福井・敦賀の歴史と人物を巡る!「日本書紀」から“命のビザ”まで

| 福井県

| 旅の専門家がお届けする観光情報

福井・敦賀の歴史と人物を巡る!「日本書紀」から“命のビザ”まで

福井・敦賀の歴史と人物を巡る!「日本書紀」から“命のビザ”まで

更新日:2017/11/30 19:03

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

敦賀湾に面した福井県敦賀市では、古くから海の町、港の町としての歴史が残っています。『日本書紀』から始まり、俳人・松尾芭蕉、杉原千畝の発給した“命のビザ”を手にしたユダヤ人難民など様々な歴史や人物との関係の中に敦賀が登場します。
日本海を挟んで大陸と、また北陸と京阪神や中京を結ぶ主要な拠点として役割を担った福井県敦賀市を、歴史と人物に焦点を絞って御紹介致します。

敦賀の地名の由来・都怒我阿羅斯等と「角鹿神社」

敦賀の地名の由来・都怒我阿羅斯等と「角鹿神社」

写真:KISHI Satoru

地図を見る

第10代天皇・崇神天皇の時代に朝鮮半島の南にあった大加羅国(おおからこく)から、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が海を渡って笥飯(けい)の浦、現在の敦賀に現れたと歴史書『日本書紀』に記されています。

「氣比神宮」境内には、摂社「角鹿神社(つぬがじんじゃ)」があり、御祭神は都怒我阿羅斯等となっています。この「角鹿神社」の「角鹿」の読み、“つぬが”は時の流れと共に、“つるが”、「敦賀」へと変化したと伝わっています。つまり、敦賀の地名の由来とも言われているのです。

敦賀駅にあるバスのロータリーの近くには都怒我阿羅斯等の像が建立されています。敦賀駅を利用の際には是非、御挨拶をしていきましょう。

二代目・遊行上人と“お砂持ち”の神事

二代目・遊行上人と“お砂持ち”の神事

写真:KISHI Satoru

地図を見る

敦賀の観光スポットとして有名な北陸道総鎮守「氣比神宮」。敦賀街道を挟んで荘厳な木造の大鳥居の向かい側には、“お砂持ち”の神事の由来を伝える像が建立されています。

時宗の二代目・遊行上人(ゆぎょうしょうにん)である他阿(たあ、1237年〜1319年)が全国を巡っている途中に「氣比神宮」を訪れます。当時は、境内の西側近くまで入江であったため沼地であり、参拝者が行き交うのに困難が生じていたのです。

二代目・遊行上人は自ら先頭に立ち、神官、僧侶、多くの信者たちと共に浜から砂を運び参道の整備をされたと伝わっています。現在でも神奈川・藤沢にある時宗の本山・清浄光寺(しょうじょうこうじ)の法主の交代の際には、「氣比神宮」にて“お砂持ち”の神事が執り行われています。

敦賀の発展に尽力した実業家・大和田荘七

敦賀の発展に尽力した実業家・大和田荘七

写真:KISHI Satoru

地図を見る

敦賀出身の実業家である二代目・大和田荘七(おおわだ しょうしち、1857年〜1947年)。海運業を始め、金融業など各種分野の事業を経営し敦賀の産業の発展に尽力します。特に敦賀港の国際貿易港指定や港湾整備などに力を注ぎました。

1899年(明治32年)に開港した敦賀港。その90周年を記念して、1989年(平成元年)に大和田荘七像が建立されました。こちらの敦賀市民文化センターから南西方向には、大和田荘七が開業した大和田銀行本店の建物が残っており、文化財修復工事を経て、現在は「敦賀市立博物館」となっています。

因みに福井県敦賀市出身の俳優、大和田伸也さん、大和田獏さんは大和田荘七の遠縁にあたるそうですよ。

『おくのほそ道』の旅で敦賀を訪れた俳人・松尾芭蕉の句碑

『おくのほそ道』の旅で敦賀を訪れた俳人・松尾芭蕉の句碑

写真:KISHI Satoru

地図を見る

江戸時代前期の俳人・松尾芭蕉(まつお ばしょう、1644年〜1694年)は『おくのほそ道』の旅の途中で敦賀に立ち寄ります。その目的は美しい月を観賞するため。気比の海、つまり、敦賀の海で松尾芭蕉が詠んだのが以下の句となります。

「国々の八景更に気比の月」

1959年(昭和34年)に『荊口句帖(けいこうくちょう)』から「芭蕉翁月一夜十五句」が発見され、その中にあったのが上述の句となります。1982年(昭和57年)に『荊口句帖』から字体を写して建立されたのがこちらの句碑となります。

先程の大和田荘七の像の直ぐ近くにあるので、併せて巡ってみて下さい。

ユダヤ人難民を“命のビザ”で救った杉原千畝と敦賀港の関係

ユダヤ人難民を“命のビザ”で救った杉原千畝と敦賀港の関係

写真:KISHI Satoru

地図を見る

第二次世界大戦中、ナチスの迫害から逃れようとしたポーランド系ユダヤ人に、当時のリトアニア領事代理・杉原千畝(すぎはら ちうね、1900年〜1986年)は、人道的な立場から日本通過ビザを発給。約6000人ものユダヤ人が救われたと言われています。

“命のビザ”を手にシベリア鉄道でウラジオストクに向かい日本海を渡って辿り着いたのが、敦賀港だったのです。2001年に杉原千畝の妻・幸子夫人の初めての敦賀来訪を記念してソメイヨシノと共に植樹されたのが、こちらの樫の木。

杉原千畝の功績と共に敦賀港が担った歴史的な役割を後世に伝え、リトアニア共和国との友好と交流を希望し、両国の代表的な木が植えられました。

福井県敦賀市の歴史と人物のまとめ

敦賀市内には、先に上げた「氣比神宮」や「敦賀市立博物館」の他にも、“恋の宮”とも呼ばれ恋愛のパワースポット「金崎宮」、“敦賀まつり”で巡行する山車が展示された「みなとつるが山車会館」、日本三大松原の一つ「気比の松原」など、多くの観光スポットが点在しています。

「ぐるっと敦賀周遊バス」やレンタサイクルといった移動手段も充実しているので、そちらを利用すると周りやすいですよ。
歴史や文化、また様々な縁のある人物の跡を辿りながら、敦賀湾に面した風光明媚な地、福井県敦賀市を巡ってみてはいかがでしょうか。


掲載内容は執筆時点のものです。 2016/04/09 訪問

- PR -

条件を指定して検索

トラベルjp 旅行ガイド

トップページへ戻る

トラベルjpで一緒に働きませんか? 旅行ガイド編集部では運用サポートスタッフを募集中です!

- PR -

旅行ナビゲーター(在宅ライター)募集中!
この記事に関するお問い合わせ