写真:乾口 達司
地図を見る赤岡町は、眼前に雄大な太平洋が広がる海沿いの街。2006年、平成の大合併によって香南市に編入されましたが、それまでは日本でもっとも小さな自治体でした。
そんな赤岡町の観光スポットとしてまず挙がるのが「絵金蔵」(えきんぐら)。「絵金」の愛称で親しまれた絵師・弘瀬金蔵(ひろせきんぞう)の業績を紹介したミュージアムです。金蔵は、文化9年(1812)、高知城下で生まれました。幼い頃から絵の才能を発揮していた金蔵は弱冠16歳にして江戸に上り、土佐江戸藩邸御用絵師の前村洞和や幕府御用絵師・狩野洞益に師事したといわれています。帰郷後は20歳にして土佐藩家老・桐間家の御用絵師となりますが、贋作騒動に巻き込まれ、城下を追放。やがて、現在の赤岡町に暮らしていた叔母のもとに身を寄せ、当地で芝居絵や提灯絵、戯画などを描き、生計を立てたのでした。明治9年(1876)、死去。享年65。
「絵金」の名で親しまれた金蔵の絵はいまでも毎年7月にもよおされる「土佐赤岡絵金祭り」で公開されますが、そんな「絵金」の世界を一年中堪能出来るのが「絵金蔵」。館内では、おどろおどろしく、そして、官能的な「絵金」の世界がさまざまな演出によって紹介されています。もちろん、作品の実物も拝見出来るため、江戸時代の芝居絵や浮世絵に興味のある方は訪れてみて下さい。
写真:乾口 達司
地図を見る「絵金蔵」から海側に歩いて数分のところには、写真の空き地が残されています。かつてここには蔵があり、「絵金」はその蔵のなかで画業にいそしんでいました。
ちなみに、その脇には、父祖の代から美濃俳諧の宗匠として活躍していた徳弘梅左の屋敷がありました。
写真:乾口 達司
地図を見る写真は「絵金蔵」の向かいに建つ弁天座。町の多目的ホールとしての役割をになう建物ですが、ご覧のように、ホールの内部はかつての芝居小屋を復元しており、さすがは「絵金」の暮らした地のホールであると思わせます。
延床面積は962.04平方メートル。1階の舞台は廻り舞台となっており、奈落から舞台上へ人物を登場させる「迫り」(セリ)や舞台と鳥屋とを結んでいる花道、花道にしかけられた「すっぽん」、現在の芝居小屋ではきわめて珍しい「空井戸」なども設けられており、お芝居に詳しい方には必ずや喜ばれるはず。ホールで特別なイベントがおこなわれていない限り、自由に館内を見せていただけるので、入口で施設の管理人に声をかけてみましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る赤岡町には、当地発祥のB級グルメも存在します。その名は「中日そば」。中日そばはうどんのスープと中華そばとを組み合わせたもの。昭和20年代後半より食べられるようになったようで、赤岡町では、現在、数店舗でいただくことが出来ます。
写真は「とさを商店」の中日そば。とさを商店のものにはちりめんじゃこや練りもの、とろろ昆布などが入り、あっさりしていながら、潮の香りが強くただよって来ます。全国レベルではあまり知られていない中日そば。赤岡町を訪れたら、ぜひお召し上がり下さい。
写真:乾口 達司
地図を見る「とさを商店」の向かいに位置するのが、赤岡町を代表する日本酒の醸造元・高木酒造。赤岡町では、毎年4月、国内外の酒豪たちがドロメ(マイワシやウルメなどの稚魚)を肴にして、日本酒を飲み干す祭典「どろめ祭り」がとりおこなわれます。高木酒造はその際に使われる日本酒を作っているところ。
写真は、そのとき、参加者たちが飲み干す「豊能梅楽鶯」。その横には豊能梅楽鶯を飲み干すのに使われる大盃も飾られていますが、当日は男性が一人一升(1.8リットル)、女性が五合(0.9リットル)を一気に飲み干し、スピードと飲みっぷりを競うだけのことがあり、祭り当日のお酒の消費量は桁外れ!もちろん、ほかのお酒も販売されているので、旅のお土産に買い求めてみてはいかがでしょうか。
赤岡町の多面的な魅力、おわかりいただけたでしょうか。高知市内から車で約30分の距離にあるため、アクセスも快適。芸能とグルメの街を散策し、赤岡町の魅力をご堪能下さい。
この記事を書いたナビゲーター
乾口 達司
これまでは日本文学や歴史学の世界で培った見識にもとづいて数多くの評論や書評を執筆してまいりました。奈良生まれ、奈良育ちの生粋の奈良っ子。奈良といえば日本を代表する観光地の一つですが、地元民の立場からい…
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