:2016/05/28 19:51

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員

日本最古の社といえば、奈良県桜井市の大神神社を思い浮かべる方も多いでしょう。しかし、その北方にも、大神神社に匹敵する古社が鎮座しています。天理市の大和神社です。大和神社は歴史の宝庫であり、太平洋戦争当時、世界最大の戦艦として名を馳せた、あの戦艦大和ゆかりの社でもあるのです。今回は大和神社の知られざる歴史をご紹介しましょう。

大神神社に匹敵する最古級の社!大和神社

大神神社に匹敵する最古級の社!大和神社

写真:乾口 達司

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大和神社(おおやまとじんじゃ)の創建は古く、崇神天皇の時代までさかのぼるとされます。『日本書紀』によれば、日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)は皇祖神・天照大神とともに宮中にまつられていましたが、神威はなはだしく、世の中が乱れたため、崇神天皇の命により、市磯邑に遷されました。それが大和神社のはじまりであるとされます。

以後、伊勢神宮に鎮座した天照大神に次ぐ大神として朝廷から篤くうやまわれましたが、中世以降、朝廷の勢いが弱まるにともなって衰微。広大な社領は失われ、現在にいたっています。大和神社に参拝すると、田園にかこまれた村の鎮守といった印象を受ける方もいらっしゃるでしょうが、数百メートルにおよぶ長く、大きな参道など、ありふれた村の鎮守とは一線を画したたたずまいが随所に見られ、大和神社のかつての勢いがしのばれます。

大和神社の古さを伝える!境内に残る星塚古墳

大和神社の古さを伝える!境内に残る星塚古墳

写真:乾口 達司

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大和神社の古さは、境内に残る古墳の存在からもうかがえます。写真は祖霊社の裏手に位置する星塚古墳。大型の前方後方墳、あるいは細長い鞍部で連結した2基の方墳と考えられています。

ほかにも周辺には数多くの古墳が点在しており、大和神社が古墳時代の創建であることを如実に物語っています。

ご存知でしたか?戦艦大和ゆかりの石碑

ご存知でしたか?戦艦大和ゆかりの石碑

写真:乾口 達司

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境内の一角には「戦艦大和ゆかりの神社」と刻まれたご覧の石碑も立っています。建造当時、世界最大とうたわれた戦艦大和の艦内には、同名であることにちなみ、大和神社の分霊がまつられていました。その縁で、現在、亡くなった大和の乗組員および坊ノ沖海戦における第二艦隊の戦没者計3721柱がまつられています。

石碑は毎年続けられている「戦艦大和みたま祭」で集められた初穂料によって建立されたもの。そのサイズは高さ2736ミリメートル、横幅1300ミリメートルという規模ですが、その高さの数値「2736」は戦艦大和の乗組員の数にもとづいているとのこと。大和神社が戦艦大和と深い縁があったこと、ご存知でしたか?

さすがは戦艦大和ゆかりの社!大和を模した土鈴

さすがは戦艦大和ゆかりの社!大和を模した土鈴

写真:乾口 達司

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写真は授与所に展示された土鈴。もちろん、戦艦大和を模したものであり、ここからも大和神社と大和とのかかわりを知ることが出来ます。興味のある方は、授与していただきましょう。

ちなみに、境内には「戦艦大和展示館」もあり、大和の模型や大和を描いた絵画、その他の資料が展示されています。

必勝祈願!「勝」の絵馬

必勝祈願!「勝」の絵馬

写真:乾口 達司

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奉納された写真の絵馬では、「勝」の一字が、大日本帝国の勝利を願って建造された戦艦大和を象徴しているともいえるでしょう。もちろん、戦艦大和に限らず、合格祈願などにも御利益があるとされているため、さまざまな「勝」を願って絵馬を奉納してみてはいかがでしょうか。

おわりに

大和神社の知られざる歴史、おわかりいただけたでしょうか。境内は、古代、飛鳥・藤原地区と平城京とを結んでいた「上つ道」沿いに位置している上、その東方には日本最古の街道といわれる「山辺の道」も通っています。したがって、散策にはうってつけのところであるといえるでしょう。大和神社に参拝し、その豊かな歴史に触れてみて下さい。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/12 訪問

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