まずは日光東照宮の入り口に架かる神橋(しんきょう)についてです。徳川家康の霊廟として有名な日光ですが、その創建はとても古いものです。開山したとされるのは勝道上人です。天平神護2年(766年)のこと。上人一行が激流の大谷川を渡ろうとしましたが困難を極め、神に加護を求めたところ、赤青の二匹の蛇が現れて両岸を結んでくれたという伝説が残されています。
2016年に1250年を迎え、盛大に行事が行われました。
朱色の美しい橋を、様々な角度から楽しんでみましょう。
山門を入り、左に曲がってすぐの場所にあるのが神厩舎です。こちらに彫られているのが三猿。
「見ざる・言わざる・聞かざる」で有名な三猿ですが、論語的な意味を持っているという説があります。それは特に幼少期、悪いものを「見ない、言わない、聞かない」という教育の要素です。
徳川家康が開いた江戸幕府ですが、その江戸時代になると庚申信仰が爆発的に広がります。これは中国の道教由来のものです。庚申の日、人間が眠っている間に、体から三尸虫(さんしちゅう)が抜け出し、天帝に人間の悪事を報告することから、寝ないで過ごすという信仰が根強く、地域によっては昭和に入っても続いていました。悪事を報告されないために、庚申塔などには三猿が彫られていることがあります。
日光東照宮は陰陽道の考えが取り入れられています。陰陽道は道教の日本版と言えますので、その点からも三猿との繋がりが指摘されています。
なお、三猿はその他の猿たちを含めた彫刻の一部ですので、他の個性豊かな猿の様子も観察してみましょう。
日光東照宮は、仏教と神道が融合した日本でも特に珍しい場所と言えます。様々な色を使い、そして長い年月をかけて様々な趣向がこらされました。また、その彫刻の多さですが、実に5173体と言われています。一つ一つが丁寧に作られており、どの作品からも、作った人たちの思いが伝わってくるのではないでしょうか。
左甚五郎作として世に名高い眠り猫。こちらは奥宮に至る山門にあります。日光東照宮の中で左甚五郎の作と言われるのはこの一匹だけです。眠り猫には様々な説があります。家康の霊廟前で、眠ったふりをしているだけで身構えているというもの。警戒をせず眠りにつくほど天下泰平の世というもの。名工の作と言われるだけに、奥深いものがあります。
牡丹の下で丸くなっている子猫の様子はかわいらしさがありますので、出来るだけ近くで、その様子を観察してみて下さい。
眠り猫を過ぎて続く石段。一枚岩の見事な石段を踏みしめながら、約200段を上がっていくと奥宮に到着することが出来ます。こちらは徳川家康の遺言により棺が納められたと言われており、黒塗りの荘厳な拝殿の奥が御霊塔という場所となります。
遺言は、没して一周忌までは静岡の久能山にて埋葬し、その後は日光に移動するようにというものでした。日光から関八州を見守り、江戸を霊力で治めていくということです。この霊力により、パワースポットして人気が出たと言えるでしょう。
御宝塔の横には樹齢約600年の叶杉があります。杉の大きな空洞部の祠に向かって願いを唱えると、叶えられると言われていますので、見落とさないようにして下さい。
御霊塔は御墓所とも言われ、家康が眠っている場所です。礼節を守って参拝しましょう。
今回ご紹介した他にも日光は見どころがとても多く、短時間の観光ではもったいない場所と言えます。小物類などを扱うお土産店に入って楽しんだり、美味しい食事を提供するお店も多いですので、ぜひとも長めに時間を取ってみて下さい。また、出来ればこちらに宿泊をして、様々な場所を訪ねてみてはいかがでしょうか。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索