大阪に謎のピラミッド?巨大な現代アート風?堺市の「土塔」

大阪に謎のピラミッド?巨大な現代アート風?堺市の「土塔」

更新日:2024/08/08 11:13

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
仏塔といえば、多くの方が京都の東寺や奈良・興福寺の五重塔のような木造の建造物を思い浮かべるはず。しかし、仏塔のなかには、シャカの遺骨を安置したインドのサーンチーの塔のような土とレンガで築かれたものもあり、今回ご紹介する大阪府堺市の「土塔」も同様のタイプ。知らない人が見たら、その姿からピラミッドを思い浮かべるのではないでしょうか。今回はわが国では珍しいタイプの仏塔である「土塔」をご紹介しましょう。

奈良時代に築かれた「土塔」

奈良時代に築かれた「土塔」

写真:乾口 達司

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国の史跡である「土塔(どとう)」が位置するのは、大阪府堺市の土塔町公園。当地出身の高僧・行基によって建立されたと伝わる古代の仏塔です。鎌倉時代に作られた「行基菩薩行状絵図」には「十三重土塔」と記された塔が描かれており、それが土塔であるとされています。

発掘調査で奈良時代の瓦が多数発見されたことから、その築造は奈良時代であると考えられています。

奈良時代に築かれた「土塔」

写真:乾口 達司

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土塔の現在の姿は、こちら。日本版ピラミッドといったたたずまいですね。

もちろん、現在の姿は築造当時のものではありません。時代が経つにつれて土段は崩れ、長らく小さな方形の古墳のような状態でしたが、平成10年から10年がかりでおこなわれた発掘調査および復元整備事業により、現在の姿となりました。

築造当時と整備前の様子が一目でわかるように、それぞれの状態が半分ずつ再現されていますが、その分裂的な状態が巨大な現代アートを思い起こさせ、土塔についての予備知識を持たない方は、その不可思議な偉容にさぞ驚かれることでしょう。

奈良時代に築かれた「土塔」

写真:乾口 達司

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土塔の脇には、築造当時の姿を再現した模型も置かれています。

その形状は頂上部分が平らな四角錐の形をしており、一辺の長さは53.1メートル、高さは8.6メートル以上あり、その名のとおり、十三層からなる土の塔であったことが判明しています。類似の建造物としては奈良県の「頭塔(ずとう)」や岡山県の「熊山遺跡(くまやまいせき)」が挙げられますが、各層に瓦が葺かれているのは、土塔ならではの意匠です。

注目したいのは、頂上部分に当たる十三層目に八角形の建造物が据え付けられていること。その形状は奈良県・法隆寺の夢殿や栄山寺の八角堂などを参考にして再現されていますが、その独特の姿からも、土塔の唯一無二の存在性が強く感じられます。

築造当時の姿を再現した瓦葺外装

築造当時の姿を再現した瓦葺外装

写真:乾口 達司

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写真は土塔の西面と南面で再現された瓦葺外装箇所。ご覧のように、数え切れない数の瓦が配置されており、当時の土塔が瓦の塔というべき仏塔であったことがうかがえます。

したがって、その築造には大量の瓦が必要でしたが、土塔の近くからは、土塔に葺くための瓦を焼いた窯跡も発見されています。

土塔の築造がいかに大掛かりな事業であったか、そこからもわかりますね。

築造当時の姿を再現した瓦葺外装

写真:乾口 達司

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こちらは瓦葺外装以外の部分。復元整備以前は長らくこのような姿でした。

築造当時の姿を再現した瓦葺外装

写真:乾口 達司

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南東隅には発掘調査によって検出された状況が再現されており、基壇・初層・二層・三層それぞれの層の塊を見て取れます。

土塔の断面はこうなっている!断層展示箇所

土塔の断面はこうなっている!断層展示箇所

写真:乾口 達司

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北面には、土塔の断面を展示したスペースも設けられています。こちらを見ると、実際に土塔が階段状に築かれていることがよくわかります。

土塔の断面はこうなっている!断層展示箇所

写真:乾口 達司

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出土した創建当時の瓦の復元模型を展示したところもあります。

出土した瓦には、土塔の創建年を知る手掛かりとなる「神亀四年」(727年)と刻まれた瓦もふくまれていました。それにより、土塔が「神亀四年」から数年の歳月をかけて築造されたことが判明しています。

ちなみに、土塔から発見された瓦の多くには、僧侶や豪族のほか、一般庶民とおぼしき人の名前が数多く刻まれていました。人名の多くは、行基の指揮のもと、土塔の築造にたずさわった人たちであり、土塔の完成に際してみずからの名を瓦に刻み、奉納したのではないかと考えられています。

中世の溝跡や土塔を領有していた大野寺

中世の溝跡や土塔を領有していた大野寺

写真:乾口 達司

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土塔に沿うように、中世に掘られた溝の遺構も発見されています。写真の中央、奥へと向かうラインが溝の遺構を示した部分です。

中世の溝跡や土塔を領有していた大野寺

写真:乾口 達司

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土塔の東側には、墓地が広がっています。そのなかには近代以前にさかのぼる石塔類も見られるため、土塔が近代以前の葬送儀礼とも深くかかわっていることが推察できます。

中世の溝跡や土塔を領有していた大野寺

写真:乾口 達司

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土塔は、行基によって創建された四十九院の一ケ寺に数えられている大野寺の境内に築造されていました。かつての大野寺は室町時代の火災によって廃絶しましたが、江戸時代になって再興された大野寺が、土塔のそばに存在します。あわせてお参りしましょう。

土塔の魅力、ご理解いただけたでしょうか。我が国では珍しいスタイルの仏塔であり、一見の価値があります。土塔を実際にご覧になり、現代アートと見間違えるほどの独特の意匠の数々をご堪能ください。

土塔の基本情報

住所:大阪府堺市中区土塔町2164
アクセス:泉北高速鉄道「深井駅」より徒歩約10分

2024年8月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2023/06/04 訪問

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