東京三鷹で「文学散歩」太宰治、山本有三や森鴎外も!

東京三鷹で「文学散歩」太宰治、山本有三や森鴎外も!

更新日:2016/06/11 10:52

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー
東京三鷹というと”ジブリ美術館”や”井之頭公園”などが有名です。しかしここは、あまり知られていませんが、太宰治、山本有三、武者小路実篤、三木露風など有名な文豪がかって多数住んでいた場所でもあります。これら文豪を記念した場所が駅からあまり遠くない距離にいくつかありますので、文学散歩に出かけてみませんか。

路傍の石

路傍の石

写真:松縄 正彦

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三鷹には多くの文学者が住んでいましたが、まずは、三鷹駅南口の左手に流れる玉川上水沿いに歩いてゆきましょう。しばらく歩くと、「山本有三記念館」に着きます。ここは昭和11年から10年間、山本有三が家族と暮らした家です。
ここではまず門の手前にある大きな石(写真)に注目してください。これは“路傍の石”と呼ばれている石です。山本有三が、名作「路傍の石」を執筆時、道端で見つけ、わざわざ裏庭まで運ばせたといういわくつきの石なのです。わざわざ自宅まで運ばせたとは、すごいですね・・。

山本有三記念館

山本有三記念館

写真:松縄 正彦

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記念館(写真)の1階では代表作の「路傍の石」や「米百俵」などの書物や手書きの原稿などを見る事ができます。この2つの作品はこの家で書かれたものです。この御宅、写真のように洋式です。しかし2階には和式の書斎があります。
赤いカーペットが敷かれた階段を上り、少し進んだ右手の部屋に入って下さい。ここは、わざわざ洋式から和式の部屋に作り替えたもので、ガラス窓に障子がつけられ、明るさ調節をして執筆しやすいように工夫されています。またこの部屋の廊下側には「心に太陽をもて」という書が掲げられています。これは戦争へと向かう中、子供たちの暗い気持を少しでも明るくしようとした有三からの励ましの言葉です(オリジナルは独の詩人フライシュレンの詩)。

ちなみに有三は子供向けの教養業書「日本少国民文庫」の編纂もしており、子供たちへ多いなる関心をもっていたようです。戦争の状況が悪化し、物資不足で子供たちが本を手にする機会がなくなる中、自宅の応接間を開放し、たくさんの本を用意(「ミタカ少国民文庫」)して子供たちを迎え入れたといわれます。単に執筆するだけではなく、行動でも実践した事がこの作家の特徴の1つなのでしょう。
ちなみに戦後は参議院議員としても活躍し、昭和40年には文化勲章も授与されています。
ここは山本有三の作品・行動・人物が良く分かる展示がなされています。

太宰治文学サロン

太宰治文学サロン

写真:松縄 正彦

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ここは太宰家の行きつけの酒屋、「伊勢元」の跡に建てられたビルの1階にあります。写真はその内部ですが、太宰が行きつけた銀座のバー「ルパン」を模したカウンターが作られています。室内には太宰治の作品群や手書き原稿の複製が展示してありますが、入口の右手に飾ってある写真にも注目してください。
どんな作家がここ三鷹と吉祥寺の間に住んでいたかを示す航空写真が飾ってあります。この写真を頼りに当時をしのんでも面白いかもしれません。ちなみに太宰の自宅は山本有三宅の南側にあり、このサロンからは少し離れたところにありました。

しかし酒屋跡にバーのカウンターとはいかにも太宰治らしいですね。太宰は高校時代から日本酒を飲み始めたと「酒の追憶」に書いています。また太宰の写真というと林忠彦さんがルパンで撮った、椅子に片足を上げている写真が有名ですが、このカウンターで飲んでいたのですね(ちなみにルパンはまだ銀座にあります)・・。

太宰はいろいろな場所で原稿を書いていますが、生家の没落を描いた「斜陽」を完成させたのはここ三鷹です。また最後は玉川に入水自殺をして生涯を閉じますが、その場所は、三鷹駅南口から玉川上水に沿って山本有三記念館に行く途中にあります(この場所付近には、太宰の写真が掲げられた碑があります)。また三鷹駅南口近くには一緒に入水自殺した山崎富栄の下宿先(野川家)もありました。
お酒といい、坂口安吾とともに戦後“無頼派”といわれた太宰ですが、人生がこの言葉に表現されているようです。

太宰治・森鴎外が眠る禅林寺

太宰治・森鴎外が眠る禅林寺

写真:松縄 正彦

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この寺は黄檗宗のお寺です。すぐ傍に「八幡神社」がありますが、もともと明治の神仏分離令の前まではここと一体化していました。この寺の「方丈」奥(写真の山門奥に写っているのが方丈です。方丈左手の細い路地を行って下さい)に墓地があり、ここに太宰治のお墓があります。
毎年太宰の命日(6月19日とされる)には「桜桃忌」が開かれ、法要に多数の人が訪れています。ちなみに桜桃忌は今では夏の季語にもなってしまいました。

太宰治のお墓のすぐ近く、斜め向かいに森鴎外のお墓もあります。ちなみに森鴎外のお墓は“森林太郎”と本名が書かれておりますのでご注意下さい。また鴎外のお墓に“コーヒー”の缶などが置かれているのにも注目です。
日本にコーヒー文化が根づいた一因は、鴎外が指導した文芸誌「スバル」のメンバーを中心とする「パンの会」(コーヒー愛好家の会)などの文化サロンの活動が大きく影響していたといわれます。意外な歴史があるものですが、鴎外の「独逸日記」には多くのカフェが記され、鴎外が独逸でカフェに目覚めた事がわかります。おいしくコーヒーを飲みながら談笑している文学者の姿を想像してみるのも面白いかもしれません。

まだまだ見どころが・・

いかがでしょうか、あまり知られていませんが、三鷹は文学者と縁の深い地である事がお分かり頂けたと思います。ここを歩けばあなたも文学者通です。
また、ご紹介していない太宰ゆかりの場所が他にも多数あります。メモ欄も参照し、お楽しみ下さい。なお武者小路実篤の記念館は三鷹の南に位置する調布市にあります。ここもお勧めの場所です。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/05/24 訪問

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