写真:野水 綾乃
地図を見るかつての飯田城の正門である追手門があった場所に建つ、「飯田市立追手町小学校」。昭和4年(1929)に建てられたこの校舎は、長野県におけるコンクリート建築の父と呼ばれた建築家の黒田好造が手がけたもの。なにがすごいって、今も現役の校舎として使われているのです。
コンクリートは防火性に優れていますので、大火に備え、子どもたちの未来をはぐくむ学び舎に採用されました。薄茶色のコンクリートの肌、アールを描く玄関と存在感のある庇、整然と並んだ縦長の窓の配置など、どこか温かみと柔らかさを感じさせるデザインです。こんな素敵な校舎が母校だったら、みんなに自慢したくなっちゃいますね。
なお、こちらは現在も校舎として使用されているため、見学は外観のみとなります。
写真:野水 綾乃
地図を見る緑の中にあるかわいらしい一軒家。こちらは日本の民俗学の父とされる柳田國男の世田谷区成城にあった自宅書斎を移築したものです。追手町小学校の近く、飯田城二の丸跡に建つ「飯田市美術博物館」の敷地内にあり、「柳田國男館」として公開されています。
昭和2年(1927)、イギリスの社会人類学者フレーザーの書斎を参考にして建てられたチューダー様式の家です。喜多見の地名と、ここで来客と大いに談じようという気持ちを込めて、「喜談書屋(きたんしょおく)」と名付けられていました。
写真:野水 綾乃
地図を見る「柳田國男館」の館内には、書斎が再現されています。天井の高さまで設けた壁面の書棚と、中央の4本柱が印象的な空間です。この4本柱の内側に来客を迎え、民俗学について談じていたことから、「民俗学の土俵」とたとえられています。
書棚には柳田の著作や民俗学の本が並び、一部を除き、自由に手に取って読むことができます。緑と静寂に包まれた空間で、ゆっくり過ごしてみましょう。
「柳田國男館」は、飯田市美術博物館の一部ですが、無料で内部の見学が可能です。土日祝以外は入口が施錠されていますが、美術博物館の受付に申し出れば開けてもらえます。
写真:野水 綾乃
地図を見る「下伊那教育会館」があるのは、江戸時代に飯田藩の武家屋敷が立ち並んでいた仲ノ町通り。昭和13年(1938)に建てられた木造2階建ての瀟洒な洋館で、地域の教職員の研修や学術研究活動に利用されてきました。
注目したいのが、玄関上の明かり窓にデザインされた『教育會館』の文字。ステンドグラスではめ込まれた、ダイナミックで遊び心のある文字がかっこいいです。
建物の中に入って2階の大講堂を見学することもできます。下伊那出身の国文学者・西尾実が東京帝国大学時代に使っていたノートも展示されていますのでぜひ見てみてください。また、建物の対面には、飯田藩の中級武士だった旧黒須家の門が残されています。
写真:野水 綾乃
地図を見る最後に紹介するのは、大正から平成まで、約80年にわたり気象観測を行ってきた「飯田市旧測候所」。市民の環境活動などの拠点となるよう改修し、2014年にオープンしました。大正11年(1922)に建てられた本庁舎は、西洋と和が同居する擬洋風の建築様式で、切妻破風と、照りむくり(反りとゆるやかな起き上がり)を描く唐破風屋根を重ねた造りが特徴的です。
本庁舎の隣に建つ測風塔は、地上の風を測るためのもの。以前は本庁舎の屋根の上にありましたが、昭和35年(1960)に現在のものが設置されました。
建物内部の見学も可能です。「観測室・無線室」という部屋があり、そこに実際使用していた観測機器の一部が展示されています。強風や大雨などの情報を鉄道会社に伝えていた古い「注意報・警報掲示板」など、貴重な気象観測の歴史に触れることができます。
飯田市街のレトロ洋風建築めぐり、いかがでしたでしょうか。
追手町小学校、下伊那教育会館、旧飯田測候所は国の登録有形文化財にも指定されています。
追手町小学校以外は無料で内部の見学ができますので、ぜひ開館時間に訪れてみてください。
ほかにも、商店街の中にもレトロで趣のある建物や看板が数多く点在しています。カメラを片手に、ノスタルジックでフォトジェニックなスポットを探してみてくださいね。
この記事の関連MEMO
この記事を書いたナビゲーター
野水 綾乃
温泉と旅をテーマに雑誌などで記事を書いているライターです。その土地のものがたりや空気感が伝わる文章を心がけています。現在は故郷の栃木を拠点にしていて、全国の温泉地を行き来する日々。栃木の温泉宿や魅力的…
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索