福井・敦賀「金ヶ崎緑地」資料館から赤レンガ倉庫のレストランも!

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福井・敦賀「金ヶ崎緑地」資料館から赤レンガ倉庫のレストランも!

福井・敦賀「金ヶ崎緑地」資料館から赤レンガ倉庫のレストランも!

更新日:2017/11/30 19:02

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

第一次世界大戦の時代にはポーランド孤児を、第二次世界大戦の時代には“命のビザ”を手にしたユダヤ人難民を日本に迎え入れる事となった港町は何処か御存知でしょうか?
日本海を挟んで大陸との結び付きが古くからあった港町、福井県敦賀市です。そのような敦賀の深い歴史を辿れる「金ヶ崎緑地」を、「敦賀鉄道資料館」、「人道の港・敦賀ムゼウム」、食事も楽しめる「敦賀赤レンガ倉庫」といった見どころと共に御紹介致します。

敦賀港開港100周年記念モニュメント

敦賀港開港100周年記念モニュメント

写真:KISHI Satoru

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品物の輸送運賃によって、利益を上げる賃積船(ちんづみせん)、各地で安く仕入れた品物を別の土地で高く売り、利益を上げる買積船(かいづみせん)。

江戸時代には、上記二つのビジネス形態を持った船があり、大阪など上方の人々は北陸地方の買積船を北前船(きたまえぶね)と呼んでいました。大阪から西に向かって日本海側を辿り、北海道を結ぶルート“西廻り航路”。大阪方面からは酒・神・米・木綿などが北海道からは海産物が輸送されました。

中でも敦賀は“西回り航路”以前から、日本海側の諸国の物資を集積し、琵琶湖を渡って京都へ運ぶ中継地となっており、近江商人にとっての重要な町として発展していました。
1899年(明治32年)に外国貿易のための港、開港場(かいこうじょう)として指定され、1999年(平成11年)に敦賀港開港100周年を記念してモニュメントが整備されました。

風を受けて進む北前船の連なる3つの帆をイメージして作られたモニュメントは、高さ8メートル、広場の直径は14メートルのサイズ。夜には床面に設置された広角照明でライトアップされ、昼間とはまた一味違ったノスタルジックな空間を演出します。

“東洋の波止場”旧敦賀港駅舎「敦賀鉄道資料館」

“東洋の波止場”旧敦賀港駅舎「敦賀鉄道資料館」

写真:KISHI Satoru

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日本海側で初めて鉄道が敷かれた街が敦賀です。1912年(明治45年)からは東京・新橋駅〜福井・金ヶ崎駅(後に、敦賀港駅と改称)の間で直通列車が運行を開始します。“欧亜国際連絡列車”です。

敦賀では、ロシアのウラジオストクへの直行船に連絡し、ウラジオストクからはシベリア鉄道を経由して、ヨーロッパへと通じていました。当時、日本からヨーロッパへの移動は船で約1ヶ月の長旅でしたが、この敦賀−ウラジオストク航路とシベリア鉄道を経由するルートは、東京〜パリの間を17日間で結び、欧州への最短経路として多くの人々と文化を運びました。

こうして、敦賀はシベリア鉄道経由で日本とヨーロッパを結ぶ玄関口としての役割を担っていたのです。この点は後年のポーランド孤児や命のビザを手にしたユダヤ難民の歴史にも繋がっていきます。

敦賀港駅舎を再現した、こちらの建物は「敦賀鉄道資料館」。鉄道模型、当時の旅行案内や切符などが展示され、敦賀港と鉄道の歴史を深く知る事のできる施設となっています。

前は海、後ろは山・敦賀港を一望する「金ヶ崎緑地」

前は海、後ろは山・敦賀港を一望する「金ヶ崎緑地」

写真:KISHI Satoru

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開港100周年記念のモニュメントの西側にある“きらめきみなと館”から、海に沿って湾曲しながら東側へと続く「金ヶ崎緑地」。ボードウォーク、ボードデッキから敦賀港を一望することが出来ます。

レトロな時計台、ふれあい花壇、東屋などが設置され、時計台広場、半円形広場、芝生広場が連なる広々とした空間です。東側には天筒山、北側には「金ヶ崎城跡」、「金崎宮(かねがさきぐう)」などのある小高い山の緑の稜線。澄んだ海と空とのコントラストが鮮やかです。

ふれあい花壇の近くには「人道の港・敦賀ムゼウム」、周辺には「敦賀赤レンガ倉庫」など様々な観光スポットが目白押し。潮風を肌で感じられる「金ヶ崎緑地」を、のんびりと散策しながら、ちょっとした休憩にもオススメです。

ポーランド孤児、ユダヤ人難民の上陸地「人道の港・敦賀ムゼウム」

ポーランド孤児、ユダヤ人難民の上陸地「人道の港・敦賀ムゼウム」

提供元:公益社団法人福井県観光連盟

http://www.fuku-e.com/地図を見る

ポーランド語で資料館を意味する「ムゼウム」。何故ここでポーランド語が使われているか。そこには深い理由があります。

ロシア、ドイツ、オーストリアといった列強に囲まれたポーランドは、各国からの侵攻や支配を受けてきた歴史があります。特にロシア領となった地域で独立運動に参加した人々はシベリア流刑に。また1914年(大正3年)に始まる第一次世界大戦ではドイツとロシアの戦場に。逃げ場が無いため、戦争を避けた人々はシベリアへと流れていきます。

その数、15万人〜20万人。悲惨な状況の中、子供たちだけでも救おうといった動きに協力したのが日本です。日本赤十字社を中心にした救助により、1920年〜1922年(大正9年〜11年)にポーランド孤児763名が無事に敦賀港に上陸。

1940年〜1941年(昭和15年〜16年)には、日本通過のビザを手にしたユダヤ人難民が約6000人も敦賀港に上陸しています。リトアニア領事・杉原千畝(すぎはら ちうね、1900年〜1986年)が外務省に背いて発給した有名な“命のビザ”です。

敦賀の住民を始め様々な人々の優しさが伝わってくるエピソードが数多く残っています。子供と一緒に大人も学べる素晴らしい資料館なので是非、お立ち寄り下さい。

巨大ジオラマからレストランまで「敦賀赤レンガ倉庫」

巨大ジオラマからレストランまで「敦賀赤レンガ倉庫」

写真:KISHI Satoru

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「敦賀赤レンガ倉庫」は、1905年(明治38年)に石油貯蔵用の倉庫として建設され、途中、軍の備品倉庫や昆布の貯蔵庫としても使用された福井県でも有数のレンガ建造物です。

2009年には、北棟・南棟・レンガ塀が国登録有形文化財となり、2015年には北棟に鉄道と港の巨大ジオラマのある「ジオラマ館」、南棟には赤レンガ空間を楽しみながら食事のできる「レストラン館」がオープン。

「ジオラマ館」では子供から大人まで夢中にさせてしまう全長・約27メートル、最大奥行・7.5メートルの大きさのジオラマ。「レストラン館」では地元の旬の食材を活かした3つの店舗、“赤レンガcafe”、“生け簀の甲羅”、“Sogno-Poli(ソニョーポリ)”が訪れた人々の舌を唸らせています。

福井県敦賀市「金ヶ崎緑地」のまとめ

港町、鉄道の町として栄えてきた敦賀の歴史を堪能できる「金ヶ崎緑地」。ジオラマで目を、レストランでは舌を思う存分に楽しませる事ができる「赤レンガ倉庫」を始め、「金ヶ崎城跡」や「金崎宮」といった観光名所も周辺に豊富です。

各施設の営業時間など詳しい情報については、下部関連MEMOにあります公式サイトへのリンクから御確認下さい。
以上、ポーランド孤児、ユダヤ人難民といった大きな歴史的事柄にも深く関連する福井県敦賀市にある「金ヶ崎緑地」の御紹介でした。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/04/09 訪問

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