トルコ「世界遺産エフェス」女神信仰の歴史と知的冒険を楽しもう!

トルコ「世界遺産エフェス」女神信仰の歴史と知的冒険を楽しもう!

更新日:2016/06/09 16:59

菊池 模糊のプロフィール写真 菊池 模糊 旅ライター、旅ブロガー、写真家
トルコの人気世界遺産エフェスは、古代の歴史を知る遺物の宝庫です。
アルテミスを中心とする女神信仰の盛んな土地柄で、初期キリスト教の布教の地でもありました。女神崇拝が聖母マリア信仰に置き換えられていったという経緯があります。そこで女神信仰とキリスト教という視点からエフェスを観光してみると、新たな面が見えてきます。ぜひエフェスを旅して古代の宗教世界の歴史ロマンに浸ってください。

アルテミス神殿

アルテミス神殿

写真:菊池 模糊

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トルコ西南部のエーゲ海沿岸に位置するエフェス(エフェソス、エペソ、アパサ)は、セルチュク市近郊にあり、大都市イズミールからは電車とバスで行くことができます。

古来より有名な場所で、西部アナトリア最大の都市でもありました。ヒッタイトに対抗した古代アルザワ王国の首都アパサだったとされ、ミケーネ文明とも交流があったようです。やがて、ギリシア人の都市となり港湾都市として繁栄しました。

この地域では、もともと大地母神キュベレー信仰と混交した女神アルテミス崇拝が非常に盛んで、古代ギリシア化された後も、アルテミスはギリシア神話ではゼウスとレトの娘として位置づけられ、女神信仰が継続します。そして、エフェスには世界の七不思議の最たるものとされた古代アルテミス神殿が建設されました。この神殿は127本の円柱が並び、アテネのパルテノン神殿よりもはるかに大きく壮麗なものでした。フィロンは「アルテミス神殿を見たとき、ほかの不思議はすべて陰ってしまった」と述べています。

キリスト教の普及とともに、アルテミス信仰は聖母マリア信仰に置き換えられて衰え、アルテミス神殿は放置されるようになります。写真のように、現在、アルテミス神殿は一本の円柱が立つだけの廃墟となっています。2世紀にゴート族に破壊された後、ここにあった超大量の石材は、各地の神殿や、キリスト教会、イスラムのモスクなどに転用されました。イスタンブールのアヤ・ソフィアにも利用されたとのことです。

なお、写真の円柱の背景に重なって見えるのが、使徒ヨハネの墓がある聖ヨハネ教会跡です。

プリタネイオン(市役所)とハドリアヌス神殿

プリタネイオン(市役所)とハドリアヌス神殿

写真:菊池 模糊

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ローマ時代になると、エフェスはアルテミス神殿遺跡のある場所から南西に移転し、新たな町が築かれます。これが現在、素晴らしい世界遺産として多くの観光客を集めているエフェス遺跡です。このエフェス遺跡は、南から北へ下り坂となっていますので、南ゲートから入場し北ゲートへ抜ける形で観光するのが定番です。

南ゲートから入ってエフェスのメインストリートであるクレティス通りを歩くとプリタネイオンと呼ばれる市庁舎の遺跡があります。ここは、多数の乳房を持つ有名なアルテミス女神像が発掘された場所で、この像は市庁舎内部を飾っていたものと想像されます。また、近くに勝利の女神ニケのレリーフがありますが、これはクレティス通り中央のヘラクレス門のアーチを飾っていたもので、後世、スポーツ用品会社のナイキのロゴマークの元になったものです。

さらに、クレティス通りを下るとハドリアヌス神殿があり、その手前のアーチは女神ティケが、後ろのアーチは女神メドゥーサが刻まれています。(写真参照)

ケルスス大図書館

ケルスス大図書館

写真:菊池 模糊

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クレティス通りの突き当たりにはエフェスのハイライトである巨大な遺跡が佇立しています。これはケルスス(セルスス、セルシウス)図書館と呼ばれており、当時12万冊の蔵書を誇り、世界三大図書館のひとつと評されたものです。構造的には両端と二階の柱はやや細く、全体に遠近効果を利用してより大きく見せるように造られています。

この図書館遺跡のファサード下段には、図書館にふさわしい四つの高貴な女神像が立っています。写真を御覧ください。向かって左から、知恵の女神ソフィア像、徳の女神アレテー像、思考の女神エンノイア像、認識の女神エピステーメー像です。いずれも、後世に学問や知性の象徴として名前を使われた重要な女神たちです。(なお、これらの女神像はレプリカで、オリジナルはウイーンのエフェソス博物館にあります。)

以上のように、エフェスは女神だらけといっても良い雰囲気で、メインストリートを歩けば多神教の世界が展開します。1世紀に、聖パウロもここを訪れ3年間も滞在し、初期キリスト教の発展と普及に努めましたが、最初はアルテミスを中心とする偶像崇拝者の抵抗が強かったようです。

大円形劇場

大円形劇場

写真:菊池 模糊

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ケルスス大図書館から大理石通りに入り、横に商業アゴラ跡を見ながら下っていくと、突き当たり右に円形大劇場(アンフィテアトルム)があります。この円形大劇場は直径154mあり、25000人の収容能力を誇っていたそうです。 クラディウス帝の時に着工され、トラヤヌス帝の時代に完成したとされており、AD50年頃と思われます。(写真参照)

聖パウロは、この大劇場でも宣教しましたが、アルテミス像やアルテミス神殿模型を作っていた銀細工師達が営業妨害だとして、説教中の聖パウロに対して暴動を起こしたと伝えられます。

キリスト教側はその後、アルテミス信仰を聖母マリア信仰に置き換えていく作戦をとります。ローマ帝国がキリスト教を公認し、やがて、女神信仰の盛んだった土地柄から、エフェスは聖母マリア信仰の中心地となっていきます。したがって、エフェス遺跡に残るキリスト教会の名前も「聖母マリア教会」で、北ゲート近くにあります。

この聖母マリア教会では、431年にエフェソス公会議というキリスト教史にとって重要な会議が開かれました。人性においてキリストを生んだマリアを「神の母ではない」とするネストリウス派を、異端と決定した会議です。会議の行われた5世紀当時、エフェスは、聖母マリア信仰の舞台でしたので、マリアを「神の母」とするキリスト教主流派は、あえてここエフェソスを公会議の場所として選んだようです。

マリアの家

マリアの家

写真:菊池 模糊

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エフェス遺跡から南東の山の中に「マリアの家」という巡礼スポットがあります。ここは、イエス・キリストの磔刑死後、使徒ヨハネが聖母マリアを保護してこの地に至り、余生を過ごしたという伝説のある場所です。

19世紀はじめ、ドイツ人のアンナ・カタリナ・エンメリックという修道女が、イエスの受難、聖母マリアの晩年などを幻視し、詩人ブレンターノにその内容を伝えました。その後、1881年に、フランス人のジュリアン・ゴヤット神父が、この地でアンナのヴィジョンのとおりの家の遺跡を発見しました。

歴代のローマ教皇も訪問し聖地としたことから、キリスト教徒の重要な巡礼地となり、1951年には写真のように小さな聖堂が建てられ、今は人気の観光地となっています。御利益のあるパワースポットしても人気で、家の下にある聖母マリアの泉は飲むと奇跡が起こるとされ巡礼者が並んでいます。また、泉の横の壁には、願いを書いた紙縒りでびっしりと埋まっており、日本の神社を彷彿とさせるものです。今も聖母マリア信仰が生きていることを感じる場所です。

最後に

エフェスはトルコを代表する都市遺跡で、保存状態が良いことことからトルコのポンペイとも称されます。多くの観光客が訪れ、世界遺産にも指定されています。特に大図書館遺跡は素晴らしく、期待を裏切らない観光スポットです。

女神信仰の盛んだった場所で、その後、キリスト教の聖母マリア信仰にとって変わられ、イスラム化した現代でも、「マリアの家」には巡礼者が絶えません。そこで、本編にありますように、女神信仰と聖母マリア信仰という宗教的側面からエフェスの観光をしてみるのも興味深いものです。新たな切り口で、知的冒険の旅を楽しんでみてください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/17 訪問

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