写真:麻生 のりこ
地図を見る奥浜名湖エリアの名刹・龍潭寺の歴史は古く、行基菩薩により奈良時代の天平5年(733年)に開山されたと言われています。
写真:麻生 のりこ
地図を見る参道を進み江戸時代初期に建てられた四脚門造りの山門(大門)をくぐると、正面には大人の背丈より高い石垣が。行く手と視界を遮っているこの石垣により、参拝客は左右どちらかの石段を通って本堂へ向かうことになります。
この構造は城の防御と攻撃に備える「枡形」を彷彿とさせ、万が一、敵が侵入した際に本堂へ直接攻め込まれない工夫となっています。
本堂は江戸時代初期に再建され、名工・左甚五郎作の鴬張り廊下が有名。この廊下は平成24年(2012年)に行われた平成の大改修時に屋根を改修したところ、以前にも増してよく鳴るようになりました。
しばらく訪れていない方はぜひ再訪して、鴬張りのきゅきゅっ!とした音の鳴り方の違いを感じてみてくださいね。
写真:麻生 のりこ
地図を見る廊下の突き当たりには左甚五郎作と伝えられている龍の彫刻が、そして開山堂内にはやはり左甚五郎作と伝えられている恙(つつが)なしの彫刻が飾られています。どちらも見事な彫刻なので、お見逃しなく!
写真:麻生 のりこ
地図を見る本堂の北側には国指定名勝の池泉観賞式庭園があります。この庭園は江戸時代初期に江戸幕府の作事奉行で作庭名人と呼ばれる小堀遠州により作られました。
龍潭寺庭園は「心」いう字が緩やかに描かれている心字池と、その背後の築山全体と数多くの石組みとで構成されている心落ち着く名庭。
庭園は東西に長く中央に守護石、左右には仁王石が、そして池の中央手前正面に坐禅石と呼ばれる礼拝石が配置されています。
縁側と座敷部分の段差は腰を掛けるのにぴったり。春にはさつきが、秋にはドウダンツツジの紅葉が築山を彩ります。季節や時間の移ろいとともに変化していく庭の様子を、ぜひご覧ください。
提供元:浜松・浜名湖観光情報サイト〜浜松だいすきネット〜
http://hamamatsu-daisuki.net/この龍潭寺庭園の王道鑑賞スポットは正面からの景観ですが、書院からの眺めもオススメです。寺宝の数々が展示されている収蔵品展示室を通り抜け、突き当りとなる書院は殿さま着座の間。
ここから庭園を見ると、緩やかに描かれた「心」の字が、川の流れのように曲がっているのが分かるでしょう。その川の行き着く先にある建物は、井伊家の初代共保(ともやす)から40代にわたる位牌が祀られている御霊屋。
この流れは三途の川を表していると言われ、遥拝の間となる書院と御霊屋、さらにその向こう側にある井伊家の墓所とを結んでいます。
御霊屋と墓所は方角的にも書院から西方にあたり西方浄土を意識した作りとなっています。この書院では殿さま気分を味わいながら、抹茶(有料)を楽しむこともできます。
写真:麻生 のりこ
地図を見る御霊屋の西側には井伊家の墓所があります。平安時代中期に誕生した井伊家初代共保から、24代当主の井伊直政までが眠っています。24代直政は「井伊の赤備え」で知られる猛将。徳川四天王の1人として活躍しました。
正面中央にある2基の大きな墓石は、向かって右側が初代共保のもので、左側が22代直盛のもの。2017年大河ドラマの主人公・直虎は、この直盛の一人娘です。
その直虎の墓石は左列に並ぶ五輪塔の奥から2番目。元許婚の直親(なおちか)を、その正妻とで挟んでいます。
写真:麻生 のりこ
地図を見る現世では添い遂げられなかった元許婚と並んで眠っている直虎の生涯はまさに波乱万丈。静かに掌を合わせて偲んでみてはいかがでしょうか。
写真:麻生 のりこ
地図を見る龍潭寺参道から道路を隔てて徒歩約5分。田んぼの中に、ぽつりと白壁で囲われた空間があります。
この白壁の中にあるのが平安時代中頃の寛弘7年(1010年)に誕生した、井伊家初代共保「出生の井戸」。「出生の井戸」と言われていますが、実際には井戸の傍らに捨てられていたようです。
写真:麻生 のりこ
地図を見る囲いの中に入ると、まず目に入るのは「祖霊之地」と書かれた碑です。この碑文は幕末の大老・井伊直弼の曾孫にあたり井伊家39代当主の井伊直愛(なおよし)氏撰述によるもの。名門井伊家の血は現在にも受け継がれ40代も続いているんですよ。
「祖霊之地」碑の背後に植えられているのは、平成18年(2006年)に彦根から移植した橘の木。冬になると小さな橙色の実を沢山つけます。
そして左側には大きな苔むした石造りの井戸が! この井戸が「井伊共保出生の井戸」です。今からおよそ一千年前、この地に誕生した井伊家。その発祥の地となるのがこの井戸です。
周囲をのどかな田園に囲まれた井戸の傍らに立ち、井伊谷城があった城山や遠く三岳山などを、かつての井伊家当主たちも眺めていたのかと思うと感慨深いものがありますね。
現在は道路と家屋などで分断されていますが、その昔は井伊共保出生の井戸から龍潭寺までは参道で繋がれていました。
共保は遠江の国の国守・藤原共資の養子になり、22歳の時に家督を継ぎ、井伊谷へ居館を建てて井伊共保と改めました。以後、井伊氏は江戸時代開府頃までの約600年間にわたり、井伊谷地方を治めていました。
鎌倉時代の争乱期、南北朝時代の動乱期を経て、戦国時代にはお家滅亡の危機に瀕しながらも女領主・直虎の機知により乗り越えた井伊家。井伊谷では、その歴史を垣間見ることができるでしょう。
<基本情報>
住所:静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989
電話番号:053-542-0480
アクセス:バス…JR浜松駅北口にある遠鉄バス乗り場15番から「奥山」行き乗車→「神宮寺」バス停下車後、徒歩約10分
電車…天竜浜名湖鉄道「金指」駅下車、徒歩約40分(金指駅にレンタサイクルあり)
車…舘山寺温泉から約20分/東名高速道路「浜松西」I.Cから北へ約20分/新東名高速道路「浜松いなさ」I.Cから南へ約10分
2017年11月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/11/2更新)
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