写真:かのえ かな
地図を見る小串郷駅が誕生したのは、1944年。当時の日本は太平洋戦争の真っただ中で、日本のほぼ全域がB-29による空襲を受けている時期でした。
日に日に状況が悪くなる戦時下において、どうにか戦況を挽回しようと、日本海軍は横須賀にある臨時魚雷艇訓練所の移転を決定します。そして移転先がここ、小串でした。
小串郷駅は魚雷艇隊の訓練へ向かう若者のため、臨時の鉄道駅として作られました。丸太組で作られた当時の小串郷駅のホームには、全国からの志願者が何万人も集まったといわれています。
しかし、いよいよ切迫した戦況化の中で、こうした志願者は特攻隊員として編成されることとなります。そして3,500人以上の若者が、二度と故郷や家族の顔を見ることなく、無念の戦死を遂げることとなるのです。
写真:かのえ かな
地図を見る戦争の歴史とともに生まれ、悲しい記憶が刻まれてしまった小串郷駅。太平洋戦争の終結とともに、1947年には廃止の危機にさらされます。
しかし地元の人がこれに反対。町全体が駅の存続を熱心に訴え続けた結果、いわゆる陳情駅として小串郷駅の存続が決定しました。そんな地元の人の熱い思いが詰まったこの駅は、今なお美しさや旅行者への心遣いが残っています。
例えば、昔ながらの手書きの駅名看板がきれいな状態で保存され、ホーム沿いには座布団を敷いたベンチが並んでいます。駅舎の中には待ち時間に退屈しないための本棚が設けられ、本棚の上には忘れ物コーナーがあります。
そして初めて小串郷駅を訪ねた人でも駅周辺の様子が分かるように、テーブルには地図やパンフレットを見やすく展示。ひと休みしながら散策ルートを決められます。古き良きものを残しながらきれいに整備された駅は、旅行者にも故郷に帰ったような居心地の良さを与えてくれます。
昭和の人気ドラマ「太陽にほえろ!」のロケ地にもなり、 竜雷太が演じるゴリさんが降り立ったことでも知られています。
写真:かのえ かな
地図を見るかつては戦争のために集まった若者で埋め尽くされたホームも、今は美しい花でいっぱい。地元団体「心の花を育てる会」によって作られた花壇は、小串郷駅の見どころのなかでも人気のスポットです。
大村線で旅行中の人が、思わず「きれい」と声を上げてしまう様子もチラホラみられます。車窓からでも楽しめますが、ここはぜひ途中下車してじっくり鑑賞してほしいところ。満開の花も良いですが、ペットボトルで手作りした風車にも駅への愛情が感じられます。
写真:かのえ かな
地図を見る小串郷駅を訪ねたら、ぜひ「特攻殉国の碑」へ行ってみましょう。特攻殉国の碑は、海軍特攻隊の訓練に励み、そして南海の果てで散った若者の功績を伝え、鎮魂を祈る石碑です。その石には南海の激戦地だったコレヒドールと沖縄のものが使われています。
旧隊員の全国への呼びかけで作られたこの石碑には、今なお訪れる人が絶えません。小串郷駅からは、歩いて約15分で行くことができます。
長崎の主要観光地がある駅から小串郷駅までの所要時間は、以下の通りです。
・ハウステンボス駅(大村線)→約7分
・佐世保駅(佐世保線〜大村線の直通運転、あるいは乗り換え)→約30分
・長崎駅(長崎本線から大村線へ乗り換え)→約1時間50分
・早岐駅(大村線)→約16分
小串郷駅は1時間に1本ほどしか電車が停まらないので、時間に余裕をもって訪ねるようにしましょう。
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(2024/10/5更新)
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