写真:東郷 カオル
地図を見る高野山には数多くの戦国武将のお墓が点在しています。とは言っても高野山奥の院はとにかく広く、奥行きだけでも2kmもあるのです。横の広がりを考えると、とても個人で武将たちのお墓を探せるものではなく、墓場をうろうろしている間に力尽きる観光客を見かけることもしばしば。有名どころだけでも、織田信長、豊臣家、徳川家、明智光秀、石田三成、伊達政宗、武田信玄・勝頼、上杉謙信など、誰もが一度は耳にしたことがある武将たちの名が連なります。これらの武将たちの墓だけでも、やみくもに歩くとかなりの時間を要しますので、ルート取りが重要となってきます。
奥の院の歩き方には実に簡単なヒントがあるのです。
奥の院の雰囲気を存分に味わうには、いきなり「奥の院」のバス停まで行ってはいけないということ。「奥の院」のバス停で降りると、確かに写真のような「高野山らしい」場所にすぐにたどり着きますが、こちらは後のお楽しみにとっておくとして、武将の墓を探すなら必ず手前の「一の橋(バス停:奥の院口)」で降りてください。この静かな「一の橋」の入口が高野山奥の院の本当の入口なのです。
想像してみてください。お墓・供養塔が建ったのは随分昔のこと。その頃にはもちろんバスはなく、ほとんどの供養塔が正式な一の橋からの参道を通ってお参りする人に向けて建っているのです。
ですから、戦国武将のお墓を見落とさずに回るには、「一の橋」バス停で降りる。たったこれだけなのです^^
写真:東郷 カオル
地図を見る先ほど説明した理由で、一の橋から奥の院に入ると驚くほど武将の墓が見つけやすいのです。逆にショートカットしたつもりでバスで奥の院のバス停まで行ってしまうと、奥の院を歩きなれている人でも不思議なことに武将の墓をいくつか見落としてしまいます。
まずは観光協会で奥の院の地図をもらっておくと良いでしょう。
一の橋から入ってしばらくすると道が二股に分かれています。すぐにまた一つの道になるので、どちらを行ってもいいのですが、できれば上の道を。しばらく行くと薩摩島津家の霊屋があります。
その先では、先ほど二股に分かれたもう片方の道と合流します。合流後、少し先に進んだ場所に武田信玄・勝頼の墓碑(画像)があります。大きいほうが信玄の墓です。
武田家墓所は、音声ガイドでも案内されているため説明の立て札が設置されていますので、まず見落とすことはないでしょう。
写真:東郷 カオル
地図を見る武田家の墓碑から少し歩くと、進行方向右手に伊達政宗、石田三成(画像)、明智光秀、と、立て続けに有名武将の慰霊碑を見つけることができます。
苔むした巨石が積みあがっていますが、供養等はだいたいこのような形をしていて、五輪搭といい、五輪塔は仏教の地水火風空の五大を表すとされています。下から、地輪は方形(六面体)、水輪は球形、火輪は宝形(ほうぎょう)屋根型、風輪は半球形、空輪は宝殊型によって表されていて、密教系の塔で、各輪四方に梵字を表したものが多いそうで、実際に真言密教の高野山の五輪塔には凡字を見ることができます。
それにしても、戦国時代には考えられない隣人関係…。
何故か微笑ましいです。
写真:東郷 カオル
地図を見る次は豊臣家の墓所。しばらく歩きますが、右を見ても左を見ても有名人の供養塔が数多くあり、道中飽きることはないでしょう。毛利家や前田家の供養等もこの道中にありますのでお見逃しなく!
豊臣家の墓所は他の武将よりも少々広い敷地にあります。直接墓所に入れないように柵も設けられていますが、柵の前には常にお供え物が置かれていて、関西に馴染みのある「太閤様」の人気を垣間見ることができるでしょう。
現在名前が確認されているのは、母のなか、弟の大和大納言秀長夫妻、秀次の母である姉のとも、長男の鶴松、それに淀君の逆修碑(生前にあらかじめ用意されたもの)と推定されるものの六基です。
ちなみに、総本山金剛峯寺には、豊臣秀次(二代目関白)が自害した「秀次自刃(じじん)の間」がありますので、奥の院の後に見学されることをおすすめします。
写真:東郷 カオル
地図を見る織田信長の墓所は少し注意して探してくださいね。メインの参道沿いにはありません。
観光客が多い時は出入りが多いので、もし地図で見落としていても「なにかあるのかな?」と気がつくはずです。織田信長の墓所は豊臣家の墓所のすぐ近く、小さな坂を少し上がった左手にあります。
坂と墓所の入り口は狭いですが、墓所の中はわりと広いです。中に入っても先にお参りされている方がいらっしゃったら少し待つと良いでしょう。あまりにもお参りの方が多い場合は別ですが、誰しも真正面で静かにお参りしたいと思いますので、2〜3人なら正面が空くまで待たれる方がほとんどです。
やはり人気の織田信長の墓所は供養のお供え物が絶えることはありません。
天台宗の比叡山延暦寺を焼き討ちした信長の墓所が、いくら宗派は違えども真言宗の高野山に存在するというのは誰しも不思議に思うことではないでしょうか。死後は敵・味方も、生前なした所業も関係なく、すべての人が等しく受け入れられる、高野山の懐の深さを感じずにはいられません。そして信長を討った明智光秀の墓所も同じ敷地内にあるという何とも言えない不思議さ。戦国武将たちがあの世でどのような話しをしているのか、想像しただけで、くすっと笑いがこみ上げてきます。
また、奥之院では、弘法大師が入定した前夜にあたる毎月20日の夜に提灯(ちょうちん)明かりで歩き、御廟で祈りを捧げる「お逮夜ナイトウォーク」が開催されていますので、是非神秘的な雰囲気を感じてください。参加費や予約は不要で、19時に参道入口(一の橋案内所)に集合です。詳しくは案内所でご確認ください。
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(2024/10/6更新)
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