写真:池田 みる
地図を見る流山は新選組局長・近藤勇と土方歳三の別れの地。それだけ重要な出来事が起こっているのにも関わらず、あまり知られていないません。
「近藤勇陣屋跡」は、流山線流山駅から徒歩約3分の所にあります。駅から歩いていると写真のような案内看板がありますので、流山に訪れるのが初めての方でも安心して行くことができますよ。
この看板から歩くこと数十秒。新選組のシンボルともいえる「誠」の字の旗が目に飛び込んできます。新選組ゆかりの地であることが、見てすぐわかるというのも惹きつけられるポイントですね。
写真:池田 みる
地図を見る幕府軍と共に闘っていた新選組は、200名程で流山へ移動してきたといわれています。その際本陣となっていたのが醸造家長岡屋(現在の近藤勇陣屋跡)。この場所に新選組隊士たちのみならず近藤勇や土方歳三もいたと思うと、背筋が伸びる思いになります。また、その他分宿となっていた光明院や流山寺も近藤勇陣屋跡から歩いて行くことが可能ですので、流山に来た際には一緒に訪れることをオススメしますよ。
そしてこの場所には新選組の主な歴史や流山での重大な歴史が示されています。新選組をあまり知らない方でも、新選組の大ファンの方でも、当時の歴史を学び想像することで、充実した時間を過ごせるはずですよ。
写真:池田 みる
地図を見る歴史の展示の隣には、近藤勇陣屋跡の碑が建てられています。それだけこの場所が新選組にとって大きな出来事が起こった場所ということなのです。
流山に滞在していた新選組は新政府軍に包囲されてしまいます。その際、新選組局長・近藤勇は、「大久保大和」という名前で出頭し、近藤勇ということを隠し幕府公認の治安隊であることを主張しました。ですが新政府軍に近藤勇を知る者がいたといわれており、そのことから板橋へ連行されその後処刑されてしまったのです。ですので、この場所が近藤勇と新選組結成時以前より仲間だった土方歳三の別れの地となってしまいまいた。
ここはこんな悲しい出来事が起こった場所なのです。それを学び同じ場所にきたという事実で、それぞれ感じられる思いが出てくるのではないでしょうか。歴史好き、特に幕末好きは一度は訪れたい場所ですよね。また、あまり知られていない場所でもありますので、この地を訪れたら自慢できちゃうかもしれませんよ。
写真:池田 みる
地図を見るこちらには当時本陣だった醸造家長岡屋の土台石も残されています。当時の物を実際に見ることができるのも、この場所の魅力のひとつですね。碑のとなりにひっそりと置かれているところもまた感慨深いですね。
幕末はたくさんの重大な出来事が起こり歴史が動いた時代。皆が日本のために動いた時代だったのではないでしょうか。
そんな歴史の一部ともいえる場所である流山。激しい時代を生き抜いた新選組の計り知れない悲しい想いをこの「近藤勇陣屋跡」で感じてみてはいかがですか。
ご紹介した通り、流山では新選組にとって悲しい出来事が起こってしまったのです。ですが、だからこそ様々な思いを抱き、想像し、考える時間を過ごせる場所ではないでしょうか。
近藤勇陣屋跡は屋外、そして道路沿いになります。見学の際は、通行の邪魔にならないように注意してくださいね。
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(2023/12/4更新)
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