古代の東海道に残る伝統集落、焼津市「花沢の里」に見る原風景

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古代の東海道に残る伝統集落、焼津市「花沢の里」に見る原風景

古代の東海道に残る伝統集落、焼津市「花沢の里」に見る原風景

更新日:2016/06/09 11:36

木村 岳人のプロフィール写真 木村 岳人 フリーライター

静岡県中部、静岡市と焼津市を隔てる日本坂峠。その焼津市側の山腹に花沢という集落が存在します。谷筋の狭い土地を切り拓いて築かれた小さな里ではありますが、静かに流れる花沢川に沿って石積みで整地された下見板張りの家屋が今もなお建ち並び、昔ながらの山村集落を目にすることができるのです。

日本坂峠への古道沿いに並ぶ、昔ながらの家々

日本坂峠への古道沿いに並ぶ、昔ながらの家々

写真:木村 岳人

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海岸まで険しい山々がせり出す高草山塊は、古くより交通の難所として知られていました。現在、東名高速道路や東海道新幹線、国道150線のトンネルが集中する日本坂峠は、平安時代以前に使われていた古代の東海道です。

平安時代になると北側の宇津ノ谷峠に新たな道が拓かれ、東海道はそちらを通るようになりました。日本坂峠はメインのルートから外れてしまったものの、その中腹にたたずむ花沢の里は静かに時を重ねてきたのです。

神話の時代、日本武尊が東方征伐の際にも通ったのであろう古道沿いに残された昔ながらの集落。それだけでも実にワクワクさせられますね。

江戸時代からほとんど変わらぬ家の数

江戸時代からほとんど変わらぬ家の数

写真:木村 岳人

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花沢という地名が残る最古の史料は戦国時代の永禄13年(1570年)、集落の南に存在した花山城を巡る今川氏と武田氏による戦いの記録が知られています。

また江戸時代に入った慶長9年(1604年)と天和元年(1681年)の検地帳にも「花沢村」の名が見られ、『惣人別御改帳』によると明和7年(1770年)には35軒、安永3年(1774年)は28軒、文化13年(1816年)は36軒とあり、家の数はだいたい33前後で推移していたことが明らかになっています。

実際、集落には「花沢三十三軒」という言葉が昔から伝わっており、現在の戸数も30軒ほど。江戸時代から家の数がほとんど変わっていないのは凄いことです。

ミカン栽培の隆盛が完成させた集落景観

ミカン栽培の隆盛が完成させた集落景観

写真:木村 岳人

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花沢集落の人々は昔から豊かな自然環境を利用して生活してきました。江戸時代には和紙の原料となるコウゾやミツマタ、桐油が採れるアブラギリなどを栽培して生活していたとのこと。また山では薪や炭を生産し、近隣の村々に供給していたともいいます。

明治時代の後半にはお茶の栽培や養蚕も行われるようになり、昭和に入ってからはミカンの栽培が盛んになりました。特にミカンは戦後のブームにより「黄金のダイヤ」と称されるほど高値で取り引きされ、花沢集落の主要産業となりました。

各家にはミカンの貯蔵庫や選別所などといった附属屋が建てられるようになり、またミカンの収穫時に雇う季節労働者が寝泊まりをする場所が附属屋に増設されました。そうして、まるで長屋門のような建物が通りに沿って連続する集落景観が完成したのです。

特に集落の中ほどにある古民家カフェ「カントリーオーブン」は圧巻です。土日祝日のみの営業ですが、歴史あるたたずまいの家屋に囲まれながら、ゆったりとコーヒーやデザートを頂くことができます。

雛段状に続く壮大な石積みも必見

雛段状に続く壮大な石積みも必見

写真:木村 岳人

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建物の土台を築いている石積みは、集落内や近隣の石切り場から採れた石材を用いているとのことです。積み方は統一されておらず多種多様ですが、いずれも堅固で立派な印象。特に集落の奥の方は傾斜がきつくなることもあって、まるで城郭のような立派な石積みが雛段状に続き、目を引きます。

家と家の間には「ミゾッチョ」と呼ばれる水路が設けられているのですが、これは裏山から湧き出る水を花沢川に逃がすための水路であると共に、敷地の境界を示しています。花沢川もまた石積みで護岸されており、「ダンダン」と呼ばれる川に降りるための石段や、水を溜める堰の跡も確認ができます。

花沢の里は良い石に恵まれているからか、石に関する信仰も盛んです。集落の入口に存在する石壁「オシャモッツァン」には神が宿るとされ、子供の歯痛を抑えるご利益があるといいます。また集落の中心にある「津島さんの石」も、信仰の対象として祀られています。

母親たちの信仰を集めてきた法華寺の「乳観音」

母親たちの信仰を集めてきた法華寺の「乳観音」

写真:木村 岳人

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集落の一番奥には集落唯一の仏教寺院である法華寺が存在します。その堂宇は武田氏が花沢城に侵攻した永禄13年(1570年)に焼失しており、現在のものはその後の元禄8年(1695年)に再建されました。寺の入口に建つ仁王門もまた元禄16年(1703年)と同時期のものです。

法華寺には平安時代後期のものとされる木造聖観音立像も伝えられています。これは法華寺の本尊ではなく、奥院にあたる東照寺の本尊であったとのことですが、それでも法華寺の歴史の深さを感じさせてくれます。

また法華寺には「乳観音」の伝説が残されています。母乳の出が悪い母親が法華寺の門前で祈ったところ、観音様が現れてたちまち母乳の出が良くなったといいます。この伝説より法華寺は「ちちかんのん」とも呼ばれ、周辺地域の母親たちから信仰を集めていました。

歩いて楽しもう、歴史が香る花沢の里

古代の東海道沿いに伝統家屋が残る花沢の里。昔ながらの様相を伝える希少な山村集落であり、2014年にはその集落全体が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

石積みの上に立つ下見板張りの家屋が周囲の自然環境と調和した光景は実に見事。実際に訪れ、その歴史を肌で感じてみてください。日本坂峠を越える山道はハイキングコースとして整備されていますので、併せてハイキングを楽しむのも良いでしょう。

なお、普通の観光地とは違い住民の方々が普通に生活していますので、敷地に立ち入るなど、迷惑になることは絶対にやめましょう。車で訪れる際も必ず集落入口の駐車場に車を止め、集落内に乗り入れてはいけません。

掲載内容は執筆時点のものです。

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