猛将と剣聖が守り信玄が攻めた悲運の城!高崎市「箕輪城」

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猛将と剣聖が守り信玄が攻めた悲運の城!高崎市「箕輪城」

猛将と剣聖が守り信玄が攻めた悲運の城!高崎市「箕輪城」

更新日:2016/11/25 11:06

田中 秀昭のプロフィール写真 田中 秀昭 歴史と文化財の解説ナビゲーター

群馬県高崎駅から車で約30分の処にある「箕輪城」は、空堀と土塁がきれいに残る、西下野の名城です。日本百名城にもなっており、2016年には城門が、その数年先には吊橋も復元される予定になっています。このお城は有名ではありませんが、縄張り(設計図)と馬出と虎口の妙、大堀切など見所が沢山ある名城の一つです。
そんな箕輪城を、隅から隅までご案内致します。行ってみて損のない、下野の国の隠れた名城です!

業正その死を隠し、信玄を謀る!

業正その死を隠し、信玄を謀る!

写真:田中 秀昭

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箕輪城は、下野を支配下に収めようとする武田信玄との、幾度もの戦さに耐え抜いた名城です。特に長野家城主の中でも猛将と恐れられた「長野業正」は、配下の武将たちの信頼も厚く、戦上手でもありました。その武将たちの中でも「上泉伊勢守信綱」は、天下に比類なき剣の達人と云われています。歴史書には、柳生宗矩が上泉一門と相対した時に、全く歯が立たなかったと記されたものもあります。

この城には、本丸に迫る登城道が七本あります。攻め寄せる敵に対してそれぞれの場所で、工夫を凝らした城門や土塁を利用しつつ、勇猛果敢に戦う武将たちの姿が見えてくるようです。
城内には古い石垣や復元された石垣も散見されますが、これは長野氏ではなく、その後に城主となった井伊直政らが築いたと云われています。

しかし業正が病没してしまい、幼い業盛が当主の座に就きました。業正は自分の死を三年間伏せ、その間に力をつけよと業盛に命じました。だがついに信玄に知られるところとなり、何度か攻め手を押し返したものの、ついに城は落とされてしまいました。信玄も勝頼に、自分の死を三年間伏せろと遺言していました。

今でも広くて深い、圧巻の大堀切!

今でも広くて深い、圧巻の大堀切!

写真:田中 秀昭

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その時の箕輪城の大手門は、今の搦め手門にありました。城主は次々と変わり、天下の大勢が決した後に城主となった「井伊直政」は、攻城戦に耐えつつも、権勢を誇る城造りを目指して、大手門と搦め手門を入れ替えました。

城主というのは、来城してくる訪問客(将来の敵方となる可能性のある武将も含めて)や領民に対して、見栄を張る必要があります。一つには城主である自分に従わせるためと、攻めても無駄だという事を城の造りで示すためです。大手門を入れ替えた理由は、この写真の大堀切(当時は幅30m・深さ20m)を見せつける事でした。

新しく大手門となったのは「虎韜門」です。写真の大堀切の真下にあり、城の西側に当たります。本丸を背にしてみると、右側になります。虎韜とは中国の兵法書である「六韜」から来ており「虎の巻」という言葉もここが語源です。

この大手門の通りを挟んだ反対側には「白河口埋門」があり、武田氏に攻め落とされる寸前に、この城門を通って落ち延びようとした業盛の正室と長子がいました。敵方の武将に追い付かれると勘違いをした正室は、自決を図って時間稼ぎをして長子だけを落ち延びさせた、悲運の城門口でした。

もうすぐ完成、復元城門として最大級の「郭馬出西虎口櫓門」

もうすぐ完成、復元城門として最大級の「郭馬出西虎口櫓門」

写真:田中 秀昭

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前の写真にある大堀切を登りきった所に、復元途中の郭馬出西虎口櫓門(かくうまだし にしこぐち やぐらもん)があります。
大堀切には、ウッドチップが敷き詰められて、歩き易く整備されており、大堀切と櫓門へ登る階段も出来ています。大堀切の途中には、パンフレットを入れたBOXがありますが、中に虫などが隠れている時もあるので、取り出すときは注意して下さい。

また復元中の櫓門が2016年11月23日にお披露目されました。最近は城郭遺構の木造復元が多くなっており、城好きにはたまりません。城門には、屋根の形・破風・懸魚・肘壺・乳金物など、見るべき箇所がたくさんあります。2019年には、本丸にも城門と橋が復元予定となっており、一般公開が待ち遠しい!

さて次は、この櫓門の脇を通り抜けて、二の丸下からぐるっと本丸と御前曲輪を下から見上げる空堀の底を歩いてみましょう。

歩いて周れる、二の丸から三の丸への「空堀底道」

歩いて周れる、二の丸から三の丸への「空堀底道」

写真:田中 秀昭

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少し珍しい体験をしましょう!通常のお城を歩いて周る時は、お堀に掛かる橋を渡って城門を潜り、二の丸に入って本丸を目指しますが、石垣を見上げることはあっても、通常は一階と同じ高さを歩きます。

しかし、この箕輪城は違います。堀底から見上げることの出来る城も幾つかありますが、スケール感とウッドチップを敷き詰めて整備された空堀の底を、気持ちよく歩くことが出来るという意味では、この箕輪城に肩を並べる城は、そうはありません!
この空堀底道を歩いて一周するだけでも、この箕輪城に来たかいがあります。

業盛無念の自決、御前曲輪へ!

業盛無念の自決、御前曲輪へ!

写真:田中 秀昭

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壕底を二の丸からほぼ一周すると、三の丸に出ます。でも二の丸が見えているので、それを目印に本丸を目指しましょう。本丸はビックリするくらいの大きな広場になっています。遺構があるのはさらにその奥、城郭最深部の御前曲輪と呼ばれるところです。ここには城主のプライベートな建物、通常は御殿と呼ばれる建造物がありました。

信玄に攻められ、いよいよとなった若き城主の業盛が、正室と長子を落ち延びさせた後に、ここで自刃します。当時から使われていたと伝わる井戸には、誰が投げ込んだか、長野氏の先祖伝来の墓石が多数投げ込まれていたと伝わっています。

御前曲輪のさらに奥、空堀越しに笠置山があります。ここは、長野氏先祖代々の墓所があった場所で、平和な時代の長野氏の和やかな風景と、信玄に攻められ、いよいよと観念した若き城主業盛の無念さが感じられる、そんな厳かな雰囲気を醸し出している場所です。

最後の城主、井伊直政の育ての母は、大河ドラマの主人公

2017年のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公・井伊直虎は、男性のような名前ですが、戦国時代の女武将です。愛する人がいながら、寄り添うことが出来ずに、その遺児であった将来の井伊直政を引き取って育てます。この大河ドラマで、箕輪城が登場するのかは分かりませんが、井伊直政が城主という事での登場を期待したいものです。

しかし、歴史の中で武将と合戦、そして城が果たす役割は大きなものがあります。箕輪城だけでも見応えのある城ですが、歴史も含めてこの城を訪れると、更に興味が増すことをお約束します。

是非、この知られていない名城『箕輪城』にお出掛け下さい。行ってみて損だった、なんてことは決してありません!

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/05/13 訪問

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