写真:池田 みる
地図を見る会津若松市にある天寧寺は、1422年に会津にきた傑堂禅師が、11代芦名盛信の建立によって創立したお寺です。そんな歴史あるお寺に、新選組局長であった近藤勇のお墓が建てられているのです。
天寧寺には会津若松駅から市内周遊バスを利用し行くことが可能です。「奴郎ヶ前」バス停で下車した後、徒歩約10分程で到着です。駐車場もありますので、車で行くこともできますよ。会津若松は見どころがたくさんありますので、時間を気にせず動けるレンタカーを利用するのも便利です。
天寧寺に到着すると、境内案内の看板があります。ここで近藤勇のお墓の場所を確認しておきましょう。その他にも、戊辰戦争の責任者であった萱野権兵衛、そしてその次男郡長正のお墓もありますよ。
そして、新選組局長・近藤勇のお墓へ行くには少し山道を登る必要があります。ですので、歩きやすい靴で行くことをおすすめします。また雨の後はぬかるんでいることもありますので注意して進みましょう。
山道を歩いていると少し不安になってしまいそうですが、写真のような矢印看板がありますので安心ですよ。こういった看板は、うれしいポイントですね。
写真:池田 みる
地図を見る天寧寺にある近藤勇のお墓は、土方歳三が建てたとされています。会津戦に参加していた土方歳三が、新選組と強いつながりがあった京都守護職を務めた会津藩主の松平容保に頼み、会津城下を見渡すことができるこの場所に近藤勇のお墓を建てました。その際に近藤勇の遺髪を埋葬したと伝えられているのです。
そして土方歳三が参ることのできた近藤勇のお墓は、この天寧寺にあるお墓だけなのです。というのも、この後土方歳三は、蝦夷地へと向かいそこで戦死してしまうから。
それだけこの地の近藤勇のお墓は、とても重要ということなのです。
ちなみに、近藤勇の首は、京都で晒された後行方不明となっています。遺体も掘り起こされたという説もあり、どこにあるのかわかりません。そのため、様々な場所に近藤勇のお墓があるんですね。
写真:池田 みる
地図を見る近藤勇のお墓の隣には、土方歳三のお墓が建てられています。このお墓は戊辰戦争終結後に建てられたのです。
新選組結成前からの仲間であった近藤勇と土方歳三。怒涛の時代を生きた二人の絆は、簡単に語ることのできないほどのものだったでしょう。その二人のお墓が並んで建てられている天寧寺。
新選組ファンはもちろん、歴史が好きな方、特に幕末に興味がある方は是非一度訪れて、手を合わせてはいかがでしょうか。
写真:池田 みる
地図を見る近藤勇、土方歳三のお墓の近くにある石碑には、近藤勇が斬首の時に詠んだ詩が刻まれています。
孤軍援絶作囚俘 顧念君恩涙更流
一片丹衷能殉節 雎陽千古是吾儔
靡他今日復何言 取義捨生吾所尊
快受電光三尺劔 只將一死報君恩
「孤軍たすけ絶えて俘囚となる。 顧みて君恩を思えば涙さらに流る。
一片の丹衷よく節に殉ず。雎陽千古これ吾がともがしら。
他になびき今日また何をか言わん。義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所。
快く受けん電光三尺の剣。只まさに一死をもって君恩に報いん。」
この辞世の句から、近藤勇のゆるがない思いを感じることができるでしょう。
会津若松には、幕末、そして新選組を語るうえでは外せない、重要な場所が多くあります。そのひとつである天寧寺に訪れ、もっと深く歴史を感じてみてはいかがでしょうか。
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(2023/12/10更新)
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