世界遺産だけではもったいない!? 越中五箇山では重要文化財の合掌造民家3件も見に行こう

世界遺産だけではもったいない!? 越中五箇山では重要文化財の合掌造民家3件も見に行こう

更新日:2013/11/26 11:05

民家の建築様式にはいろいろあるのですが、五箇山・白川郷の集落が世界遺産に登録されて「合掌造」という用語はすっかり有名になりました。世界遺産に登録されたのは五箇山の相倉と菅沼、白川村荻町の3集落ですが、この中で重要文化財の指定を受けるのは1件のみです。しかし、世界遺産登録範囲外に重要文化財の合掌造民家が富山県側に3件、岐阜県側に1件あるんです。今回の記事では富山県の合掌造の重文民家3件を紹介します。

世界遺産の合掌造集落も見逃せない

世界遺産の合掌造集落も見逃せない
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世界遺産の合掌造集落についても少しふれておきます。世界遺産に登録されたのは上述の五箇山の相倉と菅沼、白川村荻町の3集落です。この写真は相倉集落です。世界遺産に登録されるには文化財として保護されていないといけないんですが、文化財としての分類はどれも重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)で、伝統的な建造物が多く残っていて周囲の環境にも地域的な特色があることが評価されています。さらに、相倉と菅沼については、「越中五箇山菅沼集落」「越中五箇山相倉集落」として史跡指定もうけているんです。日本古来の由緒ある歴史環境を保存するという目的で史跡指定をうける事例ですが、非常に珍しいです。

この記事では世界遺産になっていないところをメインに紹介しますが、やはり世界遺産の3集落にはぜひ訪れていただきたいです。この3集落は高いところから見下ろすことができます。ぜひ展望スポットを探してみて下さい。混雑しがちなので朝がおすすめです。

村上家住宅 〜 五箇山の合掌造民家の典型的な例

村上家住宅 〜 五箇山の合掌造民家の典型的な例
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400年ほど前に建てられたと伝えられていて古風なんですが、合掌造の成立自体が17世紀後半以降とされているんで、実際のところは江戸中期以降のものかと思います。建物は入口の場所で妻入と平入にわかれますが、この建物は合掌屋根の下の三角部分の下に入口がある妻入の形式です。妻入が多いのは五箇山の特徴で、これが白川にいくと平入が多くなります。内部も公開されているので中に入るとまず土間。土間には火薬の原料となる塩硝をつくったなごりがあったりします。五箇山は金沢藩領で、藩命で塩硝をつくっていたのでした。一方、上階は養蚕室になっており、家の中で生活も生産もできるという非常によくできたシステムになってます。

羽馬家住宅 〜 初期の合掌造民家として貴重

羽馬家住宅 〜 初期の合掌造民家として貴重
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国道から離れているので訪れる人も少ないのですが、これも貴重な建築です。写真で見てわかるように三階建のこじんまりとした建築ですが、合掌造の初期の形態のものです。この付近では明和6 (1769)年に大火があり、その後に4 kmほど離れた大島集落から移築してきたものと伝えられています。もとは寛文 (1661-1672)頃の築とされています。合掌造の中でも特に古い遺構なのですが、17世紀の民家ってだけでも全国的に貴重です。

通常は非公開なので、外観だけの見学です。上述の村上家の近くの橋で川をわたった先にあります。途中にある合掌造の流刑小屋も必見です。

岩瀬家住宅 〜 最大規模の合掌造民家

岩瀬家住宅 〜 最大規模の合掌造民家
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これは江戸末期の比較的新しいものですが、それだけに合掌造の発展した形式で大きいです。高さは14 mもあり、外観は4階ですが内部は5階の構造です。所有者がかわって岩瀬家住宅として重文指定をうけていますが、もとは塩硝の上煮役をつとめた藤井家の住宅で、役宅も兼ねていました。内部も公開されています。

最後に

今回は富山県側にしぼって紹介してみましたが、近くなので岐阜県の白川郷にもぜひ。岐阜県の合掌造民家では和田家住宅と旧遠山家住宅が重要文化財です。現地で保存されていて重文指定をうけるはこの5件ですが、移築されて保存されているものも多くあります。移築された合掌造民家で重文指定を受けるのは旧大戸家住宅(岐阜県下呂市、下呂温泉合掌村)、旧若山家住宅(岐阜県高山市、飛騨民俗村)、旧江向家住宅(神奈川県川崎市、川崎市立日本民家園)、旧矢篦原家住宅(神奈川県横浜市、三渓園)です。合掌造民家に限らず古民家は地域の特徴が強くでるものですが、合掌造民家の中でもそれぞれに特徴があるので、いろいろ比較してみると楽しいですよ。

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/05/03 訪問

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