小島はしまなみ海道を経由して車で行く事はできません。
上陸する方法は船に乗るしかなく、今治市の波止浜(はしはま)港から出航する60人乗りの小さな観光船に乗るのみ。観光船は瀬戸内の島々に暮らす人々の定期船でもあり、各駅停車のようにそれぞれの島に向かいます。
小島は波止浜港から乗船して約10分ほどで到着しますが、その間は地元の造船会社(ドック)が間近で見られるだけでなく、村上水軍の拠点であった来島(くるしま)、来島海峡の急流や海側から見る来島海峡大橋の絶景など、見るべきものがたくさん溢れている航路となっています。時間に余裕のある人は来島で下船して、海城の来島城を見て回るのも良いでしょう。
さて来島の次に停船するのが今回の目的地・小島です。周囲3kmの小さな島は今では木々に覆われていますが、明治の頃は防衛の最前線として活躍した重要拠点だったのです。
周囲約3キロの島は明治時代の海岸要塞としては、完全に近い状態で残っている日本唯一のものです。なぜ完全に近い状態で残されたかと言うと未使用のまま戦争が終結してしまったことです。
さて上陸して以降は島内のマップを見ながら散策することになります。砲台跡や兵舎、発電所、弾薬庫など10を超える旧要塞施設が島内に散在していますが、見事な石組みとレンガを多用した建造物はほぼ原形をとどめ、100年以上放置された割には保存状態がよいことに気づくでしょう。また実物は間近で見て触ることも可能。
写真は中央司令塔の直下に位置する地下兵舎跡。写真を撮影した日はボランティアの清掃があったばかりできれいに草が刈られていますが、草が生い茂っている様はまるでラピュタの世界が広がっています。また中央司令塔(現在は展望台)まで上れば、360度のパノラマの世界が広がり、瀬戸内の碧色に輝く海が目に飛び込んできます。
中央司令塔から北部砲台跡に行くにはさらに歩く事20分以上。
アップダウンの続く道中には、写真のように「椿ロード」と呼ばれる椿のトンネル道が連なります。
この椿ロードは島内の所々にあり、椿の花が落ちる季節には道一面が椿の花で覆われることで知られていて、要塞よりも椿の絨毯だけをわざわざ見に来る島外の人たちも多くいます。
写真は自然のままで手つかずの椿ロード。頭の上まで覆う草木は要塞がラピュタならこの道はまるでトトロの世界のようです。
未使用のまま役目を終えた要塞がなぜ爆撃を受けたのか?
それは国から波止浜町に島が払い下げをされる際に交わされた条件があったためです。
その払い下げ条件こそ日本軍機による爆撃演習の標的であり、1926年(大正15年)8月に陸軍の軍機により二度にわたる爆撃演習が行なわれました。目的は要塞の強度を見極めるためであり、当時は予想以上の強度を持った要塞であったことが証明されたようです。
今でもその爆撃跡が残る北部砲台跡は、破壊されているものの当時の高度な建築技術がうかがえる貴重な近代遺跡といえるでしょう。
写真は北部砲台の司令台(司令塔)から見たしなまみ海道です。
さて北部砲台跡見学後は南部砲台跡を見学(経由)して桟橋(船着き場)に戻ることにしましょう。
要塞完成当時、島には百数十人の部隊が駐留したものの、ロシア艦隊の侵攻も要塞の出番もなく役目を終えた島では、中部砲台にあった28センチ砲の6門うち、2門が1904年(明治37年)に小島から旅順(現中国大連市)に運ばれ日露戦争の二百三高地の攻略に活躍したとされます。
写真の大砲(レプリカ)は、NHKドラマ「坂の上の雲」のロケで実際に使用された28センチ榴弾砲で、ご縁がありこの地に移設されたものです。桟橋のすぐそばに位置していますので、次の定期船が来る時間までじっくり見る事ができます。なおすぐそばに建っている建物の中には小島要塞の歴史を見る事ができる写真の掲示がありますので必ず見学して帰りましょう。
定期船は一定間隔で運行されていませんので、次に船が来る時間を確認して島内を散策しましょう。なお自転車の持ち込みは可能(別途料金)ですが、手つかずの自然が残っている場所もありますので、通行には十分に気をつけましょう。
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