写真:Naoyuki 金井
地図を見る『MARUZEN cafe』をプロデュースする丸善は、明治2年1月、輸入商社「球屋(マルヤ)商社」として横浜に創業しましたが、この名前がマリヤ、タマヤと間違われ「丸屋商社」に改名したのです。
更に創業時の会社名義人(社長)は《丸屋善八》と云う人で、当時の顧客から親しみを込めて省略した「丸善さん」と呼ばれるようになったことから、明治13年『丸善商社』に改称したという興味深い歴史があります。
そしてユニークなのが社長の名前で、丸屋善八が実は架空の名前だったと云うのですから驚きです。本名は、『早矢仕有的(はやしゆうてき)』で、かつて創業前に有的が江戸上京の際に支援してくれた、高折善六の恩を忘れまいとして創りだした名前だったのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る丸屋善八こと『早矢仕有的』とはどのような方だったのでしょうか。
有的は江戸時代の天保8年、現在の岐阜県に生まれ18歳の時に郷里で医者として開業しています。そして幕末に庄屋の高折善六に見いだされ、再び江戸日本橋で開業したのです。
幕末に有的は福沢諭吉に師事し医者以外の可能性を感じ、諭吉もまた有的の実業での才能を見抜きバックアップしたのです。
そして横浜で「丸屋商社」を創業し、開業当初は主に諭吉の著作販売を手掛けながら、医薬品や医療器具の輸入を行ったのです。
その後、有的は、西洋文化の導入と云う観点から、書籍、万年筆、タイプライター、タバコ、石鹸、ビール、カレー粉などの輸入販売という多角的な商売を始めました。
こうした企業姿勢が後の『MARUZEN cafe』を生み出す土壌となったのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見るこうした時代の中で『ハヤシライス』とは一体どんなグルメだったのでしょうか。
かつて「ハヤシもあるでよ〜」と云うオジサン世代以上しか知らないCMで日本中に広まったハヤシライスは、薄切り肉と玉ねぎをバターで炒め、赤ワインとドミグラスソースで煮たものをライスの上にかけた料理です。
この「ハヤシライス」の発祥には諸説あるのですが、概ね音感から由来した"ハッシュドビーフ説"と"ハヤシさん説"が有力です。
"ハヤシさん説"の一つは、上野精養軒のコックをしていた"林"さんが創作した説で、もう一つが丸善創業者の"早矢仕"社長が野菜のごった煮にライスを添えたものを饗応し、それが有名になっていつしかレストランのメニューになっていたとの説なのです。
この説に基づいて、丸善ではコラボレーションカフェを展開し、丸善のフラッグシップである日本橋店の3階に『MARUZEN cafe』を設置し《早矢仕ライス》の提供を始めたのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る『MARUZEN cafe』には多くのメニューがあり、その中の《早矢仕ライス》にも多くのバリエーションがあります。
スタンダードの早矢仕ライス、一石二鳥のオム早矢仕ライス、そして野菜やカキフライなどの付け合わせのトッピング早矢仕ライスです。
その中でおススメが《早矢仕&プレミアム早矢仕》で、ライスの下部分が"早矢仕"で、上の部分が"プレミアム早矢仕"のW早矢仕です。早矢仕はポークを使用したかなり甘めの味で、プレミアム早矢仕はビーフを使用した洗練された味わいです。
まさに物が無い時代の近代と、グルメ時代全盛の現代という2つの時代の早矢仕ライスがコラボレーションした逸品です。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る"丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。"
これは梶井基次郎箸の『檸檬』の一節で、爆弾に見立てた黄金色に輝く恐ろしい爆弾がレモンなのです。
文中の丸善は京都店で、このレモン爆弾から考案されたのがスイーツ《檸檬》なのです。
中身をくり抜いたレモンにフロマージュを詰め込んで、メレンゲで蓋をしたもので、果肉の入った酸っぱいホットソースをお好みでかけながら頂く爽やかなスイーツです。
一旦閉店した丸善京都店が2015年に再出店し、京都MARUZEN cafeでも京都限定の《檸檬》が復活したのです。ただし、東京とは違い形状も横型の檸檬なので、機会があれば小説の元である京都で食べてみるのも良いでしょう。
早矢仕ライスと檸檬ケーキの不思議なコラボレーションはいかがでしたか。
ここでしか味わえないグルメを是非、味わってみてください。
なお、東京日本橋と京都の《MARUZEN cafe》のほか、東京丸の内の《M&C Cafe 丸の内オアゾ》でも頂くことができます。
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(2025/1/17更新)
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