写真:Naoyuki 金井
地図を見る柔道が1964年東京オリンピックの正式種目に決定すると、当時の読売新聞社社主正力松太郎氏を中心として、「世界に誇る武道の殿堂を造ろう」との計画が持ちあがりました。1962年正式に文部大臣の許可を得て(財)日本武道館が発足し、二転三転した建設地も最後は現在の北の丸公園内に決定したのです。
この地は太田道灌が江戸城を築城した際に、関東の守護神でもあった平将門を祀る築土神社が遷座したところでしたので、築土神社が移転した後も日本武道館の氏神となっています。
建築様式は、法隆寺夢殿をモデルにした八角形の意匠で、大屋根の稜線は富士山をイメージしており、1964年9月15日に《日本武道の殿堂》として落成したのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る正力氏によって書かれた"武道館"の文字の通り、東京オリンピック終了後、柔道を始めとして剣道、弓道、相撲、空手道、合気道、なぎなたといった日本武道の稽古場、競技場として使用されました。しかし、その日本武道館の変化が起こったのが1965年で、7月にレオポルド・ストコフスキー指揮による日本フィルハーモニー交響楽団による武道館での初のコンサートが行われたのです。
1965年11月30日には武道館でプロボクシングの試合が初めて行われました。ファイティング原田対アラン・ラドキン戦の世界バンタム級選手権試合でした。この後、原田にとってはチャンピオン5回の防衛戦の内4回を武道館で勝利したゲンのよい場所となったのです。
その後、モハメド・アリ、ジョージ・フォアマン等を始めとして数多くの名試合が残されたのです。そして2011年の亀田興毅まで開催され、日本武道館は後楽園ホールと共に《ボクシングの聖地》と呼ばれたのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る日本武道館に激震が走ったのが、1966年のザ・ビートルズ日本公演です。
武道館での日本公演に関しては開催前から一部の政治的勢力などから反発を受け、主催者側に対して中止の脅迫を迫る者もいましたが、何とかチケット販売までこぎつけたのです。
しかし、事態が急変したのが5月22日のTBSテレビでの"時事放談"で、「ビートルズごときくだらんものを呼ぶとは・・・」と細川隆元氏の発言した番組を当時の佐藤栄作首相が見て、「武道館で公演するのは考え物だ」と側近に漏らしたのです。これを耳にした読売新聞社社主正力松太郎氏は、「武道館でロックコンサートを行うとは、日本の若者を堕落させる」という現在では考えられない発言により急遽会場変更の検討がなされ、1965年のアメリカ・シェア・スタジアムコンサートを参考に後楽園球場が候補にあがったのです。
「武道の殿堂をビートルズごときに使用させるな!」という多くの社会的批判の声に対して、この騒動にケリを付けたのが6月9日の読売新聞に掲載された日本武道館からの社告でした。
"このたび女王から勲章を授けられた英国の国家的音楽使節、ザ・ビートルズが、(中略)英国側からも重ねて強い要請がありましたので、諸々の情勢を検討した結果、その使用を許可することにしました"。
こうして予定通り公演にこぎつけたのですが、観客1万人に対して3千人の警官が配備された物々しい公演となったのです。
館内にある正力氏の銅像が、衝撃的なビートルズ日本公演を物語っているかもしれません。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る日本中を騒動に巻き込んだビートルズ旋風は7月3日に去りましたが、これ以降、日本武道館は多くのミュージシャンの憧れの地となり、武道館公演は"ロックミュージシャンの一流の証"として《ロックの聖地》と呼ばれたのです。
多くのロックミュージシャンが武道館での公演を夢見ていた中、1986年BOOWYのライブで氷室京介が「ライブハウス武道館へようこそ!」と云った一言が多くのミュージシャンに大きな影響を与えました。ロックの聖地がドームやアリーナに移りつつあった時代に、日本武道館は"メジャーへの登竜門"と云う意味の《ライブの殿堂》という新たな役割を担い、武道館でのライブこそがメジャーの第一歩という目標になる一言であったのです。
現在活躍中のDAIGOもその一人で、この一言が云いたいがために武道館公演を実現したのです。
1989年リリースの爆風スランプの大ヒット曲《大きな玉ねぎの下で》は、招待したライブに来ないペンフレンドを歌った甘酸っぱい楽曲です。勿論、そのライブ会場は日本武道館のことで、屋根についている擬宝珠を玉ねぎに見立てたものです。こうした歌が生まれたのも、日本武道館でのライブが多くのポップミュージシャンにとってのシンボルであることを表していたのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る武道の殿堂、ボクシングの聖地、そしてライブの殿堂と様々な顔を持つ武道館ですが、これ以外にも、《24時間テレビ 「愛は地球を救う」》のメイン会場であったり、大学などの入卒業式、更には内閣総理大臣経験者の本葬等が行われ、日本武道館は単なる会場ではなく、偉大な文化を産みだした殿堂と云えます。
こうした歴史や文化のなかで建物以外に変わらないものが一つあります。
それはアリーナの天井に掲揚してある日章旗で、どのようなイベントであっても降ろしてはいけないという決まりになっているのです。
1964年の東京オリンピック以来、まさに日本武道館の歴史をずっと見続けてきた証人なのです。
外観は元より、最低限の広さのロビーで殆ど装飾も無い、正に質実剛健といった館内は、その生い立ちを十分偲ばせてくれます。
見学ツアーなどは行われていませんので気軽にと云う訳にはいきませんが、武道館で行われる大会は無料もあれば比較的リーズナブルに入館できるものもありますので、ライブよりはずっとお得です。
日本武道館の歴史は1964年東京オリンピックで始まり、現在では伝説化しつつある氷室京介の名言で《ライブの殿堂》としての輝きが放たれていますが、56年の時を経て開催される2020年の東京オリンピックで、日本武道館は《武道の殿堂》という光を放つのです。
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(2024/12/3更新)
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